ハチミツ in ビターチョコレート
#32 クリスマス ─side 祐宜─
十二月の寒い空が温かく感じるのは、普段に増してイルミネーションが輝いているからだろうか。クリスマスが近づいた街のあちこちで赤や緑の鮮やかな装飾が通行人の足を止めていた。
「堀辺くーん、何してんの?」
「――なんでこんなとこに?」
声をかけてきたのは奈津子だった。会社の帰りに直帰せずに、俺は美姫へのクリスマスプレゼントを探しに街に出ていた。奈津子は子供へのプレゼントを買いに来たらしい。
「堀辺君は? 彼女にプレゼント?」
「――まぁ、はい」
「そうよなぁ、他にないよな。……岩瀬さんにも何か買ってあげたら?」
「え?」
「あの件、片付いたんやし。来年見ても大丈夫そうなやつ」
「……来年?」
「ほら、今年はもう終わるから、もしかしたら来ーへんかもしれんやん? 年明けてから出勤して、クリスマスプレゼントあったらなんか変じゃない?」
「ああ……」
彼女へのプレゼントというのは美姫へのプレゼント、というのは奈津子には秘密にしているから、美姫へのプレゼントを二つ買うということか。どうしようか、と悩んでいると、奈津子は「子供たちが待ってるから」と言って帰って行った。
○△社の営業マンのことは、会社の上層部で問題になった。もちろん彼との関わりは一切持たないことになったし、○△社との契約も打ち切った。それは美姫にも手紙とLINEで連絡したが、まだ美姫からは何の返事も来ていない。けれど奈津子には電話をしたらしく、元気になったら出勤すると言っていたとは聞いている。
奈津子と別れてから、俺はプレゼントを探し歩いた。けれど何が良いのか思い浮かばず、結局は何も買わずに帰宅した。美姫には当日、欲しいものを買ってあげよう。久しぶりに会って、優しくしてあげよう。そうしよう。それが良い。クリスマスは明日だ。
デートの時間は既に決めていたし、美姫も最初、ものすごく楽しみにしていた。だからうちには泊まりに来なくても、今日の待ち合わせには必ず来ると信じていた。ターミナルビルの前にあるクリスマスツリーは綺麗に飾り付けがされていて、滅多に雪が降らないこの地方でも今日は珍しく雪が積もっていた。
「ねー、雪だるま作ろうよ!」
「賛成ー!」
小さな子どもたちがツリーの下ではしゃいでいた。近くにいた母親から「滑らないように」と注意されながら、手袋をした小さな手で大きな雪だるまを作った。近くに落ちていた葉っぱや木の枝で顔をつくり、写真を撮ってもらっていた。
時計を見ると、午後七時を過ぎていた。ちょうど週末に重なったクリスマスはどこを見ても人だらけだった。美姫とは七時に待ち合わせていて、人混みの中に何度も姿を探した。けれど、美姫の姿は見当たらなかった。俺はコートを着てマフラーも巻いて、もちろん手袋もはめている。歩いているときはちょうど良くても、雪の降る寒空の下で美姫を待っているのは、想像以上に辛いものだった。
クリスマスツリーの周りには人の輪が出来ていた。俺も早く美姫と一緒にあの中に混じりたかった――けれど、美姫は七時半になっても、八時を過ぎても現れなかった。この一時間の間に何人もの人が誰かを待ち、そして姿を見つけて笑顔でどこかへ出かけて行った。いつまでも誰にも話しかけられず一人で雪に降られているのは、俺一人だけだった。
美姫には今日も何度もLINEを送ったのに、返事はまったく来なかった。本当にまだ外に出たくないのだろうか。美姫が約束を忘れることはなかったし、少しでも遅れるときはいつも連絡をくれた。だけど今日、彼女からの連絡はまったく来ていない。やはり美姫は来ないのかもしれない――俺は駅に向かって歩き出した……。
――バシャン!
