早河シリーズ短編集【masquerade】
 嘘つき、なんで、どうして、他にも言いたい言葉があるのに口から出てくる言葉はこれしかなくて。こんな時に限って言葉は役に立たない。

『俺も会いたかった』

佐藤は美月を抱き締め、髪を撫で、ここにいる彼女の存在を全身で感じた。

「今までどこに居たの? 何をしていたの?」
『日本を離れていた。だけど美月のことはずっと見てきたよ。大学生の時も社会人になってからも、木村くんと結婚したことも知ってる』
「私のことを陰からこっそり見ていたんだ。そんなのずるいよ……」

 止まらない涙に震える手。どこまでも優しい彼のぬくもりは夢ではない。
夢のような現実は白昼夢みたいだ。

 佐藤は美月にどれだけ罵倒されても構わないと思っていた。罵られて嫌われた方が諦めもつく。
けれど彼女が涙声で紡ぐ言葉に罵倒の気配は微塵もない。どこまでも優しい女性だ。

愛しさが募る。離したくない、離さない。

 自然と接近する二人の唇。美月は一時だけ、隼人の妻でも斗真の母親でもない、10年前の浅丘美月に戻った。
今の彼女は愛した男とキスを交わすただの女だ。

刻まれる鼓動の音は速く、身体は熱を帯びて熱い。

『今のは大人のキスの仕方だったな』
「バカ……」

 17歳の浅丘美月が27歳の木村美月と重なる。泣き笑いする美月の唇に佐藤はもう一度、優しいキスをした。

        *

 隼人は手洗いに立ったまま披露宴会場に戻らない美月が気掛かりだった。陽気な音楽が流れる会場では招待客が料理に舌鼓を打ち、談笑を楽しんでいる。

『美月ちゃん遅くねぇか?』
『だよな。そろそろ主役が再入場する時間だろうし……』

 お色直しをした新郎新婦の再入場の時間が刻一刻と迫っている。歓談の時間に中座しても主役の再入場までには着席するのがマナーだと、美月もわかっているはずだ。

普段ならば少しくらい戻りが遅くても気にはならないが美月は妊娠中だ。

『最近あんまり体調良くなかったんだ。二人目の方がつわりも重くてさ。貧血起こしてるかもしれない』
『様子見に行ってくるか? 斗真は俺が見てるから』
『悪い。そうする。斗真、ママ捜しに行ってくるな。亮と一緒にご飯食べて待ってろよ』

 子ども用のランチプレートを頬張る斗真は素直に『うん』と頷いた。斗真を渡辺に預けて隼人は披露宴会場の外に出た。
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