新城社長が愛妻に出会ったころ

5 二人を結んだ授かりもの

 璃子に大きな授かりものがやって来たのは、出海と暮らし始めて半年ほどのことだった。
 その頃、璃子は体調を崩して仕事を休んでいた。元々丈夫でない体だから、出海も心配して時間を見つけては側についていた。
 でも璃子は、これが常でない変調だと気づいていた。だから出海にも黙って薬局に出かけて、ある検査キットを買った。
「……どうしよう」
 それは妊娠検査キットで……結果は陽性だった。
 璃子は結果を部屋で見て、心が震えるくらいにうれしかった。
「私のお腹に、いるんだ……出海さんの赤ちゃん」
 出会ったときからとても大切にしてくれた人との間に結んだ、かけがえのない命。これから数か月それを守っていくと知って、自然と頬がほころんだ。
「……でも、出海さんに何て言おう」
 出海はきちんと避妊をしてくれていた。結果として完全ではなかったが、ようやく仕事が軌道に乗り始めた璃子を守るためにそうしてくれていたのを知っている。
 ……けど、彼自身も子どもを望んでいなかったのでは? ふとそう思ったとき、璃子はうつむいて哀しみに沈んだ。
 社長になったばかりの出海は、子どもに心を掛けている時間はないかもしれない。まして結婚しているわけでもない璃子が宿した子どもなのだから。
 出海にはもっとふさわしい女性が現れて、彼女と子を育んでいくのでは? そう思った途端に胸に激痛が走って、璃子は気づけば涙を落としていた。
「泣いてちゃだめ」
 でも璃子は、授かった赤ちゃんへの愛しさなら誰にも負けない自信があった。涙を拭いて検査キットを片付けると、急いで荷物をまとめ始めた。
 午後に一度家に寄るよと、出海は言っていた。だからあまり時間がない。
 璃子はリビングに書き置きを残して、数泊分ほどしかない荷物を持って出海の家を出た。
 子どもは実家で密かに産んで、一人で育てようと思った。後々の争いにならないよう、決して出海には知られないようにしよう……とも考えた。
 でも駅に辿り着いたとき、璃子はそこに見慣れた車を見かけた。
 車の窓が開いて、出海が困ったように顔を見せる。
「璃子。そんな荷物を持ってどこに行くの?」
 出海は怒るでもなく、ただ心配そうに璃子に問いかけた。璃子は立ちすくんで、言葉に詰まる。
 出海は車から降りてきて、そっと璃子をのぞきこみながら言った。
「ごめん、驚かせたね。家の警備会社から連絡が来たんだ。璃子が慌てた様子で出て行ったそうだから……何か困った事態になっていないかと、先回りした」
 璃子はごくんと息を呑んで、うつむきながら返す。
「……出海さん。このまま何も言わずに見逃してくれませんか」
 出海は璃子の言葉を聞いて、はっと息を呑む。
「何があったの、璃子? ……僕は何か君に、不誠実なことをしてしまったのかな」
 出海が傷ついたように口の端を下げたのが見えた。璃子は胸が痛むのを感じながら、でもそうやって嘘をついた方がいいのかもしれないとも思う。
 出海は璃子の手を取って、切ないような目で璃子を見た。
「璃子、聞いて。君との日々は僕にかけがえのない安らぎをくれた。この半年、僕は今までで一番幸せな日々だった。……もう君と離れるのは考えられないんだ。できる限りの努力をするから、君の心の内を僕に話してほしい」
 出海の惜しみない愛の言葉に、璃子の心が揺らぐ。
 自分も出海との日々が一番幸せだった。彼とずっと一緒にいたいと思った。
 けれどそう思えば思うほど、自分といるのは彼の幸せの邪魔になるのではと弱気な気持ちが湧きあがる。
 不安定な心のまま、長く立っていたからだろうか。璃子は青い顔をして、出海に小さく伝える。
「……体調が優れないので、実家に戻ろうと思ったんです」
 璃子の顔色を見て取って、出海は慌てて謝る。
「すまない、ここのところ体調も悪かったのに立たせたままで。璃子、車に乗って。一度家に帰ろう?」
「いいえ……大丈夫、一人で行けますから」
 璃子は頑なに車に乗るのを拒否して、出海は一度思案するように沈黙した。
「……璃子、もしかして」
 出海はぽつりとつぶやいて、ふいに璃子の頬を両手で包んだ。
「まさか……本当に?」
 璃子はとっさに首を横に振ろうとした。けれど代わりにあふれたのは涙だけで、もう嘘をつくことができなかった。
 出海は彼にしては珍しく強く問う。
「隠さないで。……赤ちゃんが、できたんだね?」
 璃子は涙を拭って、小さくうなずいた。
 途端、璃子は出海に抱きしめられていた。足は地面から離れて、出海に全身を預ける格好になる。
「い、出海さん……?」
 璃子がそっと見上げると、出海はあふれるような笑顔で璃子を見て言った。
「夢にまで見ていたよ。君と子どもが育てられたらどんなにいいかと。僕にとっても初めてのことだから、君が不安に思うのも無理はないが……」
 出海はふいに膝をついて、璃子の両手を包んで言った。
「璃子、結婚してほしい。そして僕を父親にしてくれないか。夢ではなく、これから先ずっと僕と歩んでほしいんだ」
「……出海さん」
 きっと璃子が出海と結婚するには、もっとたくさんの時間と決意が必要だった。
 でもお腹に宿った子が、璃子の背中をふいに押した。それで不安は、出海の真摯な言葉がすべて溶かしてくれた。
 璃子はぽろぽろと涙を落として、出海の手に自分の手を重ねて言う。
「はい……一緒にいたい、です」
 出海はまた璃子を強く抱きしめて、幸せそうに返した。
「僕らを早く結ぶために、この子はやって来てくれたんだね。……天使みたいな子だ」
 優しいまなざしを向ける出海に、璃子もやっと笑顔を見せた。
 新城社長は愛妻が出産のために実家に戻るのさえ、渋りに渋ったと言う。それくらい、彼は愛妻といつも一緒にいる時間を好んでいた。
 子どもが独立して、年を取ってからも、彼はよく愛妻と二人でデートに出かけたという。
 天使のように愛らしい一人娘が恋をしたときは、新城社長とて心穏やかでなかったが、それは置いておいて。
 これは、新城社長が愛妻に出会った頃のお話。
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