すれ違い契約結婚から始まる、冷徹社長との子育て新婚生活【1話だけ大賞】
 櫻井(さくらい) 志筑(しずく)は、高校生時代の先輩で私の元カレ。
 付き合っていた頃は好きだったけど、急に連絡が取れなくなってしまって見捨てられたと思っていた。

 もう二度と会いたくないと思っていたのに、彼との再会は運命のイタズラならぬ嫌がらせとしか思えない。

 しかも彼の勝手で疎遠になったのに……。

「結婚してほしい」

 なんて、自分勝手なことを言ってくる。

「……え?」

 私を好きでもない癖に、なんで軽々しくそんなことが言えるの?
 あなたには好きだったひとがいるんでしょう?

「この子が成人するまでの間、俺の契約妻になってくれないか?」

 だって。

 再会した元カレ(あなた)には、息子がいるんだから……!

――

 私の名前は菅谷(すがや) 瞳美(ひとみ)
 玩具メーカーの人事部で働いている。
 日曜日の今日出社している理由は、うちの会社で働く人向けに家族社会科見学があるから。

 家族があらかたやってきたところで、受付担当の私と同僚の佐藤さんは、名簿を再確認した。

「あと一組ね。櫻井……なんて社員、うちにいたっけ?」
「親会社の社長だよ。覚えてないの?」
「逆に覚えてるの凄いわよ」
「あー……。知り合いの苗字と同じだったから覚えてるのかなあ」

 櫻井。元カレの苗字と漢字まで同じだから、つい覚えていたのかも。

 ふと、集合場所の会議室へと親子が楽しそうに入っていく姿を眺めて、私は呟いた。

「家族って良いね」
「そう? 一人の方が楽じゃない。菅谷さんは結婚したいの?」
「結婚まで行かなくて良いから、彼氏欲しいなあ」
「うちの会社社内恋愛多いし、手っ取り早く社内のひとに目星つけたら? 同期の田中君とか素敵じゃない?」
「軽い気持ちで付き合ってください! とか言えない!」
「みんな軽い気持ちでホイホイ付き合っては乗り換えてるわよ。菅谷さんって純情だよね」
「純情とかじゃなくて……。もうアラサーだし、結婚を見据えたお付き合いをしたくてだね……」
「そう言うのを真面目って言うのよ。じゃあマッチングアプリは?」
「……マッチングアプリって怖くない?」
「そんなこと言ってると永遠に出会いないわよ?」
「ぐ……」

 そんなの、私が一番分かってる。

 彼氏が欲しいと呟いたけど、実は私には恋愛に関してちょったしたコンプレックスがある。
 彼氏は欲しい。でも、付き合うのが怖い。
 もし()()見捨てられでもしたら……。
 好きだと思っているのが私だけだったとしたら……。
 そんなみじめな思いをする可能性を考えると、付き合うことに対して恐怖感が襲ってくるようになってしまった。
 だから相手を選ぶのにも慎重になってしまって、気付けば彼氏いない歴十三年目突入。
 あと一年もしないうちに三十路の仲間入りしてしまうので、さすがに危機感を覚えているけれども……。

「勇気が欲しい……」

 力が……力さえあれば私にだって……。
 なんて闇堕ちする漫画のキャラみたいなことを考えてしまう。

「あ、ほら。来たよ」
「え? 勇気が?」
「何言ってるのよ。最後の一組よ」

 顔を上げると、スーツ姿の男性と五、六歳くらいの少年がやってきた。

「おはようございます。お名前を頂戴します」
「櫻井の代理です。今日はこの子だけなんですが……」

 そう言って、男性は男の子を私達の方へと押し出す。

「えっ。この子だけですか?」
「社長……いえ、父親に急用が入ってしまったんです。私も戻らなくてはいけなくて……」
「そう……ですか」

 親会社の社長は、休日でも忙しいらしい。
 少年はオドオドした様子で、賑やかな声が聞こえる会議室をチラチラと見ている。
 他の家族は片親だけでも参加しているのに、この子だけ親がいないなんて寂しい思いをしてしまうんじゃ……。
 そう思っていた私の隣で、佐藤さんが予想外の言葉を放った。

