〜Midnight Eden〜 episode2.【蛍狩】
 豊北団地四号棟の裏には隅田川に面した公園がある。川に沿った遊歩道とベンチが設置されただけの簡素な公園は、平日の夕方や休日は団地の子ども達の遊び場として賑わう場所だ。

しかし夜になれば公園に子どもの気配はなくなり、団地に住む高校生のカップルが逢い引きの場所に利用する様をたびたび見かける。
今夜はそんな鬱陶しい先客もいない。闇と同じ色の野良猫が一匹、ベンチの上で丸くなっていた。

 隅田川の向こうの首都高は巨大な蛇のようにも、漫画で描かれる龍にも似ている。長く渦を巻く首都高をいつか、あてもなく走ってみたかった。
昔は父がよくドライブに連れて行ってくれた。まだ家族が壊れる前の話だ。

 光は足音がした方向に視線を移す。ベンチで眠る黒猫も気配に気づいて顔を上げた。

「良かった。愁さん、いっつも既読スルーだから来てくれないんじゃないかって不安だったよ」
『最後くらいは付き合ってやろうと思ってな』

現れた男は木崎愁。今夜もいつも通り黒一色のスーツを纏う彼は闇と同化していた。

「近くに警察いるよね。大丈夫だった?」
『アイツらは普通の動きをする人間には鈍感だ。……刑事の名刺は?』

 愁に連絡したのは30分前。最後に会いたいと懇願した光の願いを聞き入れた愁には、神田美夜の名刺を持参するよう命じられていた。

「なんでこの人の名刺を愁さんが欲しがるの?」
『女刑事に興味がある』
「ふぅん。美人だったよ」
『そうか』

 女刑事が美人と聞いても愁は表情を変えず、名刺も一瞥しただけ。
初めて出会った時から無表情が服を着て歩いている男だが、彼の様子を見れば刑事の容姿にはさほど関心がなさそうだ。愁が女刑事に興味を持つ理由には、別の理由があるらしい。

「私のスマホを愁さんが処分するのはどうして? 中身は初期化したし、SIMカードも川に捨てちゃえばいいのに」

 初期化したシルバーカバーのついたスマホは愁の手に渡る。彼は光のスマホと神田美夜の名刺をスーツのポケットに押し込んだ。

『端末があればどこまでも調べ尽くすのが警察ってものだ。SIMカードを川に捨てたとしても警察が発見すればデータを復元させようとする。用心に用心を重ねてもやり過ぎにはならない』
「そんな用心深い愁さんが、警察が見張ってるのをわかっていて最後に会いに来てくれるんだもんね」

 どこかで夏の虫が鳴いている。梅雨の夜空は雲に覆われて月は見えなかった。

 遊歩道と公園を繋ぐ石造りの階段を一段飛ばしで昇る光と、彼女の後ろを歩く愁。

「男は皆汚くて気持ち悪くて大嫌い。だけど愁さんは最初から気持ち悪くなかったし嫌いじゃないの。不思議」
『俺は男にカウントしてないんだろ』
「そうかも。私、上手くやれた?」
『上出来だ』

背後に聞こえた優しい一言に光は微笑んだ。久し振りに誰かに褒められた。
褒めてくれた人は父でも母でもない。優しさを与えてくれた人は、復讐を教えてくれた人。
< 49 / 66 >

この作品をシェア

pagetop