愛すべきマリア
 扉の隙間から手を出してちょいちょいと振る王妃。

「母上?」

 アラバスがそう声を出すと、王妃がチラチラと周りを伺ってから小さい声で言った。

「揉めてんのよ。どうすればいいのかわからくてね」

「揉めてる? 誰と誰が揉めているのですか?」

「マリア嬢とマリアちゃんよ。ちょっと入ってきなさい」

 アラバスが扉に近づくと、国王とトーマスも入ろうと寄ってきた。

「あなた達はダメよ。本当なら夫にさえ見せられないような姿なんだもの」

 鼻の先で扉を閉められた二人は、大きなため息をついて椅子に座った。

「なあ、どういうことなんだ?」

 国王の問いに、トーマスは首を横に振るしかなかった。
 一方、寝室に入ったアラバスはマリアの枕元に駆け寄った。

「どうしたマリア! ああ、可哀そうに……こんなに泣いて」

「アシュ……お姉ちゃんが代ろうっていうの。ダメって言って? だってマリアはアシュと一緒にいたいんだもの」

「お姉ちゃんに代るともう戻れないって思っているのだね?」

「だってお姉ちゃんが子供に子供は産めないし、育てることもできないっていうんだもん。できるよね? マリア頑張れるよね?」

 アラバスはそう言うマリアの手を握った。

「あのねマリア。お姉ちゃんはマリアの痛みを代ってくれるって言ってるだけなんだ。マリアが消えてしまうわけじゃないんだよ? 痛いのは嫌だろう? お姉ちゃんに代ってもらいなさい。それで、お姉ちゃんの後ろで応援してあげなさい」

「ダメよ~ お姉ちゃんが起きてる時はマリアが寝ちゃうんだもん。マリアはアシュと一緒にいるの! お兄ちゃまも一緒が良いの! パパもママもカチスもアエンも一緒ののの!」

「マリア……」

 泣きながらそう訴えるマリアの目が少しずつ閉じていく。
 心配になったアラバスが、汗と涙でぐしょぐしょになったマリアの顔を両手で挟んだ。

「マリア! しっかりしろ!」

「アシュ……嫌だよぉ……マリアはアシュが好きなんだもん……ダメなのに……」

「マリア! 今だけだ。終わったら戻ってこい!」

 マリアは気を失いかけているようだ。
 アラバスが王宮医の顔を見た。

「気を失ってはダメですよ! マリアちゃん! お返事してください!」

 王宮医が大きな声でマリアを呼んだ。

「マリア! 気をしっかりもつんだ! マリア!」

 アラバスも一緒に叫ぶ。
 しかしマリアの目は完全に閉じてしまい、呼吸も浅く短いものにかわった。

「先生?」

 王宮医が看護師に気付け薬の準備を指示している。

「大丈夫ですよ。まだ産道の入口に頭が入ったくらいです。出血は始まっていますが、想定より少ない。ここからが踏ん張りどころです」

 出産に関する知識を持っていないアラバスは、己の不勉強さを悔いたが、全ては今更だ。

「マリア……」

 手を握り、マリアの顔をみつめるアラバス。
 ふとマリアの瞼がぴくぴくと動いた。

「マリア!」

「あ……ああ、殿下……」

「マリアなのか?」

「はい、マリアです。マリアちゃんが粘るからどうしようかと思いましたが、なんとか間に合いましたね」

 アラバスは、汗で額に張り付いているマリアの髪を指先でどけた。

「マリア、急に交代しても大丈夫なのか? ああ……本当に代われるものなら代わりたいよ」

「ふふふ、ありがとうございます。でも、これは女の役目ですわ。王妃陛下はいらっしゃいますか?」

 アラバスが顔を上げて王妃を呼んだ。

「母上! マリアが呼んでいます」

 王妃が簡素なドレスの裾をたくし上げて枕元へと駆け寄った。

「マリアちゃん! 気をしっかり持ちなさい。大丈夫よ、あなたならできるわ」

「はい、頑張ります。王妃陛下、私には母がおりませんので、どのようにすればよいのか、知識が無いのでございます。どうかお導き下さいませ」

「もちろんよ。私もあなたと同じころに初産を経験したわ。絶対に大丈夫だからね」

 そう言うと、マリアの手を握りしめているアラバスを邪魔だとばかりに、お尻で押す。

「もうあんたはいいわ。廊下でウロウロしてなさい」

「そんな殺生な……」

「まあいい仕事はしたわ。マリアちゃんに諦めさせたんだもの」

 諦めさせたつもりなど無かったが、これっきりあの幼いマリアがもどらない可能性もあるのだと思ったアラバスは、顔を歪めてしまった。
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