🍶 夢織旅 🍶  ~三代続く小さな酒屋の愛と絆と感謝の物語~
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 それでも、拙速を戒めていた。一つの失敗が大きな痛手になることがあるからだ。そのため、地ビールメーカーと契約する前には必ず學の家を訪ねて、試飲を依頼した。客観性を担保すると共に助言を仰ぐためだ。

 この日、持参したのはは新潟県の地ビールだった。
「結構いけるね」
 代表取締役副社長に就任していた學が右手の親指を立てた。
「しかし、コシヒカリを使うとはね」
「そうなんですよ。でも、和食にピッタリだと思いませんか」
「間違いないね。それに、日本酒を極めてきた華村酒店との相性はバッチリだと思うよ」
「良かった……」
 安堵したが、確認を忘れるわけにはいかなかった。
「売れると思いますか?」
 學は大きく頷いた。
「大手メーカーのビールとはまったく違うから差別化になると思うよ」
 太鼓判を押してくれたので肩の荷を下ろすことができたが、それも束の間、意外なことを提案された。
「ところで、ベルギーのビールを扱ってみないか?」
 醸は首を傾げた。ベルギーの場所はおぼろげだし、そこのビールについてはなんの知識もなかった。
「ヨーロッパの小さな国だけど、個性的なビールが多いんだよ。フルーティーなホワイトビール、深紅に近い色味を持つレッドエール、アルコール度数が高めだけど飲みやすいゴールデンエール、修道院が造っているトラピスト、どれも旨いぞ」
 そう言われても、頭の中にはなんのイメージも湧いてこなかった。
「一度飲んでみればいい。気に入ったらうちで輸入するから」
 頷いてはみたものの、頭の中は今日持参した地ビールのことでいっぱいで、その他のことが入る余地はまったくなかった。

        *

 新潟の地ビールメーカーとの契約が無事済んだ頃、突然、學の会社からベルギービールが届いた。箱を開けると、10種類以上のビールが入っていた。どれも小瓶で、色鮮やかなラベルが貼られていて、日本のビールとはまったく違った外観だった。

 翌日の夜、冷えたビールを冷蔵庫から取り出し、學が言っていたことを思い出しながら口に運んだ。
 すべて飲み終わった時、納得した。どれもが個性的でおいしかった。それに、日本の地ビールとも違っていて、これなら競合しないと思った。飲み比べながら色や味などをノートに書いて比較表を作り、その中で特に優れたものを選んでいった。

 4種類選んでそれを伝えると、學は大喜びしてくれて、すぐさま契約を交わすことになった。契約内容や文言のやり取りに少し時間がかかったが、互いの弁護士の最終確認が終わると、醸は學の会社に出向き、役員応接室で契約書に印鑑を押した。それは、ベルギーの個性豊かなビールが新たな武器になることが決まった瞬間だった。

        *

 ベルギーから輸入したビールの第一弾が華村酒店に届いた日、仕事帰りの學がふらりと現れた。といっても、歩いてきたわけではない。副社長専用車でやってきたのだ。ドイツ製の超有名な高級車だった。
 ひとしきりベルギービールを二人で味わったあと、學はまたしても意外なことを口にした。
「ベルギーだけでなく、おいしいビールはヨーロッパ中にあるんだ。例えばチェコのビールがそうだ。飲みやすくてうまいんだよ。なんと言ってもピルスナータイプのビール発祥の地だからね」
 學の蘊蓄が始まった。
「知っていると思うが、ラガー酵母を使ったビールの代表格がピルスナータイプと呼ばれているビールなんだ。日本のビールのほとんどがピルスナータイプで、すっきりとした爽快な喉越しが特徴なんだよ」
 日本の代表的なブランド名をいくつか挙げた。すべて知っている名前だった。その話が終わると、ヨーロッパ各国のビール消費量について語り始めた。
「一人当たりのビール消費量はチェコが世界一で、日本の3倍以上とも言われている」
「そんなに飲んでいるんですか?」
 それには驚いたが、すぐに商売人としての本能が算盤を弾かせた。3倍ということは、日本にはまだまだ伸びしろがあるということだ。それに、チェコだけでなくフランスを除くヨーロッパのほとんどの国が日本の2倍以上の消費量だと聞いて、更なる売上増加への期待に胸が膨らんだ。すると、それを察したのか、「魅力的なビールはまだまだいっぱいあるから、楽しみにしていてくれ」と學が自信の漲った目を向けた。

 その後も、華村酒店に来るたびに嬉々としてヨーロッパ各国のビールやイベントを紹介してくれた。
「オクトーバーフェストは最高だったね。ドイツ・バイエルン州の州都ミュンヘンで行われるビールの祭典で、世界最大規模のイベントなんだ。期間中に集まる人は500万とも600万とも言われている」
 そして、クーラーボックスに入れて持参したドイツのビールをグラスに注ぐと、「これは主に北部地方で造られているピルスナータイプのビールで、シャープな味わいが最高なんだ」と言うや否や、ゴクンという感じで飲んだ。そして、満足したような表情でプハーと息を吐いた。
「世界最大規模だけあって日本からも多くの関係者が来ていたよ。大手メーカーだけでなく、地ビールの関係者も多かった。みんな必死で香りや味を確かめていた。次の新製品へのヒントを探していたんだと思う」
 それから學は別のビールを開栓してグラスに注いだ。色の濃いビールだった。ボックと呼ばれるタイプのビールで、コクが強く、アルコール度数が高いのが特徴なのだという。瓶のラベルに7パーセントと書かれていた。
「確かに日本のビールとは違いますね」
「そうだろう、違いがよくわかるよね。では次は~、よし、これにしよう」
 それは、収穫祭という名前がついたビールだった。春に仕込んで秋に飲むのだという。 二つのグラスに注ぎ終わると、彼は高々とグラスを掲げた。
「プロ―スト!」

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