甘やかな聖獣たちは、聖女様がとろけるようにキスをする

5-14 聖女と聖女の木

 
「ひゃあ……っ」

 一拍おいて私の口から驚きの声が漏れるけれど、柏の葉がさやさやと梢で音を立てるのと混ざりあって消えていく。

「ノワル殿、聖女の木を守るのはわたくし達ではだめだろうか?」

 ソレイユ姫のまっすぐな視線がノワルに向けられていた。

「ううん、問題ないよ。ただ、聖女の木を守るならこの地に根づくことになるけど――本当にいいの?」

 ノワルに目を向けると、表情の読めない顔のままソレイユ姫の様子を眺めていて、いつもとちがう様子に不安になってノワルを見つめると顔がこちらに向いた。ノワルがあやすように私の髪をなでると、大丈夫というようにこりと微笑む。
 その笑顔を見たら安心して、ほう、と知らぬ間につめていた息をはいた。

「わたくしは、皆とこの地で生きていくことを決めた」
「えっ?」

 驚きで目を見開いた。
 ずっとソレイユ姫はイニーツ王を支持していた一族のためにカルパ王国で再興することを望んでいると思っていたので、私の口から思わず声を上げてしまった。
 この土地で生きていくってことは、もしかしてベルデさんと関係があるのかなと見つめてしまう。

「あの、それって……?」
「かれんさま、この地にいることを決めたのは、昨夜、()と話しあって決めたことだ。わたくしの個人的なこととは関係ない――それとも、聖女の木を守るにはわたくしは力不足だろうか?」
「そ、そんなことないよ!」

 とっさに否定してしまった。
 ソレイユ姫はカルパ王国のお姫様で、ちょっと怖いけれど村の人たちから慕われていて力不足だなんて思わなくて声を出してしまったけれど、勝手にベルデさんと想いが通じあったのかなと浮かれてしまった気持ちが沈むのを感じた。

「花恋様はソレイユ姫に任せていいの?」
「えっ? うん、私はいいと思うんだけど……だめかな?」
「ううん。()()()の花恋様が認めたなら、ソレイユ姫が聖女の木の守り人だよ」
「ふえっ? そ、そうなの?」
「うん、そうだよ――よかったね、ソレイユ姫」

 ノワルは視線をソレイユ姫に移しながら話しかけると、ソレイユ姫の顔に安堵の表情が広がっていく。
 今回のことにベルデさんが関係がないのは残念だけど、ソレイユ姫に任せることに安心して納得するようにうなずいた。

「柏の木はね、過酷な環境でも成長することから『独立』の意味もあるんだ。ソレイユ姫たちは、カルパ王国から離れてここの土地に住むからぴったりだね――ああ、そうだ。聖女の木の守り人は二人必要なんだ」
「それなら、村長とわたくしでいいだろうか?」

 ソレイユ姫は、ねこのように大きな瞳でじっとノワルを見据えている。張りつめたような空気なのに、ノワルはにこやかに微笑んでいる。

「柏の木はね、春に新芽をつけるまで葉を落とさずにいることから『愛は永遠に』という意味もあるんだ。ああ、ひとつ言い忘れたことがあって――」

 ノワルが意味ありげに笑うと、言葉を切った。

「この聖女の木は、お互いに愛しあう二人じゃないと守り人になれないんだよ。聖女の木の成長には、愛する二人のキスが必要だからね」

 困ったねとノワルがつぶやき、その後に聞こえてきたのはわざとらしい悩ましげなめ息だった。

「なっ、それなら――」
()()ソレイユ姫は、聖女様から守り人に選ばれたから変わることはできないよ」

 青空のような碧眼を大きく見開いたまま戸惑って視線を揺らすソレイユ姫にかまわずノワルは告げた。それから私の黒髪をなでると、ノワルのやわらかな黒い瞳が私の瞳をのぞきこむ。

