早河シリーズ第三幕【堕天使】
 珈琲館の一階ではまだキングとスパイダーが滞在していた。

『僕をカオスに引き入れた時とは違って今回はソフトな提案でしたね。僕の時はキングに殺されるか、カオスに入るかの二択でしたよ』

パソコンのキーを打つ手を休めてスパイダーは眼鏡を外す。キングは頬杖をついた顔を傾けた。

『そうだったかな?』
『そうですよ。あれはなかなかハードな選択でした。しかし彼女には、カオスに入らなくとも生き延びることができるソフトな選択肢を与えた』

 キングの飄々とした態度は初めて会った時から変わらない。
キングとスパイダーの付き合いは1年近くになるが、キングには喜怒哀楽の感情が備わっているのかスパイダーは疑問に思っていた。
少なくとも、キングの哀の感情をスパイダーはまだ見たことがない。

『それでも莉央はカオスに入る道を選択した。生きて殺したい人間を殺す道をね』
『彼女がそう選択するよう誘導しましたよね。まるで催眠術のように。貴方の思惑通り、彼女をクイーンとして手に入れた』

レンズを拭いた眼鏡を再びかけたスパイダーはキングを一瞥する。キングは懐から出した拳銃をまた弄んでいた。その銃に弾が入っていない事は自明だ。

『君には敵《かな》わないなぁ』
『そのセリフそのままお返ししますよ』

 スパイダーはカウンターの奥に入ってコーヒーメーカーに入るコーヒーをカップに注ぎ、そのままカウンターに背をつけてカップに口をつけた。

『彼女に人殺しができると思いますか?』
『あの子なら殺せるよ。必ずね』

キングは迷わず答える。その根拠がどこにあるのかスパイダーにはわからない。

『この世には三種類の人間がいる。人を殺せる人間、殺される人間、殺さない人間。莉央は人を殺せる側の人間だ』
『カオスにいるのは殺せる人間ばかりですね。必然ですが。新人のラストクロウも殺せる側でしょう』
『スパイダー、君も殺せる側にいると思ったから組織にお誘いしたんだよ。莉央もそう。あの子は人を殺す目をしていた。暗くて深い闇を宿した目をね』

 アンティークの鳩時計が午後9時を示す。キングは席を立った。

『ソフトの仕上がりはいつ頃かな?』
『今夜中には完成しますよ。仕上がったものはキングのパソコンに送っておきます』
『頼んだよ。私はそろそろ失礼するとしよう』

表では迎えに呼んだ車が待機している。扉の前まで歩くキングはレジカウンターの卓上カレンダーを目に留めた。

『今日は8月11日だったね』
『何か特別な日でしたか?』
『ただの父の命日さ』

 7年前の8月11日にキングは己の父親と父親の宿敵の男を殺害した。
犯罪組織カオスのキングは父から彼に引き継がれ7年が経過した今日、彼は暗い闇を宿した天使をクイーンとして手に入れた。

(これで私はクイーンを手に入れた。これからが愉《たの》しくなりそうだ)

 キングの心中の独り言を知らない莉央は珈琲館Edenの二階で束の間の安らぎの時間を過ごしていた。

 誘われた場所が莉央にとって楽園となるか、破滅への道に繋がる地獄となるか、それはまだ誰にもわからない。
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