冴えない男子は学校一の美少女氷姫と恋人になる

最終話 氷姫と冴えない男子


 視線が交差した気がした。
 二度と会わないと決めたはずなのに、嬉しさが心の内側から込み上げてくる。

 なぜだろう……いや、答えは分かりきっている。どんなに偽ったところで、心の奥にある誠也への想いは本物なのだから。

『まったく……誠也はずるいんだからっ。いいわ、私の本心を部屋で話してあげる。ですから──迎えにいくからそこで待ってなさいね』

 心を揺さぶられたまま誠也のもとへ向かっていく瑞希。
 思い浮かべているのは、顔など見たりしたらどんな行動してしまうかということ。

 素直な気持ちで接しられるのだろうか?
 それとも天邪鬼な一面が飛び出してしまうのか?
 いや、きっと氷姫の仮面をつけたままになるであろう。

 とにかく、これ以上動揺しないようしなければ──瑞希はその言葉を心に刻みつけた。

「お待たせしましたわ。まったく……実家まで来るだなんて、誠也は何を考えてるのかしら。とりあえず、私の部屋に案内するわね」

 懐かしき瑞希の生声に、思わず誠也から笑みがこぼれる。
 氷姫に相応しい冷たさだが、直接話せるのは嬉しいもの。
 以前のように瑞希の隣を歩いていないものの、誠也は心の底から喜んでいた。

「さぁ、着きましたわよ。ここが私の部屋ですわ」

 部屋というには大きすぎる。
 それが誠也にとっての第一印象だった。

 綺麗に整理整頓された部屋は瑞希のような美しさで、自然と見入ってしまうほど。
 言い換えれば、お姫様が住むような気品が漂っていた。

「な、何よ、ジロジロ部屋なんか眺めて……」
「いや、なんていうか、その……お姫様の部屋ってこんな感じなのかなって」
「そんなの知らないわよっ。それでさっそくですけど、誠也とは偽りの恋人関係なだけで、それ以上でもそれ以下でもありませんわ。これが私の本心ですの」

 まるで何かから逃げるように、瑞希はさっそく本題である本心を話し出した。
 まったくブレない真っ直ぐな言葉。
 今は氷姫であり続けなければならない──それが瑞希の選んだ道であった。

 揺らいでいる心を悟られてはいけない。
 隙など絶対に見せず、主導権を誠也に渡さないようにする。
 でなければきっと……自分という存在が制御不能に陥るのは間違いなかった。

「それはウソだね、実際に会って見て分かったよ。瑞希、どうしてそんなウソをつくの?」
「私はウソなんて──」
「それじゃ、どうして泣いてるんだい?」

 誠也に言われるまで気づかなかった。
 氷姫でいるはずなのに、温かいモノが頬を伝わって床に落ちていく。

 どうしてなのか分からない。
 氷姫の仮面をつけているはずなのに、こぼれ落ちる涙が止まらない。
 せっかく築き上げた心の壁が、いとも簡単に崩壊してしまう。

 どれだけ偽ろうとも、冷たく突き放そうとも、瑞希にとって誠也という存在は特別すぎたのだ。

「こ、これは……違うのよ、きっと何かの間違いですわ」
「瑞希! もう一度聞くよ? 本当はどう思っているの?」

 誠也に力強い手で両肩を掴まれ、瑞希は完全に逃げ道を塞がれた。
 いや、それだけではない、真っ直ぐな瞳を向ける誠也の顔を見られない。

 顔が紅潮し封じていた感情が浮かび上がってくる。
 ダメ、もうこれ以上は──湧き上がりそうな感情を堰き止めようとするも、大きな力によって為す術なく本当の瑞希が姿を現してしまった。

「私は……本当の私は……。だって、こうするしかなかったのですわ! これが最善の選択なんですもの……」
「最善の選択ってどういう事なの?」
「あの日、クリスマスパーティーの日に見たのよ。誠也と萌絵がキスしてるところを……。だからよ! だから私さえいなければ、みんなが幸せになれるのよっ!」

 苦しさは自分が背追い込めばいい。
 偽りの恋人でもなく、ましてや幼なじみでもない萌絵とのキスは、瑞希にとって両想いとしか考えられなかった。

 それなのに──目の前にはいるはずのない誠也がいた。

「そっか、それでだったんだね」
「そうよ! なのにどうして誠也がここにいるんですのっ!」
「それはね、僕にとって瑞希が特別だって気がついたからだよ」

 特別とはどういう事なのか、瑞希には最初それが分からなかった。
 徐々に冷静さを取り戻していくと、誠也が言おうとしている事が何か理解する。

 そう、自分は他の人とは違い、誠也にとって特別な存在。
 それは偽りなんかではなく本物の関係になれること。
 嬉しい──それ以外の言葉が浮かばないほど舞い上がってしまう。

