早河シリーズ第五幕【揚羽蝶】
 彼と話をするのは少し緊張した。隣に比奈がいてくれてよかったと思う。

『はじめまして。経済学部4年の松田宏文です』
「文学部2年の石川比奈です」

 初対面の松田と比奈は互いに名前を名乗って会釈した。親友とサークルの先輩の自己紹介を眺めている美月は奇妙な心地だった。

『浅丘さん達がさっき話していたことって例の組織の話だよね? ごめん、聞くつもりはなかったんだけど聞こえてきたから』
「えっと……」

美月と比奈は顔を見合わせた。小声で話していた内容を万が一、誰かに聞かれていたとしても犯罪組織カオスの事情を知らない人間にとっては、ゲームや漫画の話だと思うだろう。

「先輩はカオスのこと知ってるの?」
「うん。成り行きで……話したの」
『“佐藤さん”って聞こえてきたけど、もしかして浅丘さんの元カレ?』

 彼は美月の手前の椅子に腰かけた。聞かれてしまったのなら仕方ない。

「はい。私……犯罪者を愛したんです」
「えっ、ちょっと美月……」

驚いた比奈が美月を止めようとしたが、松田は驚く素振りもなく美月を見据えていた。

「3年前に私が好きになった人は人を殺したんです」

 真っ直ぐ松田を見つめる美月の瞳は澄んだ海に似ている。とても綺麗な、濁りのない純粋な瞳。彼女のこの瞳が松田は好きだ。

『その人が“佐藤さん”?』
「そうです」
『彼はどうなったの?』

その質問をされた時だけ美月は彼から目をそらしてうつむいた。心配そうな比奈が美月に寄り添い、彼女の肩を抱いている。

「彼は……亡くなりました。撃たれて……海に落ちてそのまま……」
『そっか。ごめん。言いたくないことを言わせたね。じゃあ浅丘さんを悩ませているのは、今の彼氏だけじゃなくてその人のこともあるのかな?』
「……はい。でも私は彼を愛したことを後悔していません」

 美月は首肯する。松田は缶コーヒーを喉に流して力なく笑った。

『はぁ……。そっか、そっか。最初からどう頑張っても俺に勝ち目はないよな』
「ごめんなさい……」
『いいよ。わかってたことだから。じゃ、また夏休みのイベントでね』

 去っていく松田を見送る美月の心に寂しさが宿るのはどうして?
遠ざかる彼の後ろ姿に「行かないで」と言ってしまいそうになるのはどうして?

 自分のことなのに、人は自分の心が一番わからない。まったく人間は愚かで不器用で、身勝手な生き物だ。
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