「じゃあ代わりに、この菅谷を付き添いにするのはどうですか?」
「えっ」
「それは……様子を見て貰えるのはありがたいですが……」

 呆然としている間に話が進んでしまいそうになっていたので、慌てて佐藤さんを問い詰めた。

「佐藤さん、ちょっとちょっと! 勝手に決めちゃって大丈夫?」
「ある程度は現場の裁量に任せるって言われてたから、大丈夫よ。それに菅谷さん、家族良いなって言っていたじゃない。子供の面倒見るの、悪い気はしないでしょ?」
「それは、まあ……」
「この子だけ子供一人で参加させるのも可愛そうだし、付き合ってあげたら?」
「んもう、私達本人の意見を聞かずに勝手に決めちゃって……」

 私は良くても、この子は初対面の大人と一緒でも大丈夫な子だろうか。
 私は溜め息をつくと、櫻井君の目線にしゃがみ込んで問いかけた。

「櫻井君はどう? お姉さんと一緒に参加してくれる?」

 彼は目を大きく見開いてから、大きく頷く。
 意外にも肝がすわってる子かもしれない。

「……ん。良いよ」
「そうと決まれば、各所に連絡しないと」

 櫻井社長代理と佐藤さんの去っていく姿を見送って、あとに残された私と櫻井君は、改めて挨拶を交わした。

「よろしくね、櫻井君」
「……あさき」
「え?」
「櫻井はヤダ。あさきって呼んで、おばさん」
「おば……さん……!?」
「シャカイジンはおばさんなんでしょ」

 こら! 全国の働く女子を的に回す発言だぞ!
 親会社の櫻井社長! どんな教育してるのよ!
 しかも私のトラウマを抉る元カレと同じ苗字だし! ……最後のは八つ当たりだけど。
 なんてことを子供に文句を言うわけにもいかず、私は引きつる顔で苦笑いするしかなかった。

 家族社会科見学が始まる前は小生意気な少年だと思っていたけど、特撮の話とか工場見学をしているうちに、意外にもあさき君とは早々に打ち解けた。
 最後に手作りの玩具を二人で完成させると、あさき君はとびっきりの笑顔を見せてくれる。

「はい、完成〜!」
「すげー! カッコイイのが出来た!」
「帰ったらお父さんとお母さんにも自慢しようよ!」
「…………」

 それまで楽しそうだったあさき君が、表情が抜け落ちたようにスンっとした顔をしてしまった。
 あ。……これは……私、無神経なこと言っちゃったやつだ……。

 櫻井社長は男性だったはずだから、あさき君の父親は存命。
 けれども父親の代理だけで、母親が来ないってことは……。
 つまり……櫻井社長って、バツイチ?
 しかもあさき君の反応を見るに、父親との仲は良くなさそう……。

 ……ど、どうしよう。
 こういうとき、なんて言ったら言いのか分からない……。
 オロオロしているうちに、あさき君の迎えの櫻井社長がやって来たらしい。

「あさき」

 不思議と懐かしさを感じる男性の声が、あさき君を呼ぶ。
 あさき君の強張った顔が目に映り、やはり父親と仲が良くないんだろうなと思った。

「……しずくさん」

 けれども、あさき君の呟いた名前によって、彼の表情を気にする余裕は、私にはなくなってしまった。

「え? しずく……?」

 しずく。櫻井……しずく?
 元カレと同じ苗字だと思っていたけど、聞き覚えのあるフルネームに身体が硬直する。
 まさか、と思うけれども同姓同名の他人かもしれない。
 でも、本当に元カレだったらどうしよう……。
 勝手に縁を切っていなくなった彼に対して、私はどんな顔をして会えば……。
 うまく、笑える気がしない……。

 櫻井社長は聞き覚えのある声で、呆然とする私に容赦なく話しかけて来た。

「君があさきの面倒を見てくれたのか。助かった」
「い、いえ……」

 覚悟が決まらないまま振り向いて、櫻井社長を見上げる。
 するとそこには、かつて愛しく思っていた、懐かしい人の顔があった。
 彼も話しかけた相手が私だとは思わなかったんだろう。
 目を見開いて、私のことを凝視している。

「……もしかして……瞳美か?」
「久しぶりだね。志筑。……ううん、櫻井社長」

 数年ぶりに再会した私の元カレは、親会社の社長になっていて。
 そして、バツイチでした。
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