千代子と司 ~スパダリヤクザは幼馴染みの甘い優しさに恋い焦がれる~
その夜、買って来た惣菜を同じく買って来たばかりの仕切りのある皿に一人前ずつ移しながら「ごめんなさい」と誘惑に勝てなかった事を司に謝罪する。
「昼からも出掛けて疲れていただろうし、買って来た物だって私は全然構わないよ。美味しそうだったんだろう?」
「あまりそっちの方を見ないようにしていたんですけど……いい匂いがするし、どれもキラキラしていて」
「彼らはそれが商売なんだから、ね。マーケティング戦略としては大成功だ」
笑っている司にしょぼしょぼしながらも鮮やかな色合いのサラダ惣菜や大きなシュウマイなど和洋折衷、誘われるままに購入した惣菜を三つ仕切りの皿に盛りつける。以前から司が遅い日、おかずを盛り合わせて冷蔵庫にしまっておく時など水分がどうしても他の料理に付いてしまうのを気にしていたところ今日、ちょうど良さそうなサイズの皿を見つけて購入したのだが早速、使われる事になった。
昼は横並びに、夜には向かい合って座る二人。
「実は、明日の朝のパンもあるんです……」
「じゃあ少し早起きして食べてから行こうかな」
本当に申し訳なさそうにしている千代子が可愛くて、普段はコーヒーと千代子が冷凍庫にストックしている甘さのない小さなパンケーキ二枚だけで朝食を済ましてしまう司が「どんなパンにしたの?」と聞いてくれるので千代子はそれが焼き立てで、と話を始める。
キッチンで軽く片付けをしていた千代子に「今日はありがとう」と声を掛ける司は「眠くなるまで、私の話をしても良い?」と寝室に誘う。
もちろんです、と片付けを切り上げてそのまま眠ってしまえるように身支度をした千代子がリビングの明りを落とし、司の書斎兼寝室を訪れる。
大きなベッドに横になって「眠かったら寝ちゃっていいから」と司は千代子を隣に置いて自分が伯父の養子となり育った事や社会の裏側でもそれなりの立場がある事を時系列に沿って千代子に聞かせる。
そして今の生活がとても充実している事、千代子が二人で暮らしやすいように工夫をしてくれている事、それに伴って多くの気を遣わせてしまっているのではないのかと言う心配も言葉にする。遅く帰る夜も多く、家事にほとんど参加出来ていない事。自分が同棲をお願いしておきながら寂しい思いをさせているのではないか、と言う正直な思いも口にする。
「司さんは優しすぎます。あと私より心配性だとも思うんです」
「いや……私が、そうしたいんだ」
それは司にとって“ちよちゃん”が初恋の人だったから。どうしても、忘れられなかった。
司が本家今川の養子となる道を選んだのは色々と気に掛けてくれていた伯父の進に対する恩義の他にも本当に強い人間とはどういった人間なのか、と自分の目で確かめたかった部分も多分にあった。
今は義父である進に子供時分、強い人間がなんたるかをやって来るたびに言い聞かせられ続けていたせい……その時は本当に年齢も思考もまだ子供であり、深く考える事が出来なかった司。直系組長ではない三次団体の組長でしかない父親である修の姿がどうしても弱く見えてしまっていた。
何故、今川の名を使って成り上がろうとすれば出来た事を実父はしなかったのだろうか。
思春期を迎え、ますます膨らむ疑問と答えようとしない父親。
世間に迷惑をかけて来た極道者として、もう古い仕来たりから抜け出して集団でありながらも真っ当な、道を外れてしまった者達にももう一度やり直せる場を、と新しい道を作ろうと奔走していた伯父の姿は司にはどうしても輝いて見えてしまっていた。
連合の若頭の座も、その道を進む為に必要なだけであり、伯父はその座にこだわってなどいなかった。その手腕から会長ともなりえたがそれは兄弟分の中津川に任せ、その下で躍進し続けた。
「松戸の会社もね、小さな事から着実に社会経験を積ませる為の場でも……寝ちゃったか」
気が付けば瞼を閉じ、すうすうと寝息を立てている千代子がいた。
はたしてどこまで聞いてくれていたのかは分からないが……穏やかな表情をして隣で眠っているのならそれでいい。一緒に暮らしているのだからいつでもこの話の続きは出来る。
司は、自分の方を向いて横になって眠っている千代子の顔の近くでゆるく重ねられていた指先を片手でそっと覆うように握りこむ。
(小さい……)
昔と変わらず、千代子のこの手は自分を癒してくれる。
殴られた傷を、血が滲んでいたような深い傷を臆することなく手当てをしてくれた手は今も変わらず自分に優しい。
だから、二度と離れてしまわないように。
(諦めてはいけない。やり遂げなくては……)
たとえ自分に災厄が降り掛かろうとも千代子だけは守りたい、とそんな思いを司が強く抱くのには理由があった。
遡ること数時間前。食事会の後にオフィスに戻った司たちの元には連合本部から本部総会開催の知らせが入っていた。
今度こそ会長個人からの呼び出しでは無く、直参組長やそれに準ずる組長代行や若頭、二次昇格を待つ三次団体の組長が一挙に集まる半年に一度の定例会議の場、なのだが……。
穏やかに眠る千代子の手を握る司の目が少しだけ光を失い……そろそろ覚悟を持って行動をしなければならない局面に息を吸い込み、細く長く吐き出す。
どうかこの先、無事に全てが終われるように。
片手で覆えてしまうような千代子の両手。眠り始めたせいかぽかぽかと温かい千代子の体温が覆っている手のひらから司へと移り、この何気ない幸せな時間がずっと続くようにと心のなかで祈る。
そんな気持ちに少し強く握り込んでしまえばまだまどろみだったのか少しだけ瞼を開けた千代子がぼんやりと重なる手を見ているようだったが司が「おやすみ」と言葉を掛ければまた瞼は安心したようにそっと閉じられる。
しかし、二人だけの穏やかな時間に影を差すようにマンションの周辺では数台の作業車を装った正体不明のワゴン車がぐるぐると巡回を始めていた。