SPRING
二人だけの秘密
その日俺はベッドに横になったまま動けなかった。今はとにかくこの現実から目を背けたかった。
(彩花さん…よりによって社長だなんて。そんな、あんまりだよ。確かにおかしいとは思った、彩花さんみたいな人があんな旅館に働きに来るわけがないよ。あの変態バカ社長、よりによって18歳の子に手を出すとは、なんて野郎だ。)
次の日、二日連続で学校を休んだ俺を心配したのか、堺から電話があった
「和泉、元気~?」
こっちが落ち込んでるというのに呑気なやつだ。
「全く元気じゃないね」
「あーそう、昨日彩花さんがね、和泉に話したいことがあるって言ってたんだけど、今日バイトに来るのは厳しそうだね。」
「えっ」
「まあ、体調悪いときは無理せず休んだ方がいいよ、じゃあね」
「待て、うーんなんか元気になってきたなー、今日は行けるかもしれない」
「へー学校休んだのに、バイトには行けるんだ」
「うっうるさい!とにかく今日俺は行くからな!」
もう彩花さんと普段通りに話せそうにないが、本人が話したいことがあるといっているなら会いに行くしかない、まあ大体の見当はついているが。
「和泉君」
堺と更衣室で着替えを済ませると、後ろから声をかけられた。
「彩花さん…」
「ちょっとこっちに来て」
俺はあとをついていった、彩花さんは人気のない廊下で止まった。
「和泉君、あのね、この前のことなんだけど」
「もうわかってます、堺や女将さんには内緒にしておきますよ」
「あら、分かってるの?本当に?」
「ええ、すべて」
(もしかしてお父さんから聞いたのかしら、なら誤解してるってことなさそうね)
「じゃあお願いね」
「ええ、彩花さんがまさか、まさか…」
「まさか?」
「社長とそういう仲だったなんて!知らなかったです!僕の口から言うことは何もありません!彩花さんが幸せならそれでいいです!」
「ってもう!あなた何も分かってないじゃない!」
「えっ」
彩花さんは怒った顔でこっちを見ていた、そしてやたら周囲を気にして
「和泉君、耳貸して」
「はい?」
「実は...」
「えっ…」
「ということからここだけの秘密にしてね」
「えっええーーーーー!!?」
和泉「フンフフーン♪」
堺「今日はいつにもなく楽しそうだな」
「堺、君は彩花さんがなぜあの旅館で働いているか知ってるか?」
「さあ、確かに不思議だよな、あんなに美人でお金持ちの人が」
「フフン♪君は彩花さんのこと何にも知らないんだな」
みさき「ちょっと!もったいぶらないで早く教えなさい!」
「どうせ和泉のことだ、きっと彩花さんのパンツがちらっと見えたとかで一人で興奮してるんだろ」
「えーキモいんですけど」
「なっなんでそうなるんだ!」
「じゃあ俺らにも教えてよ」
「そうそう、キモいレッテルを貼られたくないんだったら言いなさい」
「仕方ない、いいか二人とも、絶対に誰にも言うなよ」
二人は俺の口元に耳を傾けた。
女将さん「彩花さんは小田原からここまで来ているのよね」
「はい、そうです」
「毎日熱海までくるのは大変でしょ、よかったら住み込みで働いたらどう?相部屋になっちゃうけど部屋なら用意できるわよ、家賃もかからないし」
「ほんとですか!?それはすごく助かります!」
(毎日ロールスロイスで通っているようじゃ周りに気づかれるのも時間の問題だわ、ここは少しでも怪しまれないように振舞うべきね)
彩花はいつも周りから気づかれぬよう、わざわざ旅館の手前で車から降り、あたかも駅から歩いてきたように振舞っていた。
「もう毎月生活カツカツで大変なんですよ!」
もちろん、湯浅野グループの社長令嬢である彩花は、お金に困りスーパーの店員が半額シールを張るまでお惣菜を凝視している者とは違い、欲しいものは何でもかごに入れてきた人だ。お年玉が100万をきった年は一度もないし、お寿司は回らないものしかないと信じて疑わない。
次の日
女将さん「部屋に案内するわね、相部屋の人はね、ついこの間まで働いてた子なんだけどまた戻ってきたのよ、どうやら就職した会社でうまくいかなかったみたいで」
彩花「・・・」
(ちょっと待って、よくよく考えたらこんな狭い部屋で二人きりだなんて…やっぱりイヤかも)
400坪8LDKのお屋敷、自分の部屋だけで十二畳ある彩花にとって、六畳一間で共同生活など、すぐには受けられるものではなかった。
