まじめ医療部員の由良さんは、北条ドクターの甘々包囲網の中
エピローグ 時を紡いで
五年後、郊外に佇む古風な洋館で、ちょっとしたパーティが開かれていた。
明治の頃に建てられたその洋館は、有名な医系技官だった勇人の曽祖父から彼が譲り受けた別荘だった。エメラルド色の屋根とモザイク模様のアンティークタイルが鮮やかで、来客たちに感嘆の息をつかせた。
その入口で難しい顔をしながら花を整えていた尚史に、ひょこりとうさぎのように顔を出した少女が言う。
「おじちゃん、出来たよ!」
大きな澄んだ目とふわふわの髪をした女の子は、屈託なく尚史に飛びつく。
尚史は相好を崩して屈みこむと、女の子の格好を眺める。
「お、おう。優里、今日はとびきりおしゃれさんだな?」
「うん!」
優里と呼ばれた女の子は、ふわりと白いドレスの裾を流して回って見せた。
彼女は勇人にそっくりの聡明な目で尚史を見上げて、由良にそっくりの柔らかい笑顔を浮かべる。
「だって、パパとママの結婚式だから。ゆうりもママとおそろいなの!」
それを聞いて、尚史はむすっとしながらもうなずいた。
由良が新型インフルエンザにかかって、勇人によって救急に運ばれた日。勇人は立派に応援医師としての役目を果たして、由良の治療も成し遂げた。由良もお腹の子を守り抜いて、それから二か月の後、無事優里を出産したのだった。
「優里、今日はおじちゃんの膝に座るか?」
それで、尚史は自分にはできなかったことを成した勇人をようやく認めた……というより、まもなく生まれてきた姪の優里のかわいさに、意地を張れなかったというのが正しい。
尚史の後ろから、彼の息子の史智もやってきて言う。
「お父さん、孫じゃないんだから。ほどほどにしておかないと、また勇人さんからお歳暮に、趣味の悪いスクラブ届くよ?」
十五歳の史智はそろそろ反抗期で、尚史とあまり遊んでくれない。だから尚史はますます姪がかわいくてかわいくて、優里を構い倒しては、義弟である勇人と火花を散らしているのだった。
ただ史智が優里にまで冷たい態度を取っているわけではない。彼も年の離れた従妹を実の妹のようにかわいがっていて、にこっと笑って優里をほめる。
「ゆうちゃん、よく似合ってるよ。お姫様みたい」
「そうねぇ。女の子は五歳でも立派に女の子だわ」
尚史の妻も優里の白いドレス姿に相好を崩して、史智と二人、よしよしとその頭をなでていた。
今日は家族だけの内輪の結婚式だが、尚史たちが贈った花で至る所が彩られて、洋館はどこか別世界のように華やいでいた。
優里は別の来客をみつけて、ぱっと顔を輝かせる。
「おじいちゃん、おばあちゃんも!」
勇人の両親も優里の笑顔に出迎えられて、ほっと頬を綻ばせた。
二人は娘に先立たれたときは、人生に絶望を感じていた。息子も仕事一筋で、家族にさえ心を閉ざしていた時もあった。
「お祝いに来たよ、優里」
「まあまあ……長生きはしてみるものだわ」
けれど時間は確かに流れて、家族が増えたことを心から喜べる今がある。
「お久しぶりです。よく来てくださいました」
「こちらこそ」
尚史が先に頭を下げると、勇人の両親も丁寧に頭を下げ返した。
「申し訳ない。息子は優里が生まれて、忙しなく過ごしているうちに結婚式を先送りにしてしまって」
「いえ、それは。私が意地を張って、子どもが先の結婚なんてと文句を言ったから」
尚史が眉間にしわを寄せて返すと、優里がきょとんとして尚史の袖を引く。
「おじちゃん、ゆうりのこと嫌いなの?」
「な……っ。そんなこと、あるはずないだろ!」
尚史が大慌てで優里をのぞきこむと、彼女はにっこり笑ってうなずく。
「やっぱり! ゆうり、知ってたよ!」
そもそもこの結婚式は、優里が「パパ、ママ、お願い。結婚式しよ」と屈託なく提案したために、今日の日に至ったのだった。
勇人の母は優里に目を細めながら、少し涙ぐんで言う。
「由良さんと優里がまた私たちに光を見せてくれた。感謝しています」
「……感謝しているのは私もですよ」
尚史はぼそりと不愛想に言葉を返す。
「妹と二人だけの関係のままだったら、私は妹の人生を籠に入れるようにしてしまったかもしれない。勇人君が、由良の強さを引き出してくれた」
勇人は五年前に退社して、また病棟で働き始めた。それを、優里を育てながら支えてきたのが由良だった。
けれど由良は完全に仕事から離れたわけではなく、勇人に手を借りながら医療の勉強も続けてきた。優里が小学校に入るときに、クリニックの医療事務員として働き始める準備をしている。
両家が洋館の中に入ると、料理が振る舞われて、結婚式が始まった。
白いドレスをまとった由良とタキシード姿の勇人が、真ん中に母親とおそろいのドレス姿の優里の手を取って歩いてくる。
由良はふと夫を振り向いて、出会ったときから胸にある尊敬をこめて笑いかけた。
「勇人さん、これからもよろしくお願いします」
勇人も今も変わらず由良に感じる安らぎを胸に、微笑み返して言う。
「はい、こちらこそ。由良さんとなら、ずっと遠い未来まで歩いていきたいから」
まだまだ未来は不確かで、思ったとおりに行かないこともあるかもしれない。