何かが俺の背中を強く打った。衝撃で少しよろめいたが、たいしたことはない。そう思っていると、また何かが当たった。
「うそつき!」
再び何かが背中に当たり――足元に雪の塊が砕け落ちた。雪を投げたのは遊んでいる子供たち──ではなかった……美姫が泣きながら立っていた……。
「うそつき……私のこと守るって言ってたのに、守れてない……!」
「――ごめん」
「ごめんって、何が? 私の都合は放ったらかして、自分の都合で全部決めて」
「そんな――」
「心配してるなら、会いに来てよ……。今日だって、迎えに来てよ……! ずるいわ、私ばっかり振り回されて……。婚約したからって安心してんの……? 約束した日に会えれば大丈夫って……私は……毎日でも会いたいのに……!」
「俺だって――、おいっ」
美姫は地面に倒れそうになり、俺は慌てて支えに行った。一瞬、拒否されるかと思ったが、美姫は離せとは言わなかった。
「俺だって、毎日会いたい。でも、あんまり一緒にいたら周りに気付かれる……。○△社の営業がああいう奴とは気付かんかった。美姫一人に任せたことはほんまに後悔してる。知ってると思うけど、あの会社とは縁を切った」
「でもそれは――私が、祐宜の部下っていうだけで……」
美姫が俺の彼女というのは、まだ肇と咲凪にしか言っていない。会社にあいつのしたことを報告する時も奈津子に入ってもらい、人事課長として、美姫の上司としての意見しか言わなかった。
「祐宜の勝手な都合でしかない……」
俺は今までずっと、会社では美姫と仲良くしながらも、周りにはただの部下だと言い続けてきた。本当のことを話して周りにいろいろ言われるのが嫌だったし、美姫が仕事し辛くなるだろうと思った。社内恋愛禁止ではなかったが、俺はずっと秘密にしていた。
「ごめんな。ちゃんと相談もせんと隠すって決めたの俺やったよな」
「うん。隠すで良いけど、聞いてほしかった。──私も、待たせてごめん……ほんまは、七時過ぎには来てた」
「え?」
「祐宜がどうするか見てた……寒いのに、ごめんなさい」
「いや……美姫が元気なら、俺はそれで良い。……ん?」
美姫の頭に被った雪を払ってから涙を拭いてやると、美姫のお腹が鳴った。
「何か食べるか? こんな時間やけど……何食べたい? あと何か欲しいものあったら」
プレゼントすると言おうとすると、美姫は首を横に振った。
「祐宜の部屋に行きたい。一緒にごはん食べて、一緒に寝たい。一緒に起きて、一緒に笑って……嫌なこと忘れたい……」
「分かった。今日は美姫の希望をぜんぶ聞く。明日もな。あ──体調は? 落ち着いてるんか?」
「──うん、大丈夫。ちょっとおかしかったけど、休んでたら戻ったみたい」
ほんの一瞬だけ美姫の表情が曇った気がしたが、気にせずにクリスマスを楽しむことにした。
空いていたレストランで夕食を済ませてから部屋に帰り、力いっぱい美姫を抱きしめた。○△社の営業にされたことを思い出して辛くならないか心配はあったが、それ以上に美姫を腕の中に閉じ込めていたかった。
「堀辺くーん、何してんの?」
「――なんでこんなとこに?」
声をかけてきたのは奈津子だった。会社の帰りに直帰せずに、俺は美姫へのクリスマスプレゼントを探しに街に出ていた。奈津子は子供へのプレゼントを買いに来たらしい。
「堀辺君は? 彼女にプレゼント?」
「――まぁ、はい」
「そうよなぁ、他にないよな。……岩瀬さんにも何か買ってあげたら?」
「え?」
「あの件、片付いたんやし。来年見ても大丈夫そうなやつ」
「……来年?」
「ほら、今年はもう終わるから、もしかしたら来ーへんかもしれんやん? 年明けてから出勤して、クリスマスプレゼントあったらなんか変じゃない?」
「ああ……」
彼女へのプレゼントというのは美姫へのプレゼント、というのは奈津子には秘密にしているから、美姫へのプレゼントを二つ買うということか。どうしようか、と悩んでいると、奈津子は「子供たちが待ってるから」と言って帰って行った。
○△社の営業マンのことは、会社の上層部で問題になった。もちろん彼との関わりは一切持たないことになったし、○△社との契約も打ち切った。それは美姫にも手紙とLINEで連絡したが、まだ美姫からは何の返事も来ていない。けれど奈津子には電話をしたらしく、元気になったら出勤すると言っていたとは聞いている。
奈津子と別れてから、俺はプレゼントを探し歩いた。けれど何が良いのか思い浮かばず、結局は何も買わずに帰宅した。美姫には当日、欲しいものを買ってあげよう。久しぶりに会って、優しくしてあげよう。そうしよう。それが良い。クリスマスは明日だ。
