早河シリーズ第三幕【堕天使】
 迫り来る夜の闇。煌びやかなネオンが光る街並みの雑踏の中では誰も莉央の顔を見ない。この大都会に溶け込めば、誰も莉央を見つけられない。

人も街も忙しなく動き、どこから来てどこに流されていくのかと思う人の波に莉央もまた流される。

 空を見上げてもビルに挟まれた四角い夜空に輝く星は見つからない。けれど歩道橋の上で星の代わりの輝きを見つけた。

ここから眺める車のライトが連なって流れていく。
死ぬのを急ぐことはない。でもあの綺麗な渦の中心に行ってみたいだけ。

 莉央は歩道橋から身を乗り出した。前傾になった華奢な身体が歩道橋の柵を越える。
あと少しで綺麗な渦の中心に行けると思った時、急に腕に強い力を感じて重心が後ろへ引かれた。バランスを崩した彼女の身体を長い腕が抱き留める。

見覚えのない若い男の顔が目の前にあった。

「……誰?」

 首を傾げた莉央の悲しげな色の瞳が男を映し出す。この暑さの中でもきちんとジャケットを羽織った黒いスーツに身を包む男は、不思議な雰囲気を纏っていた。

『お嬢さん。死ぬ前に私と少しお話しないかな?』

彼は莉央の腕を掴んでいた右手を莉央の左手に添えた。ナンパも同然のこの行為も、男はパーティーのダンスでも申し込んでいるような優雅な仕草でこなしてしまう。

「お話って……」
『ついてきなさい』

呆気にとられた莉央の傍らのキャリーバックを男は軽々と持ち上げた。

「あの……」
『死ぬのは私と話をした後でもいいだろう? その後に死にたければ死ねばいいさ。ね?』

 死という単語を躊躇なく使う男の口調は穏やかで優しい。そんな風に穏やかに微笑まれると嫌とも言えなくなる。

(変な人。変……っていうか不思議な人)

 莉央達がいたのは表参道の歩道橋だ。歩道橋を降りて少し行った場所に黒色の乗用車が停まっていた。

乗用車の前で直立不動で待機していた中年の男が進み出て莉央のキャリーバックを受け取った。

 中年の男がキャリーバックを後ろのトランクに入れるのを横目に見ながら、莉央は訳もわからず後部座席に乗せられる。
隣に乗り込んだ男と少し身体の距離を空けた。座席のシートはふかふかとしていて沈んでしまいそうだ。

『さて、どこに行こうか。行きたい所はあるかい?』
「行きたい所と言われても……。まずはあなたのお名前を……」
『ああ、そうか。自己紹介がまだだったね。私の名前はキング』
「キング?」
『仕事上ではそう呼ばれているよ。そこにいる彼の名はスコーピオン』

 運転席に座るスコーピオンが無言で会釈した。莉央は戸惑いがちに会釈を返す。

(キングとスコーピオン? 仕事上の名前と言ってもおかしな呼び方ね)

『お嬢さんのお名前は?』
「……寺沢莉央です」
『よろしく、莉央』

キングに差し出された手をおずおず握る。大きくて温かい手だった。
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