女将さん「ここよ」
ガタッ
女将さん「美紀ちゃん!入るわよ!」
彩花(随分散らかってるわね、この部屋)
床にはくしゃくしゃになった服、ビリビリなった雑誌、机には食べかけのカップラーメン、飲みかけのペットボトル、化粧道具が散らばっている。
奥にある布団がモソモソと動いた。
女将さん「美紀さん!あなた16時から出番でしょ!今何時だと思ってんの!?」
美紀「うっうーん...」
美紀「何してんの?女将さん」
布団の中から、ショートカットの子がひょこりと顔を出した。女将さんの後ろで呆然と立ち尽くす私を見て、
美紀「後ろの子誰?」
女将さん「最近入った子よ、今日からこの部屋であなたと一緒に生活することになるから、部屋片づけときなさいよ!いいね?」
彩花「よろしくお願いします!って女将さん!今日からなんて聞いてないですよ!」
女将さん「あら、さっきお父様から電話があったわよ、娘を今日からよろしくお願いしますって」
彩花「ええー!」
ダダダダッ
女将さん「ちょっと!彩花ちゃん!どこ行くの?」
ガタンッ
社長「彩花!今ちょうど呼ぼうとしてたんだ」
「ちょっと!なんで私が勝手に住み込みで働くこと決めちゃうの?私はまだ決めたわけじゃないのに。」
「えっ?女将さんは彩花が是非そうしたいそうだと言ってたぞ」
「そっそれは、昨日はそう思ったけで今日気持ちが変わったの!」
「そんなこと言われてもな、ホレ、もう荷物来ちゃったし。」
社長室の片隅に段ボール箱が積んであった。
彩花は大きなため息をついた。
ガタッ
「あっ戻ってきた、女将さん探してたよ。」
「あなた、美紀さんね。」
「うん、そうだけど」
「今日からこの部屋で暮らすことになったから、部屋半分貸してちょうだい。」
「それはいいけど、お前それでいいのか?」
彩花は少しイライラした様子で部屋を片付け始めた。美紀は突然のことで彩花のことをただ茫然と見ていた。彩花は着替えを済ませると早々に寝てしまった。
翌朝
「美紀さん、仕事に遅れますよ、起きてください!」
「うっうーん」
「ふぁーあ、よく寝た。」
美紀はほぼ下着姿で布団から出てベランダに出た。
「ちょっちょっと!そんな格好で外に出ないでよ!」
「大丈夫だよ~誰もいないし」
「ダメ!」
彩花は美紀を急いで部屋に引き戻しカーテンを閉めた。
「そんな女将さんみたいなこと言うなよな」
俺と堺は後ろからいきなり肩をつかまれた
「よう!お前たち久しぶりだな。」
和泉「美紀先輩!どうしてここにいるんですか?」
堺「確かこの辺の会社に就職したって言ってましたよね。」
「いやーそうなんだけどよ、なんか合わなかったからなー。半年でやめちったよ、だからまた戻ってきたって訳。ガハハハッ」
豪快に笑う先輩に俺たちは苦笑いするしかなかった。
美紀先輩は俺たちがバイトするずっと前から住み込みで働いていた。22歳の時このあたりにある食品加工会社に就職して以来その姿を見ることはなかった。
美紀「そういえば昨日からうちの部屋に金髪の女の子が来たけど…二人は知ってるか?」
堺「というと?」
「ほら、あそこにいる子」
美紀先輩はロビーのカウンターにいる彩花さんを指さした。
和泉「ああ、彩花さんのことですか」
「彩花っていうのかあの子」
和泉「彩花さんはね」
美紀「うん」
「いや、まあ何でもないです。ただ最近入っただけの人ですよ。」
「なんだその言い方!堺、こいつ何か隠してるだろ」
「和泉に絶対に言うなと言われてるので、僕の口からは何も言えません。」
「おい!余計なこと言うな!」
「和泉君、隠し事は良くないなー。うちに教える気がないならこっちにも手があるぞ」
美紀先輩はにやりと笑った。
「和泉君、君はいつも19時から19時半の間何をしているんだ?」
和泉(ギクッ)
堺「確かに、その時間いつもいないよな、女将さんも言ってたよ、和泉を探してるけど、どこにもいないって」
「いやそれは...トイレでも行ってたんですよきっと…」
「和泉君、そんな言い訳が通用するとでも思ってるのかね?」
「さぼってたんだろ、お前。」
和泉「…」
美紀「女将さんが知ったら怒るだろうなー、あの人怒らせると怖いぞー。」
(クソッしかし、こんなことで俺のささやかな楽しみを失うわけにはいかない!)
