御曹司さま、これは溺愛契約ですか?
「こんばんは、萌子さん」
「ごきげんよう」
そのキラキラは隣にいた彼の娘――稲島萌子にも向けられたが、彼女の様子は先日とは明らかに異なっていた。
絹のような黒髪を丁寧に結ってまとめ、上品なワインレッドのドレスに身を包んだ萌子は確かに会場の中でも五本の指に入るほど華やかで美しい。だがそれを帳消しにしてしまうほど、表情が暗く沈んでいる。
「……そちらの女性は?」
「私のパートナーです」
「はじめまして、秋月美果と申します」
稲島社長に声をかけられ、ようやく美果も自己紹介の機会を得る。この流れは今夜すでに挨拶をしてきた数十組への対応と同様で、声をかけられて翔に紹介されるまで美果は一切口を開かないよう徹底していた。
しかし美果の挨拶よりも、その一つ前に翔が発した言葉の方が重要だったようだ。稲島社長の表情も、娘のそれと同じようにぐっと曇る。
「パートナー? 翔くん、結婚するつもりかね?」
「どうでしょう。今はまだ発表できることはありませんが、機会を得ましたらご報告いたします」
翔のこの受け答えも他の者への説明とほぼ一緒である。言葉にするとかなり幅が広く含みがある言い方だが、もちろん嘘は言っていないし翔と美果が結婚する予定もない。
そもそも美果が今回のパーティーに出席することになった最大の目的は『天ケ瀬翔に他者に紹介できるようなパートナーが出来た』と印象づけることで、次々と舞い込む見合いや縁談を一蹴することにあった。今後本当に結婚するかどうかは重要ではなく、あくまで当面の間、周囲の者を黙らせることが目的なのだ。