あやめお嬢様はガンコ者
「いい加減にしないと、そのカバンごと奪って逃げますよ」

男の冷たい声が、私を現実へと引き戻す。
私は涙を堪えると、意を決してノートパソコンを取り出した。
開いて電源を入れると、男は背後から画面を覗き込む。

「おー、いいやつ使ってますね。あっという間に立ち上がった」

私はさり気なく角度を変えて、男に見られないようにパスワードを入れてから、USBメモリを差し込んだ。

「ん?これ、空じゃないですか」

ギクリとしつつも、なんとか平静を保つ。

「もう一つ別のメモリがあったわ」

そう言ってバッグに手を入れてゴソゴソ探るフリをした。

「見え透いた嘘はもういいですよ。貸してください。デスクトップのフォルダをいくつか移しますから」
「やめて!」

奪われそうになるパソコンを、私は必死で胸に抱え込む。

「離せっ!痛い目に遭いたいのか?お嬢さんよ」
「いや!やめて!」
「この……!」

男が大きく手を振り上げ、私は目をつぶって身体を固くした。
バシン!と乾いた音がして、思わず歯を食いしばる。
けれど、どこも痛くもなければ何かに触れられた感触もない。

えっ?と恐る恐る目を開けた途端、誰かにギュッと抱きしめられた。

この胸の温もりと、大きな腕に包み込まれる安心感は……

「久瀬くん!」
「あやめさん、ケガは?」
「大丈夫です」
「良かった」

久瀬くんはホッとしたように微笑んでから、一気に顔つきを変える。

私を背中にかくまうと、しかめっ面で右手を押さえている男に向き合った。

「脅迫罪で警察に通報する」
「くそっ!」

男は慌てて逃げ去って行く。
久瀬くんはその後ろ姿を睨みながら見送ると、振り返って私の顔を心配そうに覗き込んだ。

「あやめさん、遅くなってすみませんでした。もう大丈夫ですから」
「はい……。ありがとうございます」

声が震え、涙がこぼれ落ちる。
久瀬くんはもう一度ギュッと私を胸に抱きしめた。

「怖い思いをさせてしまって、本当にすみませんでした。あやめさんが帰って来るのを駅で待っていたんですけど、なかなか会えなくて。メッセージも既読にならないから、心配になって来てみたんです」
「そうだったの、ごめんなさい。今日はスーパーに寄らずに、いつもと違う改札を使ったから」
「そうでしたか。あやめさん、とにかくマンションへ。歩けますか?」
「ええ、大丈夫です」

私は久瀬くんに肩を抱かれてマンションへと帰った。
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