🍶 夢織旅 🍶  ~三代続く小さな酒屋の愛と絆と感謝の物語~
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「参りました」
 崇はまた杜氏に頭を下げた。
 二戦続けての負けだった。二戦とも序盤は崇が優勢なのに中盤で互角になり、終盤になると王手を指されるのだ。
 崇は悪手は指していない。でも負けた。杜氏の将棋は強かった。
 これで終わりだ……、
 崇は観念した。せっかく一徹が最後のチャンスを作ってくれたのに、それを台無しにしてしまったと思った。素人と蔑まれた自分が存在感を示すためには将棋で勝つしかないと気合を入れて臨んだが、その(ねが)いは泡となって消えてしまった。
 これで終わりだ、
 部屋の空気が固まったように感じ、顔が青ざめていくのが手に取るようにわかった。
 一徹の顔を見ることができなかった。もちろん、杜氏の顔も見れるはずがなかった。うつむいたまま、ただ時が永遠を刻み続けるのを甘受していた。

 それは、崇が両膝においた拳を握りしめた時だった。空気がふわっと揺れて、頬を撫でたような気がした。思わず顔を上げると、「素直な指し手だな」とにこりともせずに杜氏が言った。
「さて、仕事に戻るか」
 杜氏が腰を上げて部屋から出ようとした時、一瞬立ち止まって、後姿のまま声を出した。
「また、指しに来いよ」


「ありがとうございました」
 駅に向かう道すがら一徹に頭を下げると、「よかった。よかった」と同じ言葉を何度も呟いた。
 自分一人だったらどうなっていたかわからない。長年の付き合いで杜氏の性格や趣味を知り尽くしていたからこそ、一徹は焦ることなく事を丸く収めた。
 自分も一徹のように蔵元や杜氏から温かく迎えられたい。一徹のように蔵元や杜氏と特別な信頼関係を築きたい。そのためには何が必要なのか……、
 崇は歩きながら必死になって考え続けたが、容易に答えが見つかるはずもなかった。

 駅に着いた。電車が来るまでに少し時間があったので近くの居酒屋に入ると、席に座るなり一徹が六甲錦醸を頼んだ。
 運ばれてきた酒を崇が注ぐと、一徹は噛むようにしてからゴクンと飲み干し、頬を緩めた。
「旨いな~、この酒は」
 なんとも言えないその顔に崇は見惚れた。
「こんな旨い酒を造る杜氏はめったにいない」
 そうだろう、というような表情で一徹は崇のお猪口に六甲錦醸を注いだ。
「頑固だから造れるんだ、こんな旨い酒を」
 一徹は味わうように飲み干した。
 その通りだと思った。一途な気持ちが無ければ旨い酒は造れない。その通りだ。
 頷いた崇にほろ酔い顔の一徹が呟いた。
「損得抜きで酒を愛し人を愛す」

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