デートの時間は既に決めていたし、美姫も最初、ものすごく楽しみにしていた。だからうちには泊まりに来なくても、今日の待ち合わせには必ず来ると信じていた。ターミナルビルの前にあるクリスマスツリーは綺麗に飾り付けがされていて、滅多に雪が降らないこの地方でも今日は珍しく雪が積もっていた。
「ねー、雪だるま作ろうよ!」
「賛成ー!」
小さな子どもたちがツリーの下ではしゃいでいた。近くにいた母親から「滑らないように」と注意されながら、手袋をした小さな手で大きな雪だるまを作った。近くに落ちていた葉っぱや木の枝で顔をつくり、写真を撮ってもらっていた。
時計を見ると、午後七時を過ぎていた。ちょうど週末に重なったクリスマスはどこを見ても人だらけだった。美姫とは七時に待ち合わせていて、人混みの中に何度も姿を探した。けれど、美姫の姿は見当たらなかった。俺はコートを着てマフラーも巻いて、もちろん手袋もはめている。歩いているときはちょうど良くても、雪の降る寒空の下で美姫を待っているのは、想像以上に辛いものだった。
クリスマスツリーの周りには人の輪が出来ていた。俺も早く美姫と一緒にあの中に混じりたかった――けれど、美姫は七時半になっても、八時を過ぎても現れなかった。この一時間の間に何人もの人が誰かを待ち、そして姿を見つけて笑顔でどこかへ出かけて行った。いつまでも誰にも話しかけられず一人で雪に降られているのは、俺一人だけだった。
美姫には今日も何度もLINEを送ったのに、返事はまったく来なかった。本当にまだ外に出たくないのだろうか。美姫が約束を忘れることはなかったし、少しでも遅れるときはいつも連絡をくれた。だけど今日、彼女からの連絡はまったく来ていない。やはり美姫は来ないのかもしれない――俺は駅に向かって歩き出した……。
――バシャン!
何かが俺の背中を強く打った。衝撃で少しよろめいたが、たいしたことはない。そう思っていると、また何かが当たった。
「うそつき!」
再び何かが背中に当たり――足元に雪の塊が砕け落ちた。雪を投げたのは遊んでいる子供たち──ではなかった……美姫が泣きながら立っていた……。
「うそつき……私のこと守るって言ってたのに、守れてない……!」
「――ごめん」
「ごめんって、何が? 私の都合は放ったらかして、自分の都合で全部決めて」
「そんな――」
「心配してるなら、会いに来てよ……。今日だって、迎えに来てよ……! ずるいわ、私ばっかり振り回されて……。婚約したからって安心してんの……? 約束した日に会えれば大丈夫って……私は……毎日でも会いたいのに……!」
「俺だって――、おいっ」
美姫は地面に倒れそうになり、俺は慌てて支えに行った。一瞬、拒否されるかと思ったが、美姫は離せとは言わなかった。
「俺だって、毎日会いたい。でも、あんまり一緒にいたら周りに気付かれる……。○△社の営業がああいう奴とは気付かんかった。美姫一人に任せたことはほんまに後悔してる。知ってると思うけど、あの会社とは縁を切った」
「でもそれは――私が、祐宜の部下っていうだけで……」
美姫が俺の彼女というのは、まだ肇と咲凪にしか言っていない。会社にあいつのしたことを報告する時も奈津子に入ってもらい、人事課長として、美姫の上司としての意見しか言わなかった。
「祐宜の勝手な都合でしかない……」
俺は今までずっと、会社では美姫と仲良くしながらも、周りにはただの部下だと言い続けてきた。本当のことを話して周りにいろいろ言われるのが嫌だったし、美姫が仕事し辛くなるだろうと思った。社内恋愛禁止ではなかったが、俺はずっと秘密にしていた。
「ごめんな。ちゃんと相談もせんと隠すって決めたの俺やったよな」
「うん。隠すで良いけど、聞いてほしかった。──私も、待たせてごめん……ほんまは、七時過ぎには来てた」
「え?」
「祐宜がどうするか見てた……寒いのに、ごめんなさい」
「いや……美姫が元気なら、俺はそれで良い。……ん?」
美姫の頭に被った雪を払ってから涙を拭いてやると、美姫のお腹が鳴った。
「何か食べるか? こんな時間やけど……何食べたい? あと何か欲しいものあったら」
プレゼントすると言おうとすると、美姫は首を横に振った。
「祐宜の部屋に行きたい。一緒にごはん食べて、一緒に寝たい。一緒に起きて、一緒に笑って……嫌なこと忘れたい……」
「分かった。今日は美姫の希望をぜんぶ聞く。明日もな。あ──体調は? 落ち着いてるんか?」
「──うん、大丈夫。ちょっとおかしかったけど、休んでたら戻ったみたい」
ほんの一瞬だけ美姫の表情が曇った気がