あやめお嬢様はガンコ者
「久瀬くん、良い機会だから少しお仕事のお話をしても構いませんか?」
「え?はい、どうぞ」
恋愛の話が気になりつつ、真剣なあやめさんの表情に俺も気を引き締めた。
「グローバルマーケティング部の部長の件、引き受けるかどうかの正式なお返事はまだだとうかがいました。少し迷っておられるとのこと。久瀬くんは、グローバルライセンス部も同時に新設されることはご存知ですよね?」
「はい、部長から聞いています」
「そうですか。これは社長から許可を取り、久瀬くんだけになら話してもいいと言われたのでお話ししますが……」
あやめさんは心を落ち着かせるようにゆっくりと息を吸ってから、顔を上げる。
「実はグローバルライセンス部の部長にと、私に打診をいただきました」
えっ!と俺は息を呑んだ。
「あやめさんが?いや、でも納得です。それであやめさんは、引き受けられるんですか?」
「はい。私はどうしてもやり遂げたいことがあるので」
「それは、どんなことですか?」
俺が身を乗り出すと、あやめさんは真っ直ぐに俺を見ながら話し出す。
「今、ふたば製薬は海外に支社を広げています。ですが皆、各支社ごとの売り上げやマーケティング戦略にばかり注目している気がするのです。この国にはこんな薬をこういうふうにすれば売れる、そんな考えが透けて見えるのです」
俺はあやめさんの言葉を噛みしめてから頷いた。
「各国支社の売り上げ推移などは、うちの営業部でも共有しています。支社同士で競争している雰囲気なのも感じています」
「ええ。ですが私はその流れを変えたいのです。医薬品は、国や地域、そしてもちろん人種や貧困の差に関係なく、必要としている患者さんに平等に届けるべきだと考えているからです。ふたば製薬全体で流通のオペレーションやシステムを統一する。私はそれを目指しています」
あやめさんの並々ならぬ決意を感じて、俺はゴクリと喉を鳴らす。
「それは、売り上げや業績を二の次にする、ということですか?」
「はい、そうです。まずは本社も各国支社も一貫した理念とフローチャートを持つこと。これを最優先事項とします」
きっぱりと言い切ってから、あやめさんは少し視線を落とした。
「ですが、やはり社員の皆さんの生活も守らなければなりません。業績が落ちるのは、最小限に留めたいと思っています。そしてその為には、久瀬くんの力が必要です」
「えっ!どうしてですか?」
「久瀬くんなら、私の方針を理解した上で、最大限に会社に利益をもたらしてくれると思うからです。営業成績トップの久瀬くんは、常に先方にとって最善のご提案をして喜ばれてきました。久瀬くんなら、我が社のマーケティングやR&D(Research and Development)に関しての指針を任せられます」
「そんな、買いかぶり過ぎですよ」
あまりにスケールの大きな話に、俺は思わず尻込みしてしまう。
俺にそれ程の力があるとは、到底思えなかった。
だがあやめさんは、落ち着いてじっと俺を見つめる。
「久瀬くん。私だって今は何も出来ない未熟者です。けれど、これだけはどうしてもやり遂げたい。久瀬くんと一緒なら、叶えられると思っています」
「……どうして俺なんですか?営業以外の経験なんてないですし、まだ入社5年目で、この会社のことだって知らないことが多々あります」
するとあやめさんは、初めて少し困った素振りを見せた。
「その、なかなか説明しづらいのですけど……。久瀬くんは、どんなに私が断っても、私の送り迎えをすると言ってくれました。それに夕べ私が電話で泣いてしまった時も、すぐに駆けつけてくれて……。久瀬くんは芯の通った考え方をする人、そして決めたことを真っ直ぐ行動に移せる人だと思うからです」
真剣に訴えてくるあやめさんの瞳から、俺は一瞬も目をそらすことが出来なかった。
あやめさんの言葉が、俺の心の奥深くに入り込む。
そして沸々と熱い気持ちが込み上げてくるのを感じた。
「あやめさん」
「はい」
「あやめさんの決意はよく分かりました。あやめさんの想いに心を打たれて、気持ちも焚き付けられました。俺もこれからは確固たる信念を持ち、自ら考えてこの会社をより良くしていきたい。社会に、そして世界中の人々に貢献出来るように。あやめさん、俺にもそのお手伝いをさせてください」
あやめさんは目を見開いて息を呑む。
「本当ですか!?」
「はい。グローバルマーケティング部の部長、謹んでやらせていただきます」
「久瀬くん……。ありがとうございます」
ホッとしたような笑顔を見せたかと思うと、緊張の糸が切れたように、あやめさんの目にみるみるうちに涙が浮かぶ。
慌ててうつむき、指先で涙を拭うあやめさんに、俺はクスッと笑ってしまった。
「ねえ、あやめさん。やっぱり夕べの電話でも泣いたんですよね?」
「ち、違います。あれは玉ねぎを切ったからです」
「ほんとにガンコだな。でもちょっとおっちょこちょいですよ?」
「え?どうして?」
「だってさっき、あやめさんポロッと言っちゃってましたから。『夕べ私が電話で泣いてしまった時もすぐに駆けつけてくれた』って」
あっ!とあやめさんは両手で口元を覆う。
恥ずかしそうに顔を真っ赤にするあやめさんは、先程真剣な表情で仕事に対する信念を語っていた時とは違い、可愛らしい女の子そのものだった。
守ってあげたいなあ、あやめさんを。
どんな時もそばにいて支えたい。
もっともっと知りたい。
あやめさんの色んな表情を。
頬を緩めてそう思ってから、俺は気を引き締める。
いや、何がなんでも守るんだ、あやめさんを。
何があっても必ずそばで支えてみせる。
そして二人で大きな目標に挑むんだ。
やり遂げてみせる。
あやめさんの想いを実現させる為に。
病気で苦しむ世界中の人に、少しでも貢献出来るように。
俺はこの日を境に、仕事への意識と自分の人生の生き方を明確にさせた。
「え?はい、どうぞ」
恋愛の話が気になりつつ、真剣なあやめさんの表情に俺も気を引き締めた。
「グローバルマーケティング部の部長の件、引き受けるかどうかの正式なお返事はまだだとうかがいました。少し迷っておられるとのこと。久瀬くんは、グローバルライセンス部も同時に新設されることはご存知ですよね?」
「はい、部長から聞いています」
「そうですか。これは社長から許可を取り、久瀬くんだけになら話してもいいと言われたのでお話ししますが……」
あやめさんは心を落ち着かせるようにゆっくりと息を吸ってから、顔を上げる。
「実はグローバルライセンス部の部長にと、私に打診をいただきました」
えっ!と俺は息を呑んだ。
「あやめさんが?いや、でも納得です。それであやめさんは、引き受けられるんですか?」
「はい。私はどうしてもやり遂げたいことがあるので」
「それは、どんなことですか?」
俺が身を乗り出すと、あやめさんは真っ直ぐに俺を見ながら話し出す。
「今、ふたば製薬は海外に支社を広げています。ですが皆、各支社ごとの売り上げやマーケティング戦略にばかり注目している気がするのです。この国にはこんな薬をこういうふうにすれば売れる、そんな考えが透けて見えるのです」
俺はあやめさんの言葉を噛みしめてから頷いた。
「各国支社の売り上げ推移などは、うちの営業部でも共有しています。支社同士で競争している雰囲気なのも感じています」
「ええ。ですが私はその流れを変えたいのです。医薬品は、国や地域、そしてもちろん人種や貧困の差に関係なく、必要としている患者さんに平等に届けるべきだと考えているからです。ふたば製薬全体で流通のオペレーションやシステムを統一する。私はそれを目指しています」
あやめさんの並々ならぬ決意を感じて、俺はゴクリと喉を鳴らす。
「それは、売り上げや業績を二の次にする、ということですか?」
「はい、そうです。まずは本社も各国支社も一貫した理念とフローチャートを持つこと。これを最優先事項とします」
きっぱりと言い切ってから、あやめさんは少し視線を落とした。
「ですが、やはり社員の皆さんの生活も守らなければなりません。業績が落ちるのは、最小限に留めたいと思っています。そしてその為には、久瀬くんの力が必要です」
「えっ!どうしてですか?」
「久瀬くんなら、私の方針を理解した上で、最大限に会社に利益をもたらしてくれると思うからです。営業成績トップの久瀬くんは、常に先方にとって最善のご提案をして喜ばれてきました。久瀬くんなら、我が社のマーケティングやR&D(Research and Development)に関しての指針を任せられます」
「そんな、買いかぶり過ぎですよ」
あまりにスケールの大きな話に、俺は思わず尻込みしてしまう。
俺にそれ程の力があるとは、到底思えなかった。
だがあやめさんは、落ち着いてじっと俺を見つめる。
「久瀬くん。私だって今は何も出来ない未熟者です。けれど、これだけはどうしてもやり遂げたい。久瀬くんと一緒なら、叶えられると思っています」
「……どうして俺なんですか?営業以外の経験なんてないですし、まだ入社5年目で、この会社のことだって知らないことが多々あります」
するとあやめさんは、初めて少し困った素振りを見せた。
「その、なかなか説明しづらいのですけど……。久瀬くんは、どんなに私が断っても、私の送り迎えをすると言ってくれました。それに夕べ私が電話で泣いてしまった時も、すぐに駆けつけてくれて……。久瀬くんは芯の通った考え方をする人、そして決めたことを真っ直ぐ行動に移せる人だと思うからです」
真剣に訴えてくるあやめさんの瞳から、俺は一瞬も目をそらすことが出来なかった。
あやめさんの言葉が、俺の心の奥深くに入り込む。
そして沸々と熱い気持ちが込み上げてくるのを感じた。
「あやめさん」
「はい」
「あやめさんの決意はよく分かりました。あやめさんの想いに心を打たれて、気持ちも焚き付けられました。俺もこれからは確固たる信念を持ち、自ら考えてこの会社をより良くしていきたい。社会に、そして世界中の人々に貢献出来るように。あやめさん、俺にもそのお手伝いをさせてください」
あやめさんは目を見開いて息を呑む。
「本当ですか!?」
「はい。グローバルマーケティング部の部長、謹んでやらせていただきます」
「久瀬くん……。ありがとうございます」
ホッとしたような笑顔を見せたかと思うと、緊張の糸が切れたように、あやめさんの目にみるみるうちに涙が浮かぶ。
慌ててうつむき、指先で涙を拭うあやめさんに、俺はクスッと笑ってしまった。
「ねえ、あやめさん。やっぱり夕べの電話でも泣いたんですよね?」
「ち、違います。あれは玉ねぎを切ったからです」
「ほんとにガンコだな。でもちょっとおっちょこちょいですよ?」
「え?どうして?」
「だってさっき、あやめさんポロッと言っちゃってましたから。『夕べ私が電話で泣いてしまった時もすぐに駆けつけてくれた』って」
あっ!とあやめさんは両手で口元を覆う。
恥ずかしそうに顔を真っ赤にするあやめさんは、先程真剣な表情で仕事に対する信念を語っていた時とは違い、可愛らしい女の子そのものだった。
守ってあげたいなあ、あやめさんを。
どんな時もそばにいて支えたい。
もっともっと知りたい。
あやめさんの色んな表情を。
頬を緩めてそう思ってから、俺は気を引き締める。
いや、何がなんでも守るんだ、あやめさんを。
何があっても必ずそばで支えてみせる。
そして二人で大きな目標に挑むんだ。
やり遂げてみせる。
あやめさんの想いを実現させる為に。
病気で苦しむ世界中の人に、少しでも貢献出来るように。
俺はこの日を境に、仕事への意識と自分の人生の生き方を明確にさせた。