和泉「わっわかりましたよ、でも先輩、ほかの人には絶対に言わないでくださいよ。」
美紀「分かってる分かってる、うち口だけはマジで固いから。」
社長「・・・」
社長「7時だ、そろそろ来るな。」
ガタッ
和泉「失礼します」
社長「ジュニア」
「社長~元気?」
「今日は何するの」
「今日はこれじゃ」
社長はニコニコしながら机の引き出しからゲームソフトを出した。
「好きだねーそれ」
「社長そっち敵いる!さがってさがって!」
「えーどこ?どこじゃ?」
「ほら、丘の上!」
「ああっやられた!ジュニア!そういうことは早く言わないとだめじゃろ」
突然のことで驚いたかもしれない。実はこの時間俺は社長とつかの間の休息を楽しんでいたのだ。この関係は以前女将さんとこの部屋に入った時、机にあったゲームソフトを見て、「あーそれ俺もやってます社長!」といったことがきっかけで始まった。女将さんは青ざめた顔で謝っていたが、社長は心底嬉しかったらしい。
和泉「ていうかさ、社長、いつもあんなに偉そうにしてたらみんなから嫌われるよ。」
社長「何を言っているのかね!?実際に私は偉いんじゃ。少し怖がられているぐらいがちょうどいいのじゃ。」
「そうなのかな~、なんか引くに引けなくなってるようにしか見えないよ」
「そっそんなことはない!わしの威厳は保たれてるわい」
「そうだ、ジュニア、彩花と私の関係のことは誰にも言っていないだろうな⁉」
「えっええ!もちろん」
和泉(ああ堺はまだしも美紀先輩が心配だ...)
「頼んだぞ、本当はジュニアにも内緒にしとこうと思ってたんだからな」
「でも、なんで内緒にしなきゃいけないの?別に隠すようなことじゃないと思うけど。」
「彩花にはいずれこの本館の女将になってもらうからだ、社長令嬢だと分かり、周りからおべっかを使われたら立派に育たないだろ、これは彩花のためを思ってのことなんだ」
和泉(社長、本気で彩花さんに後を継がせる気なんだな、でも彩花さんはそんなこと望んでいないんじゃ…)
社長室を出ると後ろから声をかけられた。
「和泉君」
振り返ると彩花さんが満面の笑みでこっちを見ていた
「パパとゲーム終わったかしら?」
「えっええ今…」
和泉(笑顔だけど目が笑っていない、ダメだ、完全に怒っている)
「じゃあちょっとこっちにいらっしゃい。」
「あれほど内緒にしてって言ったのに何で約束を破るの!?どうしてくれるのよ!?」
「そっそんな、俺はこの二人にしか言ってません!どうしてこんなに広まっているんだ!?」
堺「自分は誰にも言ってないよ」
美紀「とりあえずうちは今日当番同じだった子にしか言ってないけどな~。おかしいな~絶対に誰にも言わないでねって言ったんだけどな~。」
「言ってるじゃないか!きっとそこから同じようなやりとりが繰り広げられて、噂が広がったんだよ。」
彩花は和泉のことをにらみつけた。
「違うんです、彩花さん、美紀先輩が…」
「はあ、もういいわ」
「えっ」
「もうそうなってしまったんだから、仕方ないでしょ」
和泉(なんだ、そこまで怒っていないじゃないか、大丈夫そうだな)
「とにかくまだ女将さんにはまだ知られてないから二人とも絶っつ対に言っちゃダメよ!」
和泉「え~今更もう無理ですよ~言っちゃいましょうよ~」
「ダメッ!」
美紀「それに絶対に言うなって言われると...」
和泉「言いたくなるよね~」
美紀「ね~」
「ダメっていってるでしょ!」
その時、女将さんが廊下を通りかかった。
和泉「あっ女将さん!」
「あっ待ちなさい!」
「どうしたの和泉君?」
「実は」
「実は彩花さんが…」
「彩花ちゃんがどうかしたの」
「おっ女将さん!私はどうもしてません!元気ですよ!」
「はっはあ」
「用もないのにいきなりなんですか。あなたたちも仕事中ですから手を動してください。」
女将さんはあきれるようにその場から立ち去った。
和泉「どうしたんですか?そんなに興奮しないでください。」
彩花「ちょっと!からかうのもいい加減にしなさいよ!もし言ったらただじゃおかないわよ!」
「ダイジョブ!ダイジョブ!言わなきゃいいんでしょ言わなきゃ。」
「フンッ!」
湯浅野旅館本館のロビーには屋上5階まで吹き抜けの中庭がある。庭に植えられた木々や花は春夏秋冬に合わせて色づくようになっている。
「和泉君、そんなとこで突っ立ってないで、手を動かしてください。」
女将さんがガラス越しに注意してきた。
「女将さん、申し訳ございません。でももう少しだけここで春の訪れを待ちわびる、梅の花のつぼみを見て気を紛らわせたいのです。女将さん、僕は今、深刻な悩みを抱えているんです。」
