嘘つきと疫病神
 一瞬、心を読まれたのかと思ってしまった。そう錯覚するほどに自然で、なんてことのないように口にしたのだ。

「俺はずっと蕗の傍にいる。十年前、ここで約束したじゃん」
「……そう、だね」

 たとえ戦争で死にに征くことが決まっているとしても。
 帰ってくる見込みなど無く、ずっと共にいられないとしても。
 今だけは、目の前にある幸せに縋っていたい。

「まだ何処にも行かないでね。今は私の傍にいて」
「もちろん。何処にも行くつもりなんてない。今なら柳凪で会えるから、時間があれば顔を出すようにするよ」

 そういうことじゃない。

「うん、いつでも歓迎するよ」

 そういうことじゃない。

「きょーこに笑われそう。あいつ俺のことだけ揶揄うから」
「好きなんだよ、仁武のことが。ずっと弟みたいに可愛がっていたし」
 
 そういうことじゃない。
 そういうことじゃない。
 そういうことじゃない。

 今ならまだ間に合う。言うんだ。伝えるんだ。
 戦争になんて行かないでって。

「流石に冷えるな。そろそろ帰ろうか」
「そうだね」

 手袋の上から手に息を吹きかけながら丘の麓へと歩き出す。遠ざかる背中を眺めていると、足が地に根を張ったように動かなくなる。
 駄目だ。こんな事をしている場合ではない。
 今すぐ追いかけて、手を引いて、思いを打ち明けて。
 
 できない。
 
 自分にはできない。自分の思いを打ち明けることも、彼を引き止めることも。
 行かないでと叫んでしまえば、彼の決意を踏み躙ることになってしまう。
 そうなればきっと、嫌われてしまうことだろう。やっと会えたのに。また離れ離れになってしまう。
 それでも、それでも。

「蕗? どうした?」
「あ、いや、なんでもない」
「早く温かいところに行こう。風邪引いちゃうよ」
「う、ん……」
「蕗?」

 怖い。怖い。怖い。
 嫌われてしまうことが怖い。
 
 足音が少しづつ近づいてくる。ぼやける視界で誰かが自分の方へと近づいてきているようだ。

「体調が悪いのか?」

 力強い足取り、優しい声。
 やっぱり、自分に彼の決意を踏み躙ってまで止めることはできないみたい。
 どうして仁武なのだろう。どうして仁武でないといけないのだろう。

「大丈夫か? 歩ける?」

 額に生暖かいものが触れる。一度瞬きをすると視界が鮮明になり、屈んだ仁武の顔がすぐ傍にあった。

「熱が、あるわけじゃないな」

 立ち上がるとそっと冷え切った左手に触れる。突然のことに離れようとすると、逃げるよりも先に強く握られる。
 思わず顔を上げると、仁武の真剣な眼差しが突き刺さった。

「言いたいことがあるなら言ってよ」
「え?」
「伝えたいことがあるなら言葉にしないと、伝わるものも伝わらない。何か、言いたいことがあるんだよね?」

 仁武は聞こうとしてくれている。昔と変わらない優しさを持って、自分のことを信じて聞こうとしている。
 今、抱いている想いを言葉にしたら、伝えたら、もしかしたら仁武の決意が変わるかもしれない。

「ううん、大丈夫。なんでもないよ」
「でも、顔色が……」
「本当に、大丈夫だからっ!」

 突風が吹き荒れ、木々に積もった雪が辺りに舞い上がる。
 視界が雪に覆われ、仁武の表情が覆い隠される。それをいいことに辺りには蕗の叫び声が響き渡った。
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