夏の序曲

第12話 田島先生

その時、不意に部室の扉が開き、顧問の田嶋一樹が顔を覗かせた。
「君たち、練習は順調に進んでるか?」
突然の登場に、部室内に一瞬の静寂が訪れる。田嶋の鋭い視線が部員たちをゆっくりと見渡した。
「はい、なんとか…。」
木村遥が少し緊張した面持ちで答えると、田嶋は軽く頷きながら部屋の中に一歩踏み込んだ。
「コンクールに向けて頑張るのはいいことだ。ただ、合唱部の演奏会も近い。この時期は小ホールの利用について、互いに気を遣うようにしてくれ。」
部室内に一瞬、微妙な空気が漂う。合唱部の演奏会は、複数の高校が出演する合同演奏会だ。その準備として、ステージへの入場から整列、合唱、退場までの流れを練習するため、放課後の小ホールが使われていた。このことは、部員全員が知っている。
小ホールはブラスバンド部、合唱部、演劇部、軽音部が共用しているが、放課後はほぼブラスバンド部が自由に練習できる場となっている。しかし、この時期だけは、合唱部との使用調整が必要になるのだ。
(また合唱部の話か…。)
悠斗は心の中で舌打ちしたが、視線を伏せて黙っていた。
一方、部長の木村は、田嶋の言葉に対してなんとか笑顔を作りながら答えた。
「もちろん気をつけます。私たちも小ホールを使う予定がありますので。」
木村自身、小ホールの使用調整が必要なことは言われなくても分かっていた。だが、いちいち指摘されるのは少しばかり癪に障る。
「そうか。それじゃ、期待してるよ。」
田嶋はさらりとそう言うと、気まずそうな様子もなく部室を後にした。
扉が閉まると、部員たちの間に小さなため息が漏れる。悠斗は譜面に目を落としながら、つい小声で呟いた。
「合唱部ばっかり気にしてるくせに、俺たちには期待してるって何だよ。」
木村がその声を聞きつけ、軽く手を振って制した。
「ほら、余計なこと考えてる暇があったら、もう一回合わせるわよ!」
彼女の強い声に、部員たちはそれぞれ楽器を構え直した。
悠斗はトランペットを握り直し、深く息を吸い込んだ。
(顧問に頼ることはできない。でも、俺たちの力で仕上げてやるしかない。)
部室に再び音が響き渡り、練習は次第に熱を帯びていった。
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