 が……萌絵とキスをした事実は消え去ったわけではない。
 すぐに氷姫へと戻ると、瑞希はどうしてそうなったのかを誠也に問い詰めようとした。

「ねぇ、誠也、私がその……特別というのでしたら、萌絵とキスしたのはどう説明するつもりかしら?」
「そ、それは……」

 冷たい視線ではあるものの、どことなく親近感が湧く。
 しかしいくら親近感があるとはいえ、萌絵とキスした理由をそう簡単に話せるはずない。

 誤魔化すのだけは避ける必要がある。
 誠意を見せなければ──それならばと、誠也は事実こそ伝えるが、自分が悪者になるよう少し脚色しようとしていた。

「話の流れと言うか、その場の雰囲気に飲まれて魔が差したと言いますか……」
「ふぅーん、誠也はその場の雰囲気で誰とでもキスするんだ」
「ち、違うよ。誰とでもじゃないからっ」

 自分で決めた事とはいえ、改めて追求されると胸に痛みを覚えるもの。

 誰とでもキスをするわけではない。
 あの時は逃げ場がなかっただけ。
 そう、逃げ場が……つまり、逃げ場がなければ誰とでもキスをする、という原点回帰となってしまった。

「何が違うのか説明してもらえますの?」
「ごめん、瑞希。萌絵さんから告白されて僕は舞い上がってたんだ。それで、その……本当にごめん。許してもらえるかな?」

 言い訳などせず誠也は本気で瑞希に謝った。
 罵倒されてももいい、それぐらいの覚悟を持って頭を深々と下げた。

「どうましょうかしらね。このどこにも行けない怒りをぶつけさせてくれれば、許してあげますわ」
「……わ、分かったよ」
「ものすごく怒ってますからね。ですから、目を閉じて覚悟してくださいまし?」

 瑞希を傷つけたのだから、誠也は素直に言われた通り目を瞑る。
 きっと特大のビンタが飛んでくるだろう──誠也は痛みに耐える心構えで静かに待っていた。

 長い、時間にしたらほんの一瞬のはずが、数分にも感じてしまう。
 これは瑞希を傷つけた罰であり、いつ来るのかという不安が誠也の心を疲弊させるのもそのひとつ。
 周囲が静寂に包まれ、誠也は審判がくだるのを静かに待っていた。

 ──チュッ。

 微かな音とともに何かが唇に触れた。甘い香りも漂い、自分の身に何が起こっているのか分からなくなる。
 暗闇の中で心拍数だけが跳ね上がる中、一向に来ない痛みを不思議に思い、誠也は瑞希との約束を破ってゆっくりと目を開けた。

「────!?」

 その瞳に映りこんだ光景に驚きを隠せない。
 なぜなら、瑞希の顔がすぐ目の前にある。
 瞳は閉じられ唇が重なり合っている。

 これは誰がどう見てもキス──とても罰とは思えないが、誠也は黙って従うしかできなかった。
 ふたりだけの世界、ふたりだけの時間、頭が真っ白になりどれくらい経ったのかすら分からない。

 ただ言えるのは、罰にしてはチョコレートのように甘く、そして溶けそうなほど気持ちがよいものであった。

「これで許してあげますわよ」
「瑞希……」
「何も言わないでね、誠也。私、転校するのやめにするわ。フィアンセも解消してもらうようお母様に話してみます。ですから、私を信じて待っててくれないかしら?」
「分かったよ、僕は瑞希を信じるから。きっと戻ってくるまで待ち続けるからねっ」

 瑞希と交わした約束を信じ誠也は屋敷をあとにする。
 絶対に帰ってくるはず──たとえどんなに困難な道であろうとも、瑞希なら達成できると信じながら……。


 あれから何日経っただろう。
 それでも誠也は、瑞希の言葉を信じて待ち続けた。

 ──ピンポーン。

 平日の朝に鳴り響くチャイム音。
 瑞希が来なくなってから、代理と言わんばかりに瑠香が来るのが日課になっていた。

「ちょっと待ってて、今行くからさ」

 いつも通り玄関を開け外に出ると、そこにはいたのは──。

「おはよ、誠也。さっ、学校に行きますわよ」
「み、瑞希!?」

 一瞬、夢かとも思った。頬っぺをつねるも、その痛みが現実だと教えてくれる。
 幻なんかでもない、あの瑞希が約束通り誠也のもとへ帰ってきたのだ。

「何をボーッとしてますの? それとも転校初日から私を遅刻させる気?」
「い、いや、あまりにも突然で驚いちゃって……」
「ねぇ、誠也、私の恋人になってくださいまし。でないと──黒歴史ノートを学校でみんなに公開しますわよ?」
「えっと、そ、それは、偽りの恋人? それとも……本物の……」
「ふふふふふ、さぁどっちかしらね。とにかく学校へ行きますわよ」

 懐かしい声に誠也の瞳はほんの少しだけ潤んでしまう。
 あの日常が戻ってきた──ふたりは恋人繋ぎで学校へと歩き始めたのであった。
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