薄氷の城
 翌日から魔獣討伐作戦が始まった。
 コンスタンティンを含めた全員に火の魔術を付与した魔剣が支給された。通常の剣は刃が分厚く重さを利用して叩き切るか、突き刺し攻撃をする。しかし、魔剣の場合は軽く振りやすく作られている。
 コンスタンティンは、今まで一度も魔剣を扱ったことはなく、受け取った時にその軽さに面食らった。

「これで、切れるのですか?」

 コンスタンティンの疑問に中隊長のフィンセントは優しく笑う。

「魔術が発動して、魔獣を切るんだ。真剣のように重くないから少々心許ない気がするのも分かる。今ではその軽さに慣れたが、新人騎士の時に初めて触って、俺も同じ様に思っていたのを思い出した。コンスタンティンは、テント内で私の指示を全て記録していてくれれば良いが、念のため剣は渡しておく。元々、対魔獣の訓練をしている訳ではないから、君がそれを使うことはないが。」
「はい。わかりました。」

 リッティパゴウは一日の移動距離が四万キロ以上と言われていて、温暖な地で餌を探し永久凍土の極北の地へ帰ってそこを寝床としている。
 発見時は三体出現していると言われていたが、討伐隊が到着してすぐの巡回では一体も発見することはなかった。とは言え、この山には餌となる下級の魔獣が沢山現れるので、餌場として直ぐに姿を見せるだろうと判断し、しばらく同じ場所に陣を張り辺りを交代で巡回することが決まった。

 ところが、リッティパゴウは数日経っても現れなかった。
 
 五日目、第一小隊は陣の周辺を見回りに行き、第二小隊はその間に食事をしていた。
 コンスタンティンは、トーマスやピーテルとの関係で、第二小隊に混じって食事をしていた。

「こんなこともないと、この顔ぶれで集まることなどないから、改めて乾杯しよう。」
「何にですか?」

 言い出したトーマスにコンスタンティンが尋ねた。

「君とユリアーナ嬢の婚約だよ。」
「いいえ。まだ、正式には交わしていません。婚約式は来月予定していますので。」
「ならば、もうしているようなものだろう。」
「そうだよ。王妃陛下から祝いの言葉をもらったんだ。国民全員が認めたも同然だ。」
「しかし…フェルバーンの家から嫁をもらうなんて、しがない子爵家の俺には考えられないな…。横にいるだけで怖じ気づくよ。」

 そう言って、テオと言う騎士の一人は弱々しい表情を作った。

「ユリアーナは確かに、歴史あるフェルバーンに生まれましたが、普通の女性です。物語が好きで、植物が好きで、家の庭で本を読む一時を大事にしているごく普通の。」

 コンスタンティンは微笑みながら話す。それに口を挟んできたのはトーマスだった。

「巷の噂から想像するには、普通の女とはかけ離れていると思うけどね。普通の女と言えば、派手好きの買い物好き、茶会での噂好きの事だろう。仮にそうであれば街で見かけることもあるが、ユリアーナ嬢はどれもお好きじゃないと見えて、ずっとお屋敷に籠もっていると聞く。女が学園に通えるわけでもないのに、始終勉強してると聞くと、男は扱いにくそうだと思うだろう?女に事あるごとに口やかましく言われるのも厄介で迷惑な事だ。小賢しい女とは面倒な存在だ。普通ではないだろう。」

 トーマスに悪気はないのか、明るい調子で言う。

「ユリアーナが買い物をあまりしないのは、良質で本当に好きなものを大切に使い続けるからですし、茶会も自宅に友人を招いてもてなすことは良くあります。勉強は嫌いではないようですが、妹のアンナや弟のヨハンとも冗談を言い合っていますし。小賢しく扱いにくいなんてことはないですが…。」
「ふーん。」

 トーマスは、自分から始めた話しなのに、コンスタンティンを鼻先であしらうような態度で返す。

「まぁ、しかし…コンスタンティンも頑張らないとな。」
「そうだな、家庭を持つのだから家族を引っ張るような男にならないとな。」

 テオとテオの相棒ヘインがその場を取りなすように話しをまとめた。


∴∵


「姉さん、もう日差しの強い時間だよ。部屋に戻ったら?」

 ユリアーナが庭のベンチで本を読んでいると、弟のヨハンが声をかけてきた。
 母のゾフィーは体が弱く、アンナが生まれた時、三人目は子供か母体かを選択する事になり得ると医者から告げられた。この国では、男子しか家を継ぐことは出来ず、婿養子も認められていないので、エルンストとゾフィーは分家の男爵家から次男を養子としてフェルバーン家に迎え入れた。ユリアーナは二歳、ヨハンは一歳の時だった。
 ヨハンは、フェルバーンを継ぐ者として厳しいが、愛情豊かに育てられ、成長した。しかし、実兄からはやっかまれ、一時期いじめを受けていたこともあったが、力関係は圧倒的にヨハンの方が上、思春期になる頃にはそんなことはなかったかのようになっていた。

