甘やかな聖獣たちは、聖女様がとろけるようにキスをする
6-6 聖女と赤い龍
ほのかに欠けた月のやわらかな光が草原を照らしている。さあ、と風が吹いた先に立つロズが振り向いた。
ロズに駆け寄って目の前までたどり着くと、優しい表情で「カレン様」と私の名前を呼んだ。その声色があまりに艶やかで、心臓がとくん、とひとつ音をならした。
「ロズ、気をつけていってきてね」
「ええ、カレン様もくれぐれも結界の外に出ないでくださいね」
「うんっ!」
大きくうなずいた私を見たロズの唇がきれいな弧を描くと沈黙が訪れる。さらさらと風が草原を渡り、それに合わせて草のかすれあう音が静かに響いている。
「カレン様、そろそろ興奮するキスをお願いします」
「ふえっ?」
「前に言いましたよね?」
ロズの言葉に、わずかに残っていた眠気は完全に吹き飛んだ。あやふやな記憶をたどれば、たしかに言っていたような気もする。
「思い出しましたか?」
「あっ、う、うん……」
かあ、と頬が熱くなるのがわかった。どうにかうなずいた私に、ロズは口角を上げながら口をひらいた。
「先ほど練習したキスをカレン様からしていただければ、大丈夫ですよ」
「…………へ?」
予想していなかった言葉にびっくりして無風になった鯉のぼりみたいに、ぴたっと数秒固まった後に間の抜けた声が漏れる。
私とは正反対に艶やかなため息を吐いたロズが自分の唇をぺろりと舐めるから、昼間にした魔力補給の練習をしたキス――ロズの甘やかな熱や動き、それに感触を一気に思い出した。
どんどん集まる頬の熱を両手で覆っても熱はちっとも冷めないままなのに。
「もう忘れてしまいましたか? 仕方ないですね――カレン様の舌とわたしの舌をねっとり絡め合うような官能的なキ……」
「ひゃあ……っ!」
具体的に話し始めるロズの口をぎゅっと手で塞いで、心臓が痛いくらい早鐘を打つのを浅い呼吸を繰り返して過ぎ去るのを待つ。心臓に悪すぎるからやめてほしい。
「へえ、あの後にそんな練習をしていたんだね――花恋様、俺にもロズと同じキスをしてくれるよね?」
「ふえっ」
ノワルの楽しそうなのに甘さをはらんだ声と大きな手が後ろから、ぽんっと頭に置かれて振り向こうとした瞬間に、れろり手のひらをロズになめられる。
「ひゃん……っ!」
驚きすぎて変な悲鳴をあげる。心臓が大きく、どきんと跳び上がりロズの口を押さえていた手を離してしまった。
「カレン様、早くしないと夜が終わってしまいますよ」
「――う、うん」
うなずいてみたものの頭の中は真っ白のままロズの紅い瞳を見つめると、どきどきが駆けめぐって身体が熱くなっていく。
目の前のロズがにじんでいくと、胸が高鳴りすぎて訳がわからなくなってしまう。
興奮するキスという単語だけが頭をぐるぐるまわっていく。なにも考える余裕がないままロズの肩に手を置くと、美しい赤髪が風にさらりとなびくさまに目を奪われた。
ロズが艶やかに笑う気配がして目を向ける。
「嘘ですよ」
「えっ」
「ラピスみたいな子供じゃないので、変身のコントロールくらいできます」
「ええっ?」
後ろにいるノワルもくすくす笑っているので、二人してからかっていたのだとわかった。
「カレン様を待っていたら、出発できませんからね」
意地悪なロズの言葉に、へなへなと気が抜けていく。
ノワルはさわやかな笑みを浮かべて「なんだ、残念だな」とつぶやいているし、二人の間を目線が揺れたあと艶やかなロズの赤い唇に落ち着いた。ほっとした気持ちとどこか残念な気持ちをどうしたらいいのか分からなくて、じっと意地悪な唇を見つめてしまう。
「カレン様は仕方ないですね」
思わずどきりとしてしまうくらい柔らかなロズの声が聞こえて、唇に甘やかな感触がした。ちょん、と触れるだけのキスなのに、ロズの好きな気持ちが広がって心の奥がとろりとほどけたように小指の光も淡くまろやかに光った。
「いってきます」
さわやかな匂いが遠ざかり、ロズの身体がきらきら煌めきはじめる。
ロズの輪郭があやふやになると今度は龍の輪郭が光で作られていき、すう、と煌めきがおさまると真っ赤な龍が目の前に存在していた。
「――っ」
思わず息を呑んだ。
自分より大きくなった龍姿のロズの艶やかで光沢のある赤い毛並みに目を奪われる。
やわらかな月光に照らされたロズは龍になってもやっぱりロズのままで、やわらかなまなざしの瞳はルビーのようだし、ツノや翼はほんのりピンク色で美しくて、前足をちょこんと曲げて立っている姿は愛らしくて、いつまでも見ていたくなる。
「きれい――」
吸い寄せられるように近づいて手をのばす。そっと触れればビロードみたいなしっとりした感触が手のひらに広がる。
もふん、と手が沈む感覚がたまらなく気持ちいいと思った私は、ロズをなではじめたのだけれど。
「……花恋様、本当に時間がなくなっちゃうかな」
それからしばらくして、ノワルのあきれたような声で我に返った。気づいたらロズ龍に抱きついたまま、もふんもふんパラダイスにひたってしまっていたらしい。
「それじゃあ、花恋様は家で待っていてね」
「えっ、ノワルは龍にならないの?」
「俺のは、明日ゆっくり見せてあげる」
ノワルの龍になったところも見たかったのにと唇をとがらせれば、このままでは夜が明けてしまうよ、と私の頭をぽんぽんとあやすノワルの言葉にうなずいて、家に戻ることになった――。