けれどまじめで慌てんぼうの妻と優しくて意思の強い夫は、授かった家族と時を重ねながら、幸せを紡いでいくのだった。
明治の頃に建てられたその洋館は、有名な医系技官だった勇人の曽祖父から彼が譲り受けた別荘だった。エメラルド色の屋根とモザイク模様のアンティークタイルが鮮やかで、来客たちに感嘆の息をつかせた。
その入口で難しい顔をしながら花を整えていた尚史に、ひょこりとうさぎのように顔を出した少女が言う。
「おじちゃん、出来たよ!」
大きな澄んだ目とふわふわの髪をした女の子は、屈託なく尚史に飛びつく。
尚史は相好を崩して屈みこむと、女の子の格好を眺める。
「お、おう。優里、今日はとびきりおしゃれさんだな?」
「うん!」
優里と呼ばれた女の子は、ふわりと白いドレスの裾を流して回って見せた。
彼女は勇人にそっくりの聡明な目で尚史を見上げて、由良にそっくりの柔らかい笑顔を浮かべる。
「だって、パパとママの結婚式だから。ゆうりもママとおそろいなの!」
それを聞いて、尚史はむすっとしながらもうなずいた。
由良が新型インフルエンザにかかって、勇人によって救急に運ばれた日。勇人は立派に応援医師としての役目を果たして、由良の治療も成し遂げた。由良もお腹の子を守り抜いて、それから二か月の後、無事優里を出産したのだった。
「優里、今日はおじちゃんの膝に座るか?」
それで、尚史は自分にはできなかったことを成した勇人をようやく認めた……というより、まもなく生まれてきた姪の優里のかわいさに、意地を張れなかったというのが正しい。
尚史の後ろから、彼の息子の史智もやってきて言う。
「お父さん、孫じゃないんだから。ほどほどにしておかないと、また勇人さんからお歳暮に、趣味の悪いスクラブ届くよ?」
十五歳の史智はそろそろ反抗期で、尚史とあまり遊んでくれない。だから尚史はますます姪がかわいくてかわいくて、優里を構い倒しては、義弟である勇人と火花を散らしているのだった。
ただ史智が優里にまで冷たい態度を取っているわけではない。彼も年の離れた従妹を実の妹のようにかわいがっていて、にこっと笑って優里をほめる。
「ゆうちゃん、よく似合ってるよ。お姫様みたい」
「そうねぇ。女の子は五歳でも立派に女の子だわ」
尚史の妻も優里の白いドレス姿に相好を崩して、史智と二人、よしよしとその頭をなでていた。
今日は家族だけの内輪の結婚式だが、尚史たちが贈った花で至る所が彩られて、洋館はどこか別世界のように華やいでいた。
優里は別の来客をみつけて、ぱっと顔を輝かせる。
「おじいちゃん、おばあちゃんも!」
勇人の両親も優里の笑顔に出迎えられて、ほっと頬を綻ばせた。
二人は娘に先立たれたときは、人生に絶望を感じていた。息子も仕事一筋で、家族にさえ心を閉ざしていた時もあった。
「お祝いに来たよ、優里」
「まあまあ……長生きはしてみるものだわ」
けれど時間は確かに流れて、家族が増えたことを心から喜べる今がある。
「お久しぶりです。よく来てくださいました」
「こちらこそ」
尚史が先に頭を下げると、勇人の両親も丁寧に頭を下げ返した。
「申し訳ない。息子は優里が生まれて、忙しなく過ごしているうちに結婚式を先送りにしてしまって」
「いえ、それは。私が意地を張って、子どもが先の結婚なんてと文句を言ったから」
尚史が眉間にしわを寄せて返すと、優里がきょとんとして尚史の袖を引く。
「おじちゃん、ゆうりのこと嫌いなの?」
「な……っ。そんなこと、あるはずないだろ!」
尚史が大慌てで優里をのぞきこむと、彼女はにっこり笑ってうなずく。
「やっぱり! ゆうり、知ってたよ!」
そもそもこの結婚式は、優里が「パパ、ママ、お願い。結婚式しよ」と屈託なく提案したために、今日の日に至ったのだった。
勇人の母は優里に目を細めながら、少し涙ぐんで言う。
「由良さんと優里がまた私たちに光を見せてくれた。感謝しています」
「……感謝しているのは私もですよ」
尚史はぼそりと不愛想に言葉を返す。
「妹と二人だけの関係のままだったら、私は妹の人生を籠に入れるようにしてしまったかもしれない。勇人君が、由良の強さを引き出してくれた」
勇人は五年前に退社して、また病棟で働き始めた。それを、優里を育てながら支えてきたのが由良だった。
けれど由良は完全に仕事から離れたわけではなく、勇人に手を借りながら医療の勉強も続けてきた。優里が小学校に入るときに、クリニックの医療事務員として働き始める準備をしている。
両家が洋館の中に入ると、料理が振る舞われて、結婚式が始まった。
白いドレスをまとった由良とタキシード姿の勇人が、真ん中に母親とおそろいのドレス姿の優里の手を取って歩いてくる。
由良はふと夫を振り向いて、出会ったときから胸にある尊敬をこめて笑いかけた。
「勇人さん、これからもよろしくお願いします」
勇人も今も変わらず由良に感じる安らぎを胸に、微笑み返して言う。
「はい、こちらこそ。由良さんとなら、ずっと遠い未来まで歩いていきたいから」
まだまだ未来は不確かで、思ったとおりに行かないこともあるかもしれない。
けれどまじめで慌てんぼうの妻と優しくて意思の強い夫は、授かった家族と時を重ねながら、幸せを紡いでいくのだった。


