姉の代わりにお見合いしろ? 私に拒否権はありません。でも、あこがれの人には絶対に内緒です

「あ、まだ名乗っていなかったね。湯浅譲です」
「私、遠藤叶奈といいます」

よく顔を合わせているのに、お互いに名乗ったのは始めてだ。
なんだかおかしくて、ふたりは顔を見合わせて笑った。

「お客さんたちから叶奈ちゃんって呼ばれているよね」
「は、はい」
「そう呼ばせてもらっていいかな」

「もちろんです」
 
あくまで店の常連客としてだとはわかっているが、叶奈はほんの少し距離が縮まった気がした。

こんなトラブルの直後でも、譲の表情は落ち着いている。頼もしくて、尊敬すらしてしまう。

「今日は何を食べようかな」
「クリームコロッケはいかがですか?」

「いいね」
「おじいちゃん特製のトマトソースを添えるとおいしいですよ」

トマトと香味野菜をたっぷり使ったソースも、クリームコロッケとの相性がいいと男性客には好評だ。

「いいな。それにしてみよう」
「あ、食券お願いします」

「さすがにもう覚えたよ」

そう言って、また明るく笑う譲。その破壊力には、叶奈の笑顔も勝てそうにない。

(仕事も出来てスマートで、そのうえ優しくて思いやりがある人)

また叶奈の心の中に新しい情報が加わった。
父親を知らずに育ってきた叶奈にとって、落ち着いた雰囲気の少し年上の男性はとても魅力的に映る。

頭の中では常連客と飲食店の店員という関係だと理解はしている。でも心の中は自由だ。
告白できるような立場ではないとわかっていても、叶奈は譲への想いを募らせていた。



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