「違ったかな?」

 あわててふるふると首を振る。

「――違わないよ! ソレイユ姫と好きな人で聖女の木を守って欲しい……っ」

 嬉しくて、本当に嬉しくて、にやけてしまう顔でノワルを見つめると、笑顔でうなずいてくれた。
 そのとき、まわりにいた村の人たちから歓声のような応援のような声が上がって、視線を向けるとベルデさんが村の人たちにソレイユ姫の前に押し出されているところだった。

「いや、あのっ、俺なんかが――」

 ベルデさんが赤らんだ耳のうしろに手を当てながら、もごもごと話していたが、すぐにソレイユ姫の瞳と同じ澄んだ空を見上げると大きく息を吐き、まっすぐソレイユ姫と向き合った。

「――姫さま」

 ベルデさんがソレイユ姫と見つめあう。
 たったそれだけなのに、愛おしいと語るようなベルデさんのまなざしはソレイユ姫への想いを伝えていて、張り詰めた空気の中で大切ななにかが変わるような感覚が満ちていた。

「俺は姫さまが好きだ。ずっとあなたのことを見てきた――」

 ソレイユ姫さまの頬が真っ赤に染まっていく。
 私は、どきどきが止まらない胸の前でお祈りするように指を交差させて手を組み、村の人たちと一緒にベルデさんとソレイユ姫の恋の行方を固唾を飲んで見守る。

「俺じゃあ姫さまに釣り合わないから、何度も諦めようとした。だけど、姫さまを想う気持ちなら誰にも負けない――好きだ」

「――っ! い、いやだ……」

 息を呑んだソレイユ姫からこぼれた言葉に、沈黙が落ちる。
 その沈黙をやぶったのはベルデさんだった。

「そうだよな――姫さまのとなりには、俺じゃなくてふさわしい者がいる。ああ。分かっていたはずなのにな――」

 ベルデさんのその言葉は、何度も自分に言い聞かせている言葉みたいだった。凪いだような笑みを浮かべた顔のベルデさんはすべてを諦めているように見えて、胸がぎゅうと締めつけられる。

「ち、ちがう……っ!」

 ソレイユ姫が大きな声で叫んだ。

「姫さま?」

 ベルデさんがソレイユ姫の声に驚いて目を見張っている。

「わたくしは、夫になる者に姫さまなど呼ばれたくはない――っ!」
「…………へ? えっ、あ、それって……?」

 何度か瞳をまたたいたベルデさんはしあわせをかみしめるように笑みをこぼし、薔薇色にほほを染めたソレイユ姫を愛おしそうに見つめる。

「ずっと一緒に聖女の木を守るのだから当然だろう――それとも、わたくしの名前を忘れたのか?」

 ソレイユ姫の問いかけに対して、ベルデさんは太陽みたいにニカッと笑う。

「――ソレイユ、好きだ」

 ベルデさんがソレイユ姫の手を引き寄せると、優しく抱きしめる様子を見ていたら、嬉しくて目の前が涙でにじんでしまう。

「花恋様、よかったね」
「うん……本当によかった……」

 ノワルの親指が優しく涙を拭っていく。
 ぽかぽかしたぬくもりに包まれて見上げると、目が合ったノワルはひだまりのような微笑みを向けてくれる。

「これでよかった?」

 耳元によせられた唇で、ささやくような声でたずねられ、こくこく首をたてにふる。
 ノワルの言葉を聞いて、こうなることをわかっていたことがわかった。どうしてこんなに私のことがわかってしまうんだろう。これからもノワルには、きっと敵わないだろうし敵わなくていいと思ってしまう。

 ぎゅっと抱きついて甘やかな黒い瞳を見つめる。

「ノワル、ありがとう――大好き」
「ああ、もう……本当にかわいいね」

 ノワルのキスを受けると、小指がきらめくと同時に聖女の木が守り人たちを祝福するように甘やかなピンク色のきらめきが二人を包みこんだ――。
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