「…それで、アンナは姉さんの婚約式なのに、自分もドレスを新調したんだ。俺の正装まで一緒に。自分一人だと、母さんや父さんにお小言を言われるからって。」

 部屋までの道を、ヨハンは下らないことを話し続ける。ユリアーナはそれを興味がありそうな感じで、頷きながら聞いているが、心ここにあらずなのは、ヨハンも十分知っていた。
 コンスタンティンと同じ討伐部隊に行った婚約者を持つ令嬢たちは、婚約者から手紙をもらっていると風の噂で聞くのに、ユリアーナの所には、一通も手紙が届いていない。その不安がユリアーナの胸に占めているのは、家族の誰もが分かっていた。


∴∵


 逗留してから一週間リッティパゴウの姿を確認したと報せがあった。近くで泣き声も幾度か聞かれていた。しかし、仕留めることなく空へ飛び立ってしまった。
 その後、第二小隊は食事に入って、第一小隊は再び巡回へ行った。

 警戒巡回から第一小隊が戻り、第二小隊は仮眠に入った。
 ピーテルが、微睡みながら横になっていると、何やら騒がしい声がした。彼が外に出ると、トーマスが慌てた様子でピーテルに駆け寄ってきた。

「何かあったのか?」
「コンスタンティンがいなくなった。」

 二時間ほど、第二小隊で外を探したが、とうとう暗くなり始め、その日の捜索は中断した。
 騎士たちが、焚火の周りに腰掛けている。

「コンスタンティンは…」

 トーマスがゆっくりと口を開く、その横顔をピーテルは見つめている。

「フェルバーン家のユリアーナ嬢と婚約したことを大変喜んでいました。同じ伯爵家と言っても、フェルバーン家は王家とも縁のある家柄。しかも相手は才貌両全と有名のユリアーナ嬢。自分も少しはと焦る気持ちがあり、一人で討伐に向かったのでは‥」
「彼はそのような男ではない。」

 第一小隊長ヒルベルトは力強く否定した。続けて、バルドが口を開く。

「私もそのように思う。彼は国防府に来てから日は浅いが、年齢の割に様々なことを気にかけることの出来る思慮深い人間だ。皆に心配をかけ、手間をかけることが分かっているのに、一人で何処かに行ったりなどしないはずだ。そのような浅はかな行いはしないだろう。」
「第二はこの後も巡回警備を頼む。第一は睡眠時間が短くなって済まないが、仮眠に入ってくれ。明日、もう一度捜索をしよう。」

 フィンセントの言葉に、各々動き出した。


∴∵


 ユリアーナはある日の夕方、エイクマン家に来ていた。
 アキレアやアストランティアなどが植えられた庭は、派手な美しさはないが、自然と調和され、落ち着いた味わい深い雰囲気に整えられていて、ユリアーナはこの温かさのある庭がとても好きだった。数日後に婚約式を予定していたエイクマン家のその庭でコンスタンティンの母ルイーセとお茶を飲む。
 
「では、ユリアーナの所へも便りは来ていないのね?」
「はい。おばさま。」
「そろそろ、お義母様(かあさま)と呼んでくれてもいいのよ。」

 ルイーセは成人した息子がいるとは思えないような、楚々とした可愛らしさで微笑む。

「旦那様なら、少しは進行状況など聞いているんじゃないかと思って聞いているのだけど、分からないみたいなの。初めての任務で忙しいにしても、ユリアーナに連絡を怠るなんて…よっぽどなのかしら。」
「奥様。()()()。」

 この屋敷では既に、ユリアーナは若奥様と呼ばれている。その呼び名には今でも照れてしまう。ユリアーナが振り向くと執事長が早足で近づいてくる。

「今、旦那様から連絡がございまして、討伐隊が戦地のポーリを昨日出発されたようでございます。」

 執事長もほっとしたような表情をする。それも、仕方ないことだった。ルイーセはコンスタンティンを産んだ時、もう子供は産めないと医師から宣言されていた。
 ただ、生まれた子が男子だったため、フェルバーンのように養子は取らなかった。コンスタンティンは、エイクマン家のたった一人の後継者だった。

「良かったわね。ユリアーナ。この分だと、婚約式は少しずらすだけで大丈夫そうね。」
「おばさまのご心労もいかばかりかと…」
「もう、帰って来るのだからいいわ。帰って来たらコンスタンティンをたっぷり叱りましょうね。二人で。」

 ルイーセは、本当に晴れ晴れした顔で笑った。
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