白雪くんは、王子様じゃありません!
2話 ヤンキーの優しさ
実紅(みく)、弁当忘れてるぞ~!?」
 玄関で靴を履いていると、パタパタとお父さんがかけてきた。私は半分寝ている頭でそれを聞いている。
「あ……ありがと」
「大丈夫か? 熱はないか?」
「大丈夫大丈夫。ただの寝不足だよ。いってきます」
 心配そうなお父さんの顔を見ていられなくて、そそくさと玄関を出た。言えるわけがない、ヤンキー男子に目を付けられて恐怖で眠れなかったなんて。
「これ以上、お父さんに心配かけられないよ……」
 ふう、とため息をつき、まだ人の少ない通学路を進む。首から下げた母の形見をぎゅっと握り、いつもより長くおもえる道を進んだ。

 学校はまだ生徒も少なく静かだ。私は教室には時間ギリギリに行こうと、一階の図書室へ足を向ける。開けっ放しの鍵は、防犯上よろしくないが好都合でもあった。
 滅多に他の生徒は来ないので、勉強が捗る。私が学校で唯一安らげる場所なのだ。
「ふぁ、ねむい……」
 参考書を開くも、襲い来る睡魔には勝てず瞼は重く閉じていった。心の中で「少しだけ」と唱えて体の力を抜いた。
 目を覚ました頃には、図書室の外はガヤガヤといつも通りの賑やかさだった。時計に目をやると、HRが始まる二分前を指している。
「やばっ!」
 今日ばかりはこの騒々しさに救われた。急いで教室への階段を上った。

「遅かったね、鏡さん」
「ちょっと、ね……」
「クマできてるよ? 寝れてる?」
「まぁ、そこそこ……」
 優しい笑顔の白雪くん。でも、私は本当の姿を知ってしまった。この優しさはウソなのだ。
「……人の所有物、派手に壊しといて快眠できるほど図太くないか、君は」
 ふっと、右の口角だけ上げてイジワルに笑う。こっちが本当の白雪くん。

 HRが終わると、白雪くんが話しかけてきた。私は心臓がきゅっと縮む思いだ。
「ネックレスさ、弁償してくれたら全部許してあげるけど」
「弁償……」
 ネックレスの値段は知っている。白雪くんは、私を金銭的にも困らせたいのか。それとも、彼の周りではあのくらいの価格帯の物が普通なのだろうか。どちらにせよ、私には無理だった。
「ごめんなさい。それは無理、です」
「そっか。じゃあ、」
 白雪くんの長く白く綺麗な指が、首元へと伸びてきた。
「コレ、ちょうだい」
 チャリ、と白雪くんが手にしたのは、私が密かにつけていたネックレスだ。確かに、デザインは似ていた。代わりにはなるのかもしれない。
 だけど……
「無理! もっと無理!」
「はぁ? なんで」
「……これは死んだお母さんの物だから」
 白雪くんは、何も言わずに少し固まった。そのすきに手を払う。
 あぁ、誠心誠意謝ればなんて綺麗ごとだった。私が白雪くんの立場だったらどうだろう? きっと、いくら謝られても許せない。だって、このネックレスは世界に一つしかないのだから。
 白雪くんは、きっと彼女のことが大好きなんだろうなあ。少しだけ、胸がちくりと痛んだ。
「あの……白雪くん?」
「そんな重たいもの貰えないな」
「代わりに何か……」
「そもそも、俺の好みじゃないし。ダサい」
「……ああ、そうですか」
 沈まれ沈まれ。ネックレスは守れたのだから、ここで怒ってはいけない。そもそも、ケンカで男子に勝てるはずがない。
「じゃあさ、体育祭のペアやってくれない?」
「私が?」
 唐突な提案に「何で?」と返すと、白雪くんはまたにっこりと笑った。
「遠慮なく練習に付き合ってもらおうと思って」
 私は、NOと言いたい気持ちを抑えて、小さく「分かりました」と答えた。
 確か、白雪くんの体育の成績はかなりいい。マラソン大会や球技大会でも活躍していたのを覚えている。ある意味、体を動かすことが得意な生徒が集まるこの学校で、成績上位なんて……私は体育祭まで生きているだろうか、と不安になった。


「ネックレス壊されて、彼女に怒られて、いきなりケンカ吹っ掛けられて……挙句の果てには、ペアが運動音痴とか……」
 ツイてなさすぎる、と珍しく頬に絆創膏を貼った白雪くんがうなだれた。
「ペアになってって言ったのは白雪くんじゃん」
「いや、君、足遅すぎね……」
 言われなくても自分が一番分かってるよ!
 叫びたい気持ちだったが、白雪くんも被害者か、と少し同情してしまう。
 私たち、とういうか私が出るのは二人三脚。白雪くんはリレーや借り物競争にも出るらしい。リレーの練習が始まる前に、試しに走ってみたものの、まるでスピードが違い、話にならなかった。
「しょうがないから、今日は君のスピードに合わせる」
「お願いします……」
 白雪くんは私の肩に手を回した。教室で隣に座るときよりも近い距離に、不覚にもドキドキと鼓動が跳ねてしまう。
 白雪くんの本性を知らないままだったなら、もっと嬉しかったのに……。
「早く、手」
「う、うん」
 一五〇センチ台の私が、一七〇センチある白雪くんの肩を掴むのはバランスが取りにくいため、白雪くんの腰に手を回す。全然、ぷにぷにしていない。割と骨ばっていて、華奢なラインを手のひらで感じた。
「いくぞ、せーの」
「え、どっちの……、きゃ!」
 どちらの足を先に出すのか、相談しないまま始まってしまい、私は盛大にコケた。掴まれていた白雪くんもバランスを崩して膝をついている。
「いてて……」
「わ、悪い!」
「あはは、ごめん、止まれなくて……あ、血が」
 白雪くんは足首に結ばれた紐をほどくと、ひょい、と私の腕を引いて立ち上がらせた。
「保健室行くぞ」
「へ……あの、歩けるよ」
「いいから」
 白雪くんの手が、私の腰を支えている。やばい、最近、お菓子食べすぎてたけど大丈夫かな。さっきの白雪くんの細い腰が脳裏に浮かんで恥ずかしくなる。
 私は白雪くんの体操服を掴みながら、ひょこひょことゆっくり歩いた。さっきまで「遅い」と私を責めていた人とは別人のようだ。文句ひとつ言わずに、むしろ、私を気遣うように目を合わせてくる。
「一旦、水で土を落とすぞ」
「うん」
 優しいままの白雪くんなら、こんなこと当たり前にしてくれただろう。今の白雪くんに優しくされると、ときめきよりも苦しくなる。心臓がギュッと狭くなって苦しいのだ。悪い事をした私に優しくしてくれる、罪悪感だろうか。
「しみないか?」
「大丈夫」
 綺麗な瞳が、心配そうに私を見つめた。

 保健室には、最近校内で有名な黒羽くんがいた。
「司? ケガか?」
「あぁ。ちょっと、こいつがな」
 白雪くんは私を座らせると、ポン、と頭に手を乗せた。
「今からリレーの練習あるから、行ってくる」
「そうだったね。ありがとう、白雪くん」
「……その『白雪くん』て呼び方、好きじゃないから『司』でいい。じゃあ、お大事に」
 白雪くんは、振り返らないまま保健室のドアを閉めた。
 黒羽くんは「仲がいいんだな」と笑った気がしたが、見間違いかもしれない。
「そんなことないよ」
「そうか? あ、消毒とかこっちだから。そのくらいなら自分で手当てできるだろ」
 丁寧に説明したあと、黒羽くんは、じぃっと私を凝視した。
「気を付けろよ」
「うん、ケガには気を付けるね」
「……そうじゃなくて、司の近くにいると色々と危ねぇだろ」
 黒羽くんの忠告をイマイチ理解できなかった。私からしたら白雪くんよりも、黒羽くんの近くにいる方がはるかに危なそうだ。
「知らないならいい。どうせ、俺が司を倒すしな」
「え? 同じクラスだから、無理じゃない?」
「……体育祭の話じゃ……いいや、早く手当てしろよ」
 黒羽くんは最後まで説明せずに出ていってしまった。
 気を付ける? 何で?
 もしかして、白雪くんはいきなり暴力をふるったりするのだろうか。先日、白雪くんに吹っ飛ばされる黒羽くんを見たばかりだった。
「でも、そんなに悪い人じゃないよね……きっと」
 じゅく、と消毒が傷に染みた。
 手当てを終え、洗面台の前に立つと、土のついた体操服が目に入る。お腹が汚れたのは私が転んだせい。腰に少し汚れがついたのは、白雪くんの優しい手のせい。
 黒羽くんを殴ったあの手よりも、さっきまで私を支えていた手を信じたいと思った。

< 2 / 14 >

この作品をシェア

pagetop