ルイーズの献身~世話焼き令嬢は婚約者に見切りをつけて完璧侍女を目指します!~
始動
両親に思いを語った翌日、ルイーズは父親から侍女科への転科を認めてもらえた。
話し合いの後、執務室で起こったであろうことを知らないルイーズは、少しばかり戸惑ったがルーベルトとエイミー、そしてトーマスに感謝した。
ルイーズは、いつもより早い時間に学院へ到着すると、教室に入り準備を整えてから事務室へと向かった。
事務室へ続く廊下は、控えめな光に包まれ、ガラスシェードの照明と窓から差し込む微かな光が床のモザイク柄を照らしている。
乳白色の壁にこげ茶のドアが調和して、廊下全体に凛とした空気が漂っている。
部屋からは教員の声が聞こえてきた。
ルイーズは昂ぶる気持ちを抑えつつ、ドアをノックした。
「お入りください」
ルイーズは「失礼いたします」と言いながら部屋に入った。
「おはようございます。早くから申し訳ございません。本日は事務手続きに関する書類を頂きたく参りました」
丁度よく、淑女科の教員がいたようだ。
「何の書類かしら」
「淑女科から、侍女科に転科するための書類です」
教員は、戸惑いながらルイーズに尋ねた。
「ブランさん、あなたは確か、婚約者がいたわよね」
「はい。まだ、手続きの最中ですが、婚約は白紙になります」
「そうだったの……。それは残念だったわね」
「先生、お気遣いありがとうございます。でも、婚約のことでしたら気にしないでください」
「———そう、わかったわ」
「もしかして、成績の関係で転科出来ないということもありますか?」
「転科に関しては断定はできないけど、成績に関しては大丈夫だと思うわ。あとは面接ね。それから、このことを御両親はご存じなのかしら?」
「はい、存じております。転科することにも許可をもらえました」
「——そう。それなら、面接だけど……侍女科の先生の予定を確認してからになるわね」
そんなやり取りを、離れた場所から見ていた人物がいた。
「ソフィア先生、少しよろしいかしら」
「院長先生、どうされましたか?」
「その面接、今から三人で行いましょう」
「よろしいのですか? 他の先生方は……」
「大丈夫よ。成績はクリアしているのよね? それにしばらくの間、他の先生たちの予定が空かないと思うわ」
「……。そうですね、分かりました。それから、ブランさんの成績については大丈夫です」
三人は、部屋の隅にある対面のソファーに腰掛けて話し始めた。
ルイーズは、二人からの質問に対し、答えられることには全て答えた。そして、婚約が白紙になってから今日までのことを正直に打ち明けた。
全て聞き終えた院長は、ルイーズと目を合わせると穏やかな口調で伝えた。
「そう、決意は固そうね。それなら、私からは一つだけ……中々に難しいことだけど、今の気持ちを持ち続けて。その気持ちを忘れなければ、大丈夫よ」
「——はい」
ルイーズは、院長の温かな人柄に包まれて安堵した。
「それでは、侍女科への転科をお認めになるということでよろしいですね、院長先生」
「はい、許可します」
院長はルイーズに許可を伝えると、ソフィア先生を見て頷いた。
「かしこまりました。それではブランさん、そろそろ時間ですから、教室に戻るように」
「はい、ありがとうございました」
ルイーズは、二人にお辞儀をすると事務室を後にした。
今日この場で許可がでるとは思わなかったのだろう。ルイーズは、新しい道を歩み始めることに、胸の高鳴りを抑えられずにいた。
事務室から教室へ戻ったルイーズは、エリーを見つけるとすぐさま近くへ駆け寄った。
「ルイーズ、おはよう。どうしたの、何かあったの?」
「エリー、おはよう。今、事務室に行ってきたの。急遽、院長先生とソフィア先生に面接をしていただけることになって、そこで転科の許可をもらったわ」
「えっ、もう面接をしたの? 早いわね……でも、嬉しい」
その時、始業の鐘が鳴り、二人は急いで着席した。その日は嬉しさのあまり、二人はそわそわと落ち着かない一日を過ごした。
♢
屋敷へ戻ったルイーズは、出迎えてくれたトーマスとローラ、そして御者のモーリスに、学院から転科の許可が出た事を伝えた。
今日は父親が仕事で屋敷にはいない。
ルイーズは、母親の部屋に行っても大丈夫かローラに確認を取ると、弟妹の元へ向かった。
「リアム、ミシェル、ただいま」
「姉上、お帰りなさい」「ねえたま、おかえり」
ルイーズは、笑顔で出迎えた二人を同時に抱きしめた。キャッキャと喜ぶミシェルに、何かあったのかと心配するリアム。
「急にごめんなさい。今日は嬉しいことがあったの」
リアムは安心したのかほっとした表情だ。
「嬉しいことなのですね、それなら良かったです」
「ねえたま、うれしいの? よかったね」
「二人ともありがとう。また後でお話しましょうね。それから……約束をしたお茶会だけど、三人でお菓子を作るでしょう? その時に、二人が食べたいと思うお菓子を後で教えてくれる?」
「はい。それならミシェルと考えておきます」
「ミシェル、ケーキたべたい」
「そう。それなら、どんなケーキが食べたいか、後でお姉さまに教えてね。リアムもね」
「わかりました」「うん、わかった」
二人と約束を交わし部屋を出ると、廊下でローラが待っていた。マーサに確認をして、こちらに知らせてくれたようだ。
ルイーズは部屋で待っているエイミーの元へ急いで向かった。部屋の前に着くとドアをノックする。
「お母様、ルイーズです」
「どうぞ、入って」
部屋に入ると、エイミーはソファーに腰掛けていた。ルイーズもソファーへ座るように促され、エイミーの隣に腰を下ろした。
「お母様、昨日はありがとうございました。お父様に口添えしてくださったのでしょう?」
エイミーは頷きながらルイーズに視線を合わせた。
「お父様は、貴女に苦労してほしくないとおっしゃっていたわ。親として、その気持ちもわかるの。それに、お父様には当主としての責任もある。だから、あのような言い方をしてしまったの。それだけは分かってあげてね」
「はい」
エイミーは穏やかな表情になると、「でもね」と言いながら話し出した。
「ルイーズが『新しいことに挑戦したい』と言ったとき、とても嬉しかったの。私は、学生の時に興味を持つことがあっても、何もせずにその思いに蓋をしたわ。〈貴族令嬢として〉、その思いが強かったのね。時代が許さなくても、何かできたはず……。今なら、そう思うわ。だから三人には、自分の気持ちを大切にしてほしいと思っているの」
〈貴族令嬢として〉それを聞いたルイーズは、この数日間、自身も何度そのことを考え、悩んだかを思い出した。だから、母親が自分の思いに蓋をしたことも良くわかる。それでも、母は自分のことを応援してくれている。ルイーズは、母親に感謝した。
「お母様ありがとう。私、頑張るわ」
頷き返すエイミーに、ルイーズは今日の出来事を話し始めた。
「今日は、転科手続きのために事務室に行きました。そうしたら、淑女科のソフィア先生と院長先生が、その場で面接をしてくれたんです。本当は、他の先生も交えて面接を行うそうですが、三人で面接をして、その場で転科することを許可してもらえました」
「そう、それは急展開ね」
「はい。その後、院長先生から『中々難しいことだけど、今の気持ちを持ち続けて。その気持ちを忘れなければ大丈夫』とお言葉をいただきました。院長先生と対面でお話することは初めてで緊張しましたが、とても嬉しかったです」
「そう……、院長先生が……」
エイミーは、昔を懐かしむような表情で話し始めた。