距離感ゼロ 〜副社長と私の恋の攻防戦〜
どうするつもり?
「うわっ」

小さな声がして芹奈(せりな)は振り返る。

バンケットスタッフの若い男の子が背後からゲストにぶつかられ、手にしていたトレイの上のグラスが一気に傾いていた。

芹奈はとっさにすぐそばにいる社長の前に身を滑らせ、傾いたトレイを手で押さえながら身体でグラスを受け止める。

パシャッというかすかな音と共に、芹奈のドレスの胸元に赤ワインのシミが広がった。

「も、申し訳ありません!」

男の子は真っ青になって大きく頭を下げる。
芹奈は、しっ!と人差し指を立てた。

「大丈夫だから、とにかくあちらへ」

男の子に小声でささやき、二人でバックヤードに向かった。

「あの、本当にすみませんでした!僕、今日この仕事を始めたばかりで、その……」

身を縮こめる男の子の後ろから、責任者と思われる年配の男性が駆け寄って来る。

「お客様!大変申し訳ございません。わたくしの監督不行き届きで、お客様の大切なお召し物を汚してしまい……」

芹奈は笑顔で口を開いた。

「いいえ、大丈夫です」
「ですが、そのままという訳には。すぐに代わりのお召し物をご用意いたします。ドレスもホテルのクリーニングスタッフに渡して直ちにシミ抜きをさせますので」
「本当に結構です。クロークに私の荷物を預けてありまして、そこに着てきたスーツも入っておりますので。では、私はこれで」

会釈をして立ち去ろうとすると、慌てて止められる。

「あの、お客様!本当にこのままという訳にはまいりません。今夜は我が社の大切なパーティーでございます。そのゲストの方にこのようなご迷惑をおかけしてしまったのですから」

でしたら、と芹奈は穏やかに話し出した。

「パーティーに水を差すようなことはしないでおきましょう。つつがなくパーティーを終えられるよう、何事もなかったことに。幸い私はゲストではなく、ホスト側の秘書ですから、何も問題はありません」

そう言ってから芹奈は、真っ青なままうつむいている男の子に声をかける。

「仕事始めの日は緊張すると思うけど、どうかこれからもがんばって。このあともゲストの方々にパーティーを楽しんでいただけるよう、サービスをお願いしますね」
「あ、は、はい!」

男の子が顔を上げて直立不動で返事をすると、芹奈はにっこりと笑って今度こそ立ち去った。
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