早河シリーズ第五幕【揚羽蝶】
あかりの姿が見えなくなると渡辺は階段を上がって情報工学科の院生室に入った。
あかりとキスをした唇を軽く袖で拭う。拭った袖には彼女の口紅がわずかに付着していた。
彼女はどうしてここに来たのだろう。文学部を中退したあかりが何の目的で工学部の研究棟に?
(工学部に知り合いがいるって言うのは嘘っぽいよな。工学部に友達がいるって話は聞いたことなかったし……)
まさか本気で自分に会いに来てくれたなんて自惚れるほど、彼はおめでたい人間ではない。しかし工学部であかりと接点のある学生に見当もつかなかった。
『亮。お客さん来てるぞ』
『客?』
院生の仲間が渡辺の名を呼ぶ。デスクから顔を上げると見慣れた人物が渡辺に向けて片手を挙げていた。
3年前から馴染みの付き合いの上野警部だ。
『上野さん。どうしてここに?』
『君に聞きたいことがあってね。忙しいのに悪いね』
院生室を訪ねてきた上野と共に廊下に出た。
刑事が突然訪ねてきても興味津々にこちらに関心を寄せる人間はいない。
渡辺を呼びに来た院生仲間も今はパソコンに向き合っている。
他人のことよりも自身の研究で頭がいっぱいな人間がこの研究棟には集まっている。
『君の後輩の青木渡くんとは最近会ったかい?』
『青木ですか? いや……アイツとは専攻が違うので同じ学部でも滅多に顔を合わせないですね』
『そうか……』
『青木が何かやらかしたんですか?』
工学部の学生で沢井あかりと顔見知りの人間にひとりだけ心当たりがある。渡辺が学部生時代に所属していたミステリー研究会には青木とあかりも所属していた。
もしかしたらあかりは青木に会いに来たのかもしれない……そんな漠然とした想像が浮かんだ。
『渡辺くんは美月ちゃんの大学の事件のことは……』
『隼人から聞いてます。美月ちゃんも今は静岡の叔父さんの所に行ってるって。まさかその事件に青木が?』
『今のところ断言はできない。今日、青木くんは学校に来ていないようだ。もしも青木くんを学校で見かけたらすぐに連絡して欲しい』
『わかりました』
渡辺は頷いた。
あかりがここに来たことは上野警部には黙っていることにした。きっとそれが自分にできるあかりへの最後の愛情の形だと、何故かはわからないがそう思えたのだ。
あかりとキスをした唇を軽く袖で拭う。拭った袖には彼女の口紅がわずかに付着していた。
彼女はどうしてここに来たのだろう。文学部を中退したあかりが何の目的で工学部の研究棟に?
(工学部に知り合いがいるって言うのは嘘っぽいよな。工学部に友達がいるって話は聞いたことなかったし……)
まさか本気で自分に会いに来てくれたなんて自惚れるほど、彼はおめでたい人間ではない。しかし工学部であかりと接点のある学生に見当もつかなかった。
『亮。お客さん来てるぞ』
『客?』
院生の仲間が渡辺の名を呼ぶ。デスクから顔を上げると見慣れた人物が渡辺に向けて片手を挙げていた。
3年前から馴染みの付き合いの上野警部だ。
『上野さん。どうしてここに?』
『君に聞きたいことがあってね。忙しいのに悪いね』
院生室を訪ねてきた上野と共に廊下に出た。
刑事が突然訪ねてきても興味津々にこちらに関心を寄せる人間はいない。
渡辺を呼びに来た院生仲間も今はパソコンに向き合っている。
他人のことよりも自身の研究で頭がいっぱいな人間がこの研究棟には集まっている。
『君の後輩の青木渡くんとは最近会ったかい?』
『青木ですか? いや……アイツとは専攻が違うので同じ学部でも滅多に顔を合わせないですね』
『そうか……』
『青木が何かやらかしたんですか?』
工学部の学生で沢井あかりと顔見知りの人間にひとりだけ心当たりがある。渡辺が学部生時代に所属していたミステリー研究会には青木とあかりも所属していた。
もしかしたらあかりは青木に会いに来たのかもしれない……そんな漠然とした想像が浮かんだ。
『渡辺くんは美月ちゃんの大学の事件のことは……』
『隼人から聞いてます。美月ちゃんも今は静岡の叔父さんの所に行ってるって。まさかその事件に青木が?』
『今のところ断言はできない。今日、青木くんは学校に来ていないようだ。もしも青木くんを学校で見かけたらすぐに連絡して欲しい』
『わかりました』
渡辺は頷いた。
あかりがここに来たことは上野警部には黙っていることにした。きっとそれが自分にできるあかりへの最後の愛情の形だと、何故かはわからないがそう思えたのだ。