今夜、上司と不倫します  不倫したら一億円もらえるって本当ですか!?
 やばいやばいやばい。
 電車を降りた亜都は弾かれたように駆け出した。
 寝坊して出社が遅くなってしまった。

 会社の近くで、なんとか間に合いそうだ、と走るのをやめて肩で息をしながら歩き出す。

 背比べするようにビルが立ち並ぶ中、ひときわ高いビルが亜都の勤める香宝グループの本社だ。高層階の重役室は雨の日には雲に隠れる。重役たちはまさに雲上人だ。

『カホウ化粧品』『ホームケア・カホウ』など、化粧品や家庭用品を作る大企業、香宝グループに就職できたのだ。しがない事務だが、ずっとここで仕事をしていく、と決めていた。

 ビルの前には広々とオープンスペースが作られて木々がおしゃれを演出するように植えられ、隣には景観を邪魔しないデザインで車寄せが作られている。

 そこに黒塗りのつやつやした車が止まっていた。後部座席の窓は真っ黒で、鏡のように亜都が映っている。
 運転手の不在を確認してから乱れた髪を手櫛で整え、コートの襟も直す。

 あ、口紅忘れてた。
 バッグからリップを出してさっと塗る。唇をぎゅっと合わせ、またガラスで確認する。
 うん、いい感じ。

 ほっとして、亜都は歩き出す。
 あの車はときどき止まっていて、出社前に鏡がわりに利用させてもらっている。

 安心しきっていた亜都は、直後に車から人が降りたことに気が付かなかった。
 彼が彼女の後ろ姿をぎりっと睨んでいたことにも。
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