早河シリーズ第三幕【堕天使】
『キング、行き先のご指示をお願いします』

 ゆっくりとした速度で滑り出した車は歩道橋を離れて青山通りを左折した。スコーピオンが指示を仰ぐ。

『そうだね。ひとまず君の店でどうだろう』
『かしこまりました』

スコーピオンには感情の起伏がなく、口調も抑揚に乏しい。莉央にはスコーピオンは上司の命令を忠実に守るロボットに見えた。

『莉央はあそこで死ぬつもりだった? 私が余計なことをしたと怒っているかな?』

 死にたかった? 余計なこと? 怒る? わからない。死にたかったのか、死ぬ目的で歩道橋から身を乗り出したのか、わからない。

「わかりません。ただ……車のライトが流れる様子が綺麗で……あの中に行きたかったんです。それで……」

顔を伏せる莉央の頭上に軽い圧迫感が加わる。キングの大きくて温かい手のひらが莉央の頭を何往復か撫でた。

『わかった。もういいよ。車のライトが連なる様子は綺麗だよね。私も上から眺めるのが好きだ』
「あの、キングさんはどうして私を?」
『ははっ。キングと呼び捨てでかまわないよ。どうして莉央を助けたのか、理由を聞きたいのかい?』

莉央は頷いた。キングは組んでいた脚を組み替え顎を撫でて考え込む。

『君は歩道橋から人が飛び降りようとする場面を目撃した時、助けようと思う?』
「えっと……はい、助けようとすると思います」

 自分のことを指しているかと思うと胸が痛くなった。キングにはそう見えていたのかもしれない。

『それが通常の考えなのかもしれないね。でもね、私は歩道橋から飛び降りようとしている人間を見掛けても助けようとは思わない』
「どうして……」
『死を選ぼうとしている人間に対して、この世で最も残酷な言葉を知っている?』
「死んではダメ、生きろ、ですか?」

莉央の答えを聞いたキングは満足げに指を鳴らす。

『そう。死にたいと思う人間がこの世で最も苦痛なことは生きることだ。“生きていれば良いことがある、だから頑張って生きろ”……それは人生が楽しくて仕方がない側の人間が、無責任に口走る最も残酷な言葉だ。私はそんなことは言わない。自殺がその人間が苦痛から解放される最善の手段なんだ。死にたいと思う人間を私は止めない』

(じゃあどうしてキングは私を?)

『私と話をした後に莉央が死を選ぼうとするならば止めないよ。死にたいなら死になさい』

 キングの言葉は穏やかに、優しく、莉央の心の奥底に響く。死にたい? 死にたくない?

(キングがあそこで止めてくれなかったら私は死んでいた? どうなんだろう……)

『随分と質問の答えに時間をかけてしまったね。私が莉央を助けた理由は、君と話がしてみたかったから。これで納得してもらえる?』
「……はい」

 東京の大動脈を駆け抜けた車が細い路地に入る。夏の夜のはじまりを迎えた頃に莉央達を乗せた車はある場所で停車した。
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