〜Midnight Eden〜 episode2.【蛍狩】
 川島の入浴直後の狭い風呂場はまだ熱気がこもっている。熱で曇った鏡に描いた猫の落書きは我ながら下手くそな猫だった。

ここにあるボディソープやシャンプーも光が購入した物だ。この家に光が住み着くようになったのは半年前。
半年で随分、川島家は光の好みに染まった。

 ピンクグレープフルーツの香りのする泡が光の身体にまとわりつく男の匂いと汗を洗い流す。
池袋で見つけた今日の男は前戯が下手くそだった。元々、光が選ぶ男は大抵が女の扱いに慣れていない男ばかりだ。

川島は今日もまた湯船に浸からずにシャワーだけで済ませたらしい。
空っぽの浴槽に付着した水垢の存在が気持ち悪い。明日にでも風呂掃除をしてやろうと思ったのは川島のためではない。自分が湯船に浸りたいからだ。

 浴室の前を陣取る洗濯機の上にバスタオルが置かれていた。
カレーの匂いがする。裸体にバスタオルを巻き付けた彼女は、脱いだ下着と制服を持って川島がいるキッチンを横切った。

 ダイニングキッチンに面して部屋が二つ並んでいる。手前が和室、奥が洋室。光は洋室の電気をつけた。

この部屋は殺風景な他の部屋とは明らかに趣が違う。ベッドカバーは赤色のギンガムチェック、棚にはぬいぐるみやアクセサリーが並び、勉強机には高校二年生用の教科書や問題集が山積みになっている。

 チェストに置かれた残り少ない化粧水のボトルを逆さまにして振る。鏡を覗き込む素っぴんの顔に化粧水を塗りたくる光は、首筋のキスマークを発見して憂鬱になった。
跡はつけないでとあれほど言ったのに、やはり今日の男は最悪だ。

「明日学校休みたいな。一限から体育なの」
『学校はちゃんと行きなさい』
「めんどくさっ……。お母さんも無理して高校行かせる必要ないんだよ。私が高校辞めて働けばもっと生活楽になるのにさ」

 光の家は3年前に母子家庭になった。離婚するまでろくに働いた経験のない世間知らずの母親は、昼は派遣の清掃業務、夜は団地の近くのコンビニで働いている。

光が川島の家で寝泊まりしていることを母親は知らない。母と川島も面識はない。
母も派遣先の従業員かコンビニの店員か、仕事関係で知り合った男の家に入り浸っている。男の家で寝泊まりしているところは似た者同士な母と娘だった。

『高校中退者の働き先はたかが知れてる。高校は卒業した方がいい。来年の3月までの辛抱だ』
「だけど蛍《ほたる》のいない学校はつまんない」

 光の長い黒髪がドライヤーの温風で揺れる。食器の音がドライヤーの風に紛れて聞こえてきた。
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