女将さんはあきれるような目つきで見ていた。
「あら、とてもあなたに悩みがあるようには見えませんけどね。」
「それは偏見です!僕にだって夜も眠れなくなるほどの悩みがあるのです。女将さん、私の大いなる悩みを聞いてくれますか?」
女将さんは裏のドアから中庭に入り近寄ってきた。
「まあとりあえず言ってごらんなさい。」
「私はある人の重大な秘密を知ってしまったのです。」
「それはそれは」
「でもこのことは誰にも話してはいけない!そうやって自分に言い聞かせながら今までずっと隠してきました。」
「ならこれからもそうすればよいのでは?」
「もう限界です!これ以上秘密にしていては私の胸がはちきれてしまいます。もうこの場で声を大にして言ってしまいたい! 」
「まあ、あなたが何を叫ぼうと勝手ですが」
「ですが?」
「さきほどから後ろでにらみを利かせている方がいらっしゃるみたい、 これ以上にらまれるとわたくしも胸がはちきれそうでございます。」
「えっ」
彩花さんは中庭のガラスに張り付いて俺のことをにらんでいた。
「いっいやだな、女将さん、アハハ、この話はまた今度にしましょう、アハハ」
着替えを済ませ更衣室を出ると彩花さんがいた
「彩花さん、お疲れ様です!女将さんには何も言ってないですよ。だから安心してくださ」
「だから?」
「えっ?」
「だから何だって言うのよ!もう女将さんに限らずみんなに言いふらせばいいじゃない!」
そう言うと彩花さんは早足で行ってしまった。
「あっちょっと…」
「…」
翌日
部活が終わった後、ベンチでもたれかかっていた俺の隣に堺が座ってきた。
「はーあ」
昨日の怒った彩花さんの後ろ姿が、頭に浮かんだ。
「だいぶ落ち込んでるな」
「完全に怒らせちゃったな、俺」
「まだ怒ってるかな?合わせる顔がないな。」
(彩花さんも彩花さんだ、ちょっとからかっただけなのにそんなに怒ることないじゃないか)
みさき「フフフ」
「何がおかしんだよ」
み「やっぱあんた好きなんでしょ、彩花ちゃんのこと」
「…」
「和泉って昔から、好きな子に意地悪しちゃうからねー」
「別に、そんなつもりじゃ…」
「でもそんなことしてたら、いつか嫌われちゃうよ」
「…」
そのまま家に帰りたかったが、俺はしぶしぶ旅館に向かった。着替えを済ませると、フロントから怒号が聞こえた。
「おい!いつになったら部屋には入れるんだ!?一体何分待たせる気だ!?」
彩花「申し訳ございません。ただいま、お部屋の準備をしておりますのでお待ちください。」
客「責任者はどこにいるんだ?お前じゃ使えないから早く呼んで来い!」
彩花さんは客の気迫で半泣きだった。こういう時、いつもは女将さんが場を収めるが何故か今日はいない。
和泉「…」
和泉(いっ行くしかない!)
和泉「お客様、こちらの不手際で迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません。」
彩花(…)
俺はとりあえず、その客をラウンジに案内し、飲み物や軽食を出してもらってその場をしのいだ。お客さんの機嫌も少しは良くなってとりあえず一件落着であった。
結局俺は彩花さんに話しかけることができず、やるせない気持ちのまま時間だけが過ぎ、終業となった。
更衣室を出ると声をかけられた。
「和泉君」
「彩花さん」
「さっきは、ありがとう」
「…」
「じゃあ」
「あっ彩花さん!」
「?」
「昨日は、ごめんなさい、僕が少しからかいすぎました。」
彩花「…」
「べっ別に」
彩花さんはそっぽを向いた
和泉「えっ」
彩花「私は、全く、気にしてないけど」
和泉(昨日はあんなに怒ってたのに…もしかしてさっきの件でチャラにしてくれたのか?)
彩花さんは相変わらずそっぽを向いて目を合わせない。
女将さん「和泉君、大事な話があるんですってね?」
和泉「ああ!女将さん!もうそれは解決しまし」
女将さん「こっちも和泉君に大事な話があるんです。」
和泉「えっ?」
女将さん「彩花さんから聞きました!あなたいつも社長室に隠れてゲームしていたそうですね!どういうことですか和泉君!?罰として今日から1カ月、中庭の掃除をしてもらいます!終わるまで帰しませんからね!」
堺「じゃあな和泉」
美紀「頑張れよ、掃除」
和泉「おい!誰のせいでこんなことになったと思ってるんだ!帰るなよ二人とも!」
二人に少し遅れて彩花さんが来た
「じゃあね和泉君!また明日!」
彩花さんは笑顔で手を振り旅館から出ていった。
(ちっ!何が「別に、まったく気にしてないけど」だよ!めちゃくちゃ気にしてるじゃないか!)
彩花(フフッ、ちょっと優しくされたぐらいじゃ、許さないわよ)
(彩花さん…よりによって社長だなんて。そんな、あんまりだよ。確かにおかしいとは思った、彩花さんみたいな人があんな旅館に働きに来るわけがないよ。あの変態バカ社長、よりによって18歳の子に手を出すとは、なんて野郎だ。)
次の日、二日連続で学校を休んだ俺を心配したのか、堺から電話があった
「和泉、元気~?」
こっちが落ち込んでるというのに呑気なやつだ。
「全く元気じゃないね」
「あーそう、昨日彩花さんがね、和泉に話したいことがあるって言ってたんだけど、今日バイトに来るのは厳しそうだね。」
「えっ」
「まあ、体調悪いときは無理せず休んだ方がいいよ、じゃあね」
「待て、うーんなんか元気になってきたなー、今日は行けるかもしれない」
「へー学校休んだのに、バイトには行けるんだ」
「うっうるさい!とにかく今日俺は行くからな!」
もう彩花さんと普段通りに話せそうにないが、本人が話したいことがあるといっているなら会いに行くしかない、まあ大体の見当はついているが。
「和泉君」
堺と更衣室で着替えを済ませると、後ろから声をかけられた。
「彩花さん…」
「ちょっとこっちに来て」
俺はあとをついていった、彩花さんは人気のない廊下で止まった。
「和泉君、あのね、この前のことなんだけど」
「もうわかってます、堺や女将さんには内緒にしておきますよ」
「あら、分かってるの?本当に?」
「ええ、すべて」
(もしかしてお父さんから聞いたのかしら、なら誤解してるってことなさそうね)
「じゃあお願いね」
「ええ、彩花さんがまさか、まさか…」
「まさか?」
「社長とそういう仲だったなんて!知らなかったです!僕の口から言うことは何もありません!彩花さんが幸せならそれでいいです!」
「ってもう!あなた何も分かってないじゃない!」
「えっ」
彩花さんは怒った顔でこっちを見ていた、そしてやたら周囲を気にして
「和泉君、耳貸して」
「はい?」
「実は...」
「えっ…」
「ということからここだけの秘密にしてね」
「えっええーーーーー!!?」
和泉「フンフフーン♪」
堺「今日はいつにもなく楽しそうだな」
「堺、君は彩花さんがなぜあの旅館で働いているか知ってるか?」
「さあ、確かに不思議だよな、あんなに美人でお金持ちの人が」
「フフン♪君は彩花さんのこと何にも知らないんだな」
みさき「ちょっと!もったいぶらないで早く教えなさい!」
「どうせ和泉のことだ、きっと彩花さんのパンツがちらっと見えたとかで一人で興奮してるんだろ」
「えーキモいんですけど」
「なっなんでそうなるんだ!」
「じゃあ俺らにも教えてよ」
「そうそう、キモいレッテルを貼られたくないんだったら言いなさい」
「仕方ない、いいか二人とも、絶対に誰にも言うなよ」
二人は俺の口元に耳を傾けた。
女将さん「彩花さんは小田原からここまで来ているのよね」
「はい、そうです」
「毎日熱海までくるのは大変でしょ、よかったら住み込みで働いたらどう?相部屋になっちゃうけど部屋なら用意できるわよ、家賃もかからないし」
「ほんとですか!?それはすごく助かります!」
(毎日ロールスロイスで通っているようじゃ周りに気づかれるのも時間の問題だわ、ここは少しでも怪しまれないように振舞うべきね)
彩花はいつも周りから気づかれぬよう、わざわざ旅館の手前で車から降り、あたかも駅から歩いてきたように振舞っていた。
「もう毎月生活カツカツで大変なんですよ!」
もちろん、湯浅野グループの社長令嬢である彩花は、お金に困りスーパーの店員が半額シールを張るまでお惣菜を凝視している者とは違い、欲しいものは何でもかごに入れてきた人だ。お年玉が100万をきった年は一度もないし、お寿司は回らないものしかないと信じて疑わない。
次の日
女将さん「部屋に案内するわね、相部屋の人はね、ついこの間まで働いてた子なんだけどまた戻ってきたのよ、どうやら就職した会社でうまくいかなかったみたいで」
彩花「・・・」
(ちょっと待って、よくよく考えたらこんな狭い部屋で二人きりだなんて…やっぱりイヤかも)
400坪8LDKのお屋敷、自分の部屋だけで十二畳ある彩花にとって、六畳一間で共同生活など、すぐには受けられるものではなかった。
女将さん「ここよ」
ガタッ
女将さん「美紀ちゃん!入るわよ!」
彩花(随分散らかってるわね、この部屋)
床にはくしゃくしゃになった服、ビリビリなった雑誌、机には食べかけのカップラーメン、飲みかけのペットボトル、化粧道具が散らばっている。
奥にある布団がモソモソと動いた。
女将さん「美紀さん!あなた16時から出番でしょ!今何時だと思ってんの!?」
美紀「うっうーん...」
美紀「何してんの?女将さん」
布団の中から、ショートカットの子がひょこりと顔を出した。女将さんの後ろで呆然と立ち尽くす私を見て、
美紀「後ろの子誰?」
女将さん「最近入った子よ、今日からこの部屋であなたと一緒に生活することになるから、部屋片づけときなさいよ!いいね?」
彩花「よろしくお願いします!って女将さん!今日からなんて聞いてないですよ!」
女将さん「あら、さっきお父様から電話があったわよ、娘を今日からよろしくお願いしますって」
彩花「ええー!」
ダダダダッ
女将さん「ちょっと!彩花ちゃん!どこ行くの?」
ガタンッ
社長「彩花!今ちょうど呼ぼうとしてたんだ」
「ちょっと!なんで私が勝手に住み込みで働くこと決めちゃうの?私はまだ決めたわけじゃないのに。」
「えっ?女将さんは彩花が是非そうしたいそうだと言ってたぞ」
「そっそれは、昨日はそう思ったけで今日気持ちが変わったの!」
「そんなこと言われてもな、ホレ、もう荷物来ちゃったし。」
社長室の片隅に段ボール箱が積んであった。
彩花は大きなため息をついた。
ガタッ
「あっ戻ってきた、女将さん探してたよ。」
「あなた、美紀さんね。」
「うん、そうだけど」
「今日からこの部屋で暮らすことになったから、部屋半分貸してちょうだい。」
「それはいいけど、お前それでいいのか?」
彩花は少しイライラした様子で部屋を片付け始めた。美紀は突然のことで彩花のことをただ茫然と見ていた。彩花は着替えを済ませると早々に寝てしまった。
翌朝
「美紀さん、仕事に遅れますよ、起きてください!」
「うっうーん」
「ふぁーあ、よく寝た。」
美紀はほぼ下着姿で布団から出てベランダに出た。
「ちょっちょっと!そんな格好で外に出ないでよ!」
「大丈夫だよ~誰もいないし」
「ダメ!」
彩花は美紀を急いで部屋に引き戻しカーテンを閉めた。
「そんな女将さんみたいなこと言うなよな」
俺と堺は後ろからいきなり肩をつかまれた
「よう!お前たち久しぶりだな。」
和泉「美紀先輩!どうしてここにいるんですか?」
堺「確かこの辺の会社に就職したって言ってましたよね。」
「いやーそうなんだけどよ、なんか合わなかったからなー。半年でやめちったよ、だからまた戻ってきたって訳。ガハハハッ」
豪快に笑う先輩に俺たちは苦笑いするしかなかった。
美紀先輩は俺たちがバイトするずっと前から住み込みで働いていた。22歳の時このあたりにある食品加工会社に就職して以来その姿を見ることはなかった。
美紀「そういえば昨日からうちの部屋に金髪の女の子が来たけど…二人は知ってるか?」
堺「というと?」
「ほら、あそこにいる子」
美紀先輩はロビーのカウンターにいる彩花さんを指さした。
和泉「ああ、彩花さんのことですか」
「彩花っていうのかあの子」
和泉「彩花さんはね」
美紀「うん」
「いや、まあ何でもないです。ただ最近入っただけの人ですよ。」
「なんだその言い方!堺、こいつ何か隠してるだろ」
「和泉に絶対に言うなと言われてるので、僕の口からは何も言えません。」
「おい!余計なこと言うな!」
「和泉君、隠し事は良くないなー。うちに教える気がないならこっちにも手があるぞ」
美紀先輩はにやりと笑った。
「和泉君、君はいつも19時から19時半の間何をしているんだ?」
和泉(ギクッ)
堺「確かに、その時間いつもいないよな、女将さんも言ってたよ、和泉を探してるけど、どこにもいないって」
「いやそれは...トイレでも行ってたんですよきっと…」
「和泉君、そんな言い訳が通用するとでも思ってるのかね?」
「さぼってたんだろ、お前。」
和泉「…」
美紀「女将さんが知ったら怒るだろうなー、あの人怒らせると怖いぞー。」
(クソッしかし、こんなことで俺のささやかな楽しみを失うわけにはいかない!)
和泉「わっわかりましたよ、でも先輩、ほかの人には絶対に言わないでくださいよ。」
美紀「分かってる分かってる、うち口だけはマジで固いから。」
社長「・・・」
社長「7時だ、そろそろ来るな。」
ガタッ
和泉「失礼します」
社長「ジュニア」
「社長~元気?」
「今日は何するの」
「今日はこれじゃ」
社長はニコニコしながら机の引き出しからゲームソフトを出した。
「好きだねーそれ」
「社長そっち敵いる!さがってさがって!」
「えーどこ?どこじゃ?」
「ほら、丘の上!」
「ああっやられた!ジュニア!そういうことは早く言わないとだめじゃろ」
突然のことで驚いたかもしれない。実はこの時間俺は社長とつかの間の休息を楽しんでいたのだ。この関係は以前女将さんとこの部屋に入った時、机にあったゲームソフトを見て、「あーそれ俺もやってます社長!」といったことがきっかけで始まった。女将さんは青ざめた顔で謝っていたが、社長は心底嬉しかったらしい。
和泉「ていうかさ、社長、いつもあんなに偉そうにしてたらみんなから嫌われるよ。」
社長「何を言っているのかね!?実際に私は偉いんじゃ。少し怖がられているぐらいがちょうどいいのじゃ。」
「そうなのかな~、なんか引くに引けなくなってるようにしか見えないよ」
「そっそんなことはない!わしの威厳は保たれてるわい」
「そうだ、ジュニア、彩花と私の関係のことは誰にも言っていないだろうな⁉」
「えっええ!もちろん」
和泉(ああ堺はまだしも美紀先輩が心配だ...)
「頼んだぞ、本当はジュニアにも内緒にしとこうと思ってたんだからな」
「でも、なんで内緒にしなきゃいけないの?別に隠すようなことじゃないと思うけど。」
「彩花にはいずれこの本館の女将になってもらうからだ、社長令嬢だと分かり、周りからおべっかを使われたら立派に育たないだろ、これは彩花のためを思ってのことなんだ」
和泉(社長、本気で彩花さんに後を継がせる気なんだな、でも彩花さんはそんなこと望んでいないんじゃ…)
社長室を出ると後ろから声をかけられた。
「和泉君」
振り返ると彩花さんが満面の笑みでこっちを見ていた
「パパとゲーム終わったかしら?」
「えっええ今…」
和泉(笑顔だけど目が笑っていない、ダメだ、完全に怒っている)
「じゃあちょっとこっちにいらっしゃい。」
「あれほど内緒にしてって言ったのに何で約束を破るの!?どうしてくれるのよ!?」
「そっそんな、俺はこの二人にしか言ってません!どうしてこんなに広まっているんだ!?」
堺「自分は誰にも言ってないよ」
美紀「とりあえずうちは今日当番同じだった子にしか言ってないけどな~。おかしいな~絶対に誰にも言わないでねって言ったんだけどな~。」
「言ってるじゃないか!きっとそこから同じようなやりとりが繰り広げられて、噂が広がったんだよ。」
彩花は和泉のことをにらみつけた。
「違うんです、彩花さん、美紀先輩が…」
「はあ、もういいわ」
「えっ」
「もうそうなってしまったんだから、仕方ないでしょ」
和泉(なんだ、そこまで怒っていないじゃないか、大丈夫そうだな)
「とにかくまだ女将さんにはまだ知られてないから二人とも絶っつ対に言っちゃダメよ!」
和泉「え~今更もう無理ですよ~言っちゃいましょうよ~」
「ダメッ!」
美紀「それに絶対に言うなって言われると...」
和泉「言いたくなるよね~」
美紀「ね~」
「ダメっていってるでしょ!」
その時、女将さんが廊下を通りかかった。
和泉「あっ女将さん!」
「あっ待ちなさい!」
「どうしたの和泉君?」
「実は」
「実は彩花さんが…」
「彩花ちゃんがどうかしたの」
「おっ女将さん!私はどうもしてません!元気ですよ!」
「はっはあ」
「用もないのにいきなりなんですか。あなたたちも仕事中ですから手を動してください。」
女将さんはあきれるようにその場から立ち去った。
和泉「どうしたんですか?そんなに興奮しないでください。」
彩花「ちょっと!からかうのもいい加減にしなさいよ!もし言ったらただじゃおかないわよ!」
「ダイジョブ!ダイジョブ!言わなきゃいいんでしょ言わなきゃ。」
「フンッ!」
湯浅野旅館本館のロビーには屋上5階まで吹き抜けの中庭がある。庭に植えられた木々や花は春夏秋冬に合わせて色づくようになっている。
「和泉君、そんなとこで突っ立ってないで、手を動かしてください。」
女将さんがガラス越しに注意してきた。
「女将さん、申し訳ございません。でももう少しだけここで春の訪れを待ちわびる、梅の花のつぼみを見て気を紛らわせたいのです。女将さん、僕は今、深刻な悩みを抱えているんです。」
女将さんはあきれるような目つきで見ていた。
「あら、とてもあなたに悩みがあるようには見えませんけどね。」
「それは偏見です!僕にだって夜も眠れなくなるほどの悩みがあるのです。女将さん、私の大いなる悩みを聞いてくれますか?」
女将さんは裏のドアから中庭に入り近寄ってきた。
「まあとりあえず言ってごらんなさい。」
「私はある人の重大な秘密を知ってしまったのです。」
「それはそれは」
「でもこのことは誰にも話してはいけない!そうやって自分に言い聞かせながら今までずっと隠してきました。」
「ならこれからもそうすればよいのでは?」
「もう限界です!これ以上秘密にしていては私の胸がはちきれてしまいます。もうこの場で声を大にして言ってしまいたい! 」
「まあ、あなたが何を叫ぼうと勝手ですが」
「ですが?」
「さきほどから後ろでにらみを利かせている方がいらっしゃるみたい、 これ以上にらまれるとわたくしも胸がはちきれそうでございます。」
「えっ」
彩花さんは中庭のガラスに張り付いて俺のことをにらんでいた。
「いっいやだな、女将さん、アハハ、この話はまた今度にしましょう、アハハ」
着替えを済ませ更衣室を出ると彩花さんがいた
「彩花さん、お疲れ様です!女将さんには何も言ってないですよ。だから安心してくださ」
「だから?」
「えっ?」
「だから何だって言うのよ!もう女将さんに限らずみんなに言いふらせばいいじゃない!」
そう言うと彩花さんは早足で行ってしまった。
「あっちょっと…」
「…」
翌日
部活が終わった後、ベンチでもたれかかっていた俺の隣に堺が座ってきた。
「はーあ」
昨日の怒った彩花さんの後ろ姿が、頭に浮かんだ。
「だいぶ落ち込んでるな」
「完全に怒らせちゃったな、俺」
「まだ怒ってるかな?合わせる顔がないな。」
(彩花さんも彩花さんだ、ちょっとからかっただけなのにそんなに怒ることないじゃないか)
みさき「フフフ」
「何がおかしんだよ」
み「やっぱあんた好きなんでしょ、彩花ちゃんのこと」
「…」
「和泉って昔から、好きな子に意地悪しちゃうからねー」
「別に、そんなつもりじゃ…」
「でもそんなことしてたら、いつか嫌われちゃうよ」
「…」
そのまま家に帰りたかったが、俺はしぶしぶ旅館に向かった。着替えを済ませると、フロントから怒号が聞こえた。
「おい!いつになったら部屋には入れるんだ!?一体何分待たせる気だ!?」
彩花「申し訳ございません。ただいま、お部屋の準備をしておりますのでお待ちください。」
客「責任者はどこにいるんだ?お前じゃ使えないから早く呼んで来い!」
彩花さんは客の気迫で半泣きだった。こういう時、いつもは女将さんが場を収めるが何故か今日はいない。
和泉「…」
和泉(いっ行くしかない!)
和泉「お客様、こちらの不手際で迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません。」
彩花(…)
俺はとりあえず、その客をラウンジに案内し、飲み物や軽食を出してもらってその場をしのいだ。お客さんの機嫌も少しは良くなってとりあえず一件落着であった。
結局俺は彩花さんに話しかけることができず、やるせない気持ちのまま時間だけが過ぎ、終業となった。
更衣室を出ると声をかけられた。
「和泉君」
「彩花さん」
「さっきは、ありがとう」
「…」
「じゃあ」
「あっ彩花さん!」
「?」
「昨日は、ごめんなさい、僕が少しからかいすぎました。」
彩花「…」
「べっ別に」
彩花さんはそっぽを向いた
和泉「えっ」
彩花「私は、全く、気にしてないけど」
和泉(昨日はあんなに怒ってたのに…もしかしてさっきの件でチャラにしてくれたのか?)
彩花さんは相変わらずそっぽを向いて目を合わせない。
女将さん「和泉君、大事な話があるんですってね?」
和泉「ああ!女将さん!もうそれは解決しまし」
女将さん「こっちも和泉君に大事な話があるんです。」
和泉「えっ?」
女将さん「彩花さんから聞きました!あなたいつも社長室に隠れてゲームしていたそうですね!どういうことですか和泉君!?罰として今日から1カ月、中庭の掃除をしてもらいます!終わるまで帰しませんからね!」
堺「じゃあな和泉」
美紀「頑張れよ、掃除」
和泉「おい!誰のせいでこんなことになったと思ってるんだ!帰るなよ二人とも!」
二人に少し遅れて彩花さんが来た
「じゃあね和泉君!また明日!」
彩花さんは笑顔で手を振り旅館から出ていった。
(ちっ!何が「別に、まったく気にしてないけど」だよ!めちゃくちゃ気にしてるじゃないか!)
彩花(フフッ、ちょっと優しくされたぐらいじゃ、許さないわよ)