〜Midnight Eden〜 episode1.【春雷】
 千尋は心底、男の妻に同情した。この男はAVの知識でテクニックを知った気になっている、ダメな男の典型だ。
女の身体の扱い方を覚えなければ、男の妻も彼に抱かれたくないだろう。それこそ毎晩が地獄だ。

老いた女には価値がない、子どもを生んだ女は母親としてのみ生きろ。そんな時代錯誤で理不尽な価値観が女に呪いをかけていると男達は知らない。

 ようやく今日の仕事を終え、桜の気配が消えた夜の街を歩く。以前にこの道を通った時には咲いていた公園の桜も、散ってしまった。

散った桜は桜ではない。少なくとも花のない桜を人々は愛でない。
桜は花を咲かせてこその桜であり、花盛りの時期にしか見向きもされない。

 女も花と同じだと、漠然とした不安と焦りを感じたのは二十五の誕生日を迎えた昨年の春だった。

来月と再来月は連続で学生時代の友人の結婚式がある。
ひとりは学生の頃も今もさほど親しいとは言えなかった友人で、どう見ても人数合わせの招待だ。

今のタイミングでご祝儀代の出費は痛いが、友達グループの付き合いと体面を考えれば仕方がないと割りきった。

 疲れきった足で辿り着いた駅のホームで彼女はスマートフォンを眺める。数分前に恋人に送ったメッセージに返事が来ていた。


  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 [仕事終わったよ。今から帰るね]

 [お疲れさま]

  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 恋人からのお疲れ様の言葉があると今日も頑張って良かった、明日も頑張ろうと思える。
愛しい彼の顔を頭に浮かべて返信を打った。


  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 [日曜日のデートの時に話があるの]

 [何の話?]

 [大事な話。会って話したいことなんだ]

 [うわー、緊張する(^_^;)]

 [あ!別れ話じゃないから安心してね!]

 _____________


 千尋は黄色い線の内側で電車を待つ間、片手を下腹部に添えた。欲しいものはここにある。
彼女が欲しかった希望はここに宿っている。
この希望のために明日も頑張ろう。

ホームに滑り込んだ電車の窓に千尋の姿が映り込む。停車した電車に映るもうひとりの岡部千尋は、幸せに笑っていた。
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