早河シリーズ第三幕【堕天使】
 キングの側で生きることを選んだ莉央は珈琲館の二階に通された。今夜はここで一晩過ごして明日キングが迎えに来ると言っていた。
二階は経営者のスコーピオンの自宅となっている。

『狭い部屋で申し訳ありませんが、ここをお使いください。すぐに替えのシーツを持ってきますね』
「すみません。お宅にお邪魔してしまって……」

 莉央が通された二階の一室は和室だった。ドイツ様式の建物の中にある和室はここだけが異空間のように感じる。

『構いませんよ。貴女は今日から私達の主、クイーンなのです。気楽にしていてください』

チリひとつない畳の上にはスコーピオンが運んできた敷き布団と莉央のキャリーバックが並ぶ。座布団の上で正座する莉央は困った顔で眉を下げた。

「クイーンと言われてもまだあまり実感が……。何をどうすればいいかもわかりませんし」
『すべてキングにお任せしておけば大丈夫です。あの方は貴女をひとりにはしません。私達も貴女をお守りします』

 莉央の前でスコーピオンが初めて笑顔を見せた。笑うと目尻にシワができる彼の笑顔を見ていると、不安だった心もほぐれていく。

「ありがとうございます」
『それとお腹は空いていませんか? 必要であれば何か夕食を作りますが……』
「あ……」

 そう言われると途端に空腹を感じる。夕暮れ時に樋口家を出てから何も口にしていない。
スコーピオンがまた笑顔を見せた。

『すぐに出来るものならハンバーグ、オムライス、パスタ……くらいですね。何になさいますか?』
「じゃあ……オムライスを……」
『わかりました。ここでも、隣のリビングでも、お好きな所で寛いで待っていてください』

 彼は和室を出て行った。六畳の和室には扇風機が置かれていて、蚊取り線香もあった。
北海道では夏はいつも扇風機と蚊取り線香で過ごしていた莉央にとっては、久しぶりに見る懐かしい風景だ。

 和室の隣にはリビングダイニングがあり、リビングの棚には写真立てが飾られていた。中に入る写真は家族写真だった。

スコーピオンがいて、スコーピオンの隣には優しげな目元の女性と彼女と手を繋ぐ小さな女の子が笑っていた。

「この写真……」
『死んだ妻と娘の写真です』

 キッチンからスコーピオンの返事が聞こえた。彼は麦茶を入れたグラスをリビングに運ぶ。

「死んだって……」
『妻と娘は殺されました。私はその人間を殺すためにカオスに入り、キングにお仕えしています』
「それで……殺したんですか?」
『ええ。殺しましたよ。この手で』

 悲しげな横顔の彼の視線の先には莉央に懐かしくて優しいホットミルクを作ってくれた骨張った手。

人を殺したと、この男は言った。けれど彼にも莉央は恐怖を感じない。
キッチンで料理を作るスコーピオンの肩幅の広い大きな背中は死んだ父と似ている。ここにも懐かしい光景が広がっていた。

 スコーピオンが作ったオムライスはとても美味しかった。人を殺した男の作ったオムライスはさっき飲んだホットミルクと同じ、懐かしくて優しい味がした。

父親の愛情の味だった。
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