お飾り妻は本日限りでお暇いたします~離婚するつもりが、気づけば愛されてました~
【2025 新年SS】あけましておめでとうの代わりに貴方と
【2025 新年SS】あけましておめでとうの代わりに貴方と
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薄雲ひとつかからない透き通った夜空に除夜の鐘が響く。
近年では音が近所迷惑だと取りやめるところも多くなったと聞いていたが、沙織はこの鐘の音がないとやはり大晦日という感じはしない。
実家のある京都は寺社仏閣が多い町柄か、あちこちから除夜の鐘が響いてきて、遠く近くなる鐘の音を聞いているうちに年を越したものだが、さすがに東京は違う。
聞こえたと思った瞬間に周囲の雑踏に紛れ消され、今、何回目が鳴ったのかもわからない。
これでは、払う煩悩より募る煩悩のほうが勝ってしまうのではないかと、らちもないことを考えながらあたりを見渡す。
場所は神社の境内に入ったばかりの所。
まだ年内だというのに初詣の人が多い上、参道沿いに屋台やら出店やらが連なっていて、その軒先を飾るハロゲンランプのおかげであたりは昼よりまぶしいぐらいだ。
焼きそばの焦げたソースの匂いに、甘い鈴カステラの香りがただよってきたのに気をそそられ出店を眺めていると、そっと肩を抱かれ目をまばたかす。
「しっかり前を見ていないと危ないぞ」
夫の守頭瑛士の声で我に返って見上げれば、いつもより目を和ませて守頭が沙織の顔をのぞき込んでいた。
(うーん、やっぱり慣れないですね)
少しだけ鼓動をせわしなくしつつ、沙織は守頭の顔をじっと見る。
秀でた額、通った鼻筋。涼しげな目元を飾る長いまつげ。
黒いコートに紺色のマフラー、それにダークグレーをしたコーデュロイのジャケットを合わせているので細身に見えるが、肩幅は男性らしくしっかりいているし、腕も手も人より長い。
これでは、投資会社の社長といわれるよりモデルと言われるほうがしっくりきそうだ。と、先ほどから女性の目を集めている守頭に対して思う。
実際、妻である沙織だって、未だ、この美貌の男が自分の夫だということに慣れない。
どうかしたら毎日見とれている気がする。
もっとも、顔や外見だけでなく彼の存在そのものが沙織の心を惹きつけてやまないのではあるが。
「どうした?」
「いえ、早めに家を出たのに、結構な人出でびっくりしているだけです」
結婚二年目になる夫に見とれていた、なんて恥ずかしいことを口にできずごまかすが、ほてった頬は正直だ。
守頭もそれを見抜いているのか、目を細め、からかうように喉を震わせ笑い、沙織の手を取って指を絡めてくる。
「ここで諦めて、出店で小腹を満たしていくか?」
お見通しな提案に、沙織は頭を振って参道の先を――赤い鳥居の向こうにある拝殿へ目をやる。
「お参りはしたいです。初めての初詣ですから。……夫婦そろっての」
そろりと付け加えると、守頭は少し目を大きくしたあとで、蕩けるように甘い笑顔となって繋ぐ手の指に力を込める。
朝のニュースで、今夜は冷え込むものの天気は快晴で初詣に適しているとアナウンサーが語っていた時、つい漏らしたのだ。
そういえば、初詣らしい初詣をしたことがないですね。と。
お正月といえばのイベントではあるが、なにせ沙織の実家は遡れば平安時代かという旧家で、元旦からなにかとお客が多い。
そのため、おせちや酒肴の用意でてんやわんやだし、お正月になったらなったで振り袖を着せられにこにこと訪れる客に挨拶し、合間に料理を運びと大忙しだ。
六歳から台所でお手伝いをさせられていたぐらいなのだ、元旦に初詣なんて洒落たことができる状況ではない。
せいぜい学校が始まってから生徒会のみんなとお参りに行くぐらいで、メンバーには二度目、三度目の初詣という子も少なくなかった。
それを聞いた守頭が、じゃあ、今日行ってみるか? と尋ね、沙織が勢いよく二度うなずいてこの初詣がかなったのだが。
想像以上に人が多い。
どうかすると歩くのも難しいぐらいだし、時間が経つほどに人が増えてくる。
おまけに今日は冷えるからか、誰もが着込んで膨れていて、まるで満員電車のようだ。
(満員電車は未体験ですけれど)
一度は、人生経験として乗るべきかと守頭に聞いたら、「絶対にダメだ」と沙織が痴漢にでも遭ったら、その犯人の手を切り落としかねない勢いで反対された。
「地元の小さな神社だから、あまり人が来ないだろうと思っていたが、失敗したな」
沙織と繋いでいた手をゆるりとほどいて、さりげなく肩に回して抱き寄せつつ守頭が苦笑する。
人がいなさそうだと選んだ人が、多分多かったのだろう。
小さな参道はもう人いっぱいで、そこに出店の売り子の声が重なってともかくすごく騒がしい。
「あら、振り袖」
華やかな柄の着物を着た若い女性二人組が、ふわふわで白いショールに顎を埋めつつ、参道の脇に寄っていくのを見て思う。
多分、着崩れそうだから逃げたのだろう。
その点、沙織は普段から着慣れているので不安はないが、華やかさという面ではやはり負けてしまう。
今日の着物は結婚する時に母から譲ってもらった葡萄色の西陣御召という、素材のテクスチャー感を粋とする無地の着物で、地味なことこの上ない。
(三年ぐらい前までは私も着ていたのに、今はすっかり奥様風の装いですし)
沙織だってまだ二十代。華やかなものやかわいいものへの憧れはそれなりにある。
綺麗だな、と思いつつ目で追っていると、守頭が耳に顔を寄せてささやいた。
「着たいのか?」
はい、と応えれば翌日にでも最高の逸品を用意させかねない夫からの問いに、沙織は苦笑しつつ頭を振る。
「まさか。だって、私はもう旦那様がいますもの。瑛士さんの奥さんでいることのほうが、振り袖よりずっと素敵です」
心の中にある気持ちを素直に伝えると、守頭が面食らったような顔をした後でわずかに目元に朱を走らせる。
「俺の妻は、これだから困る。無自覚に煽りすぎだ」
「え? なんです?」
もう年越し間際なのか、周囲の人たちのカウントダウンの声が大きくて聞こえず、沙織は足を止めて守頭を見上げた。
と同時に、人混みに押されよろめいた。
あわてて守頭の胸元に手を伸ばせば、ふらつくより早く腰を取られ抱き寄せられた。
そのまま見つめ合って、除夜の鐘が遠くからぼーんと鳴ったのが聞こえ――。
どちらともなく目を閉じて唇をよせ、それが触れ合った瞬間に、新年を祝う花火が東京の空のどこかに上がる。
だけどもう、沙織にとっては周りの大騒ぎも新年の景色もどうでもよくて、ただ、相手と自分がここにいることだけが大切で、幸せだと感じていた。
守頭も同じなのか、花火に歓声を上げて空を見上げる人の中、より強く沙織を抱き寄せ唇を押し当て、「あけましておめでとう」の挨拶すらも奪ってしまう。
そうして、周囲に気づかれぬまま吐息で新年の挨拶を交わして見れば、守頭が沙織の手にきつく指を絡め真顔で尋ねてきた。
「悪いが、初詣は朝になってからでも大丈夫か」
今、沙織がほしいとその目に讃えた熱情で問いかけられ、沙織は幸せたっぷりな笑顔でうなずいた。
そして、新年早々、二人が熱い夫婦の契りを交わしたことは、もう言うまでもなかった。
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薄雲ひとつかからない透き通った夜空に除夜の鐘が響く。
近年では音が近所迷惑だと取りやめるところも多くなったと聞いていたが、沙織はこの鐘の音がないとやはり大晦日という感じはしない。
実家のある京都は寺社仏閣が多い町柄か、あちこちから除夜の鐘が響いてきて、遠く近くなる鐘の音を聞いているうちに年を越したものだが、さすがに東京は違う。
聞こえたと思った瞬間に周囲の雑踏に紛れ消され、今、何回目が鳴ったのかもわからない。
これでは、払う煩悩より募る煩悩のほうが勝ってしまうのではないかと、らちもないことを考えながらあたりを見渡す。
場所は神社の境内に入ったばかりの所。
まだ年内だというのに初詣の人が多い上、参道沿いに屋台やら出店やらが連なっていて、その軒先を飾るハロゲンランプのおかげであたりは昼よりまぶしいぐらいだ。
焼きそばの焦げたソースの匂いに、甘い鈴カステラの香りがただよってきたのに気をそそられ出店を眺めていると、そっと肩を抱かれ目をまばたかす。
「しっかり前を見ていないと危ないぞ」
夫の守頭瑛士の声で我に返って見上げれば、いつもより目を和ませて守頭が沙織の顔をのぞき込んでいた。
(うーん、やっぱり慣れないですね)
少しだけ鼓動をせわしなくしつつ、沙織は守頭の顔をじっと見る。
秀でた額、通った鼻筋。涼しげな目元を飾る長いまつげ。
黒いコートに紺色のマフラー、それにダークグレーをしたコーデュロイのジャケットを合わせているので細身に見えるが、肩幅は男性らしくしっかりいているし、腕も手も人より長い。
これでは、投資会社の社長といわれるよりモデルと言われるほうがしっくりきそうだ。と、先ほどから女性の目を集めている守頭に対して思う。
実際、妻である沙織だって、未だ、この美貌の男が自分の夫だということに慣れない。
どうかしたら毎日見とれている気がする。
もっとも、顔や外見だけでなく彼の存在そのものが沙織の心を惹きつけてやまないのではあるが。
「どうした?」
「いえ、早めに家を出たのに、結構な人出でびっくりしているだけです」
結婚二年目になる夫に見とれていた、なんて恥ずかしいことを口にできずごまかすが、ほてった頬は正直だ。
守頭もそれを見抜いているのか、目を細め、からかうように喉を震わせ笑い、沙織の手を取って指を絡めてくる。
「ここで諦めて、出店で小腹を満たしていくか?」
お見通しな提案に、沙織は頭を振って参道の先を――赤い鳥居の向こうにある拝殿へ目をやる。
「お参りはしたいです。初めての初詣ですから。……夫婦そろっての」
そろりと付け加えると、守頭は少し目を大きくしたあとで、蕩けるように甘い笑顔となって繋ぐ手の指に力を込める。
朝のニュースで、今夜は冷え込むものの天気は快晴で初詣に適しているとアナウンサーが語っていた時、つい漏らしたのだ。
そういえば、初詣らしい初詣をしたことがないですね。と。
お正月といえばのイベントではあるが、なにせ沙織の実家は遡れば平安時代かという旧家で、元旦からなにかとお客が多い。
そのため、おせちや酒肴の用意でてんやわんやだし、お正月になったらなったで振り袖を着せられにこにこと訪れる客に挨拶し、合間に料理を運びと大忙しだ。
六歳から台所でお手伝いをさせられていたぐらいなのだ、元旦に初詣なんて洒落たことができる状況ではない。
せいぜい学校が始まってから生徒会のみんなとお参りに行くぐらいで、メンバーには二度目、三度目の初詣という子も少なくなかった。
それを聞いた守頭が、じゃあ、今日行ってみるか? と尋ね、沙織が勢いよく二度うなずいてこの初詣がかなったのだが。
想像以上に人が多い。
どうかすると歩くのも難しいぐらいだし、時間が経つほどに人が増えてくる。
おまけに今日は冷えるからか、誰もが着込んで膨れていて、まるで満員電車のようだ。
(満員電車は未体験ですけれど)
一度は、人生経験として乗るべきかと守頭に聞いたら、「絶対にダメだ」と沙織が痴漢にでも遭ったら、その犯人の手を切り落としかねない勢いで反対された。
「地元の小さな神社だから、あまり人が来ないだろうと思っていたが、失敗したな」
沙織と繋いでいた手をゆるりとほどいて、さりげなく肩に回して抱き寄せつつ守頭が苦笑する。
人がいなさそうだと選んだ人が、多分多かったのだろう。
小さな参道はもう人いっぱいで、そこに出店の売り子の声が重なってともかくすごく騒がしい。
「あら、振り袖」
華やかな柄の着物を着た若い女性二人組が、ふわふわで白いショールに顎を埋めつつ、参道の脇に寄っていくのを見て思う。
多分、着崩れそうだから逃げたのだろう。
その点、沙織は普段から着慣れているので不安はないが、華やかさという面ではやはり負けてしまう。
今日の着物は結婚する時に母から譲ってもらった葡萄色の西陣御召という、素材のテクスチャー感を粋とする無地の着物で、地味なことこの上ない。
(三年ぐらい前までは私も着ていたのに、今はすっかり奥様風の装いですし)
沙織だってまだ二十代。華やかなものやかわいいものへの憧れはそれなりにある。
綺麗だな、と思いつつ目で追っていると、守頭が耳に顔を寄せてささやいた。
「着たいのか?」
はい、と応えれば翌日にでも最高の逸品を用意させかねない夫からの問いに、沙織は苦笑しつつ頭を振る。
「まさか。だって、私はもう旦那様がいますもの。瑛士さんの奥さんでいることのほうが、振り袖よりずっと素敵です」
心の中にある気持ちを素直に伝えると、守頭が面食らったような顔をした後でわずかに目元に朱を走らせる。
「俺の妻は、これだから困る。無自覚に煽りすぎだ」
「え? なんです?」
もう年越し間際なのか、周囲の人たちのカウントダウンの声が大きくて聞こえず、沙織は足を止めて守頭を見上げた。
と同時に、人混みに押されよろめいた。
あわてて守頭の胸元に手を伸ばせば、ふらつくより早く腰を取られ抱き寄せられた。
そのまま見つめ合って、除夜の鐘が遠くからぼーんと鳴ったのが聞こえ――。
どちらともなく目を閉じて唇をよせ、それが触れ合った瞬間に、新年を祝う花火が東京の空のどこかに上がる。
だけどもう、沙織にとっては周りの大騒ぎも新年の景色もどうでもよくて、ただ、相手と自分がここにいることだけが大切で、幸せだと感じていた。
守頭も同じなのか、花火に歓声を上げて空を見上げる人の中、より強く沙織を抱き寄せ唇を押し当て、「あけましておめでとう」の挨拶すらも奪ってしまう。
そうして、周囲に気づかれぬまま吐息で新年の挨拶を交わして見れば、守頭が沙織の手にきつく指を絡め真顔で尋ねてきた。
「悪いが、初詣は朝になってからでも大丈夫か」
今、沙織がほしいとその目に讃えた熱情で問いかけられ、沙織は幸せたっぷりな笑顔でうなずいた。
そして、新年早々、二人が熱い夫婦の契りを交わしたことは、もう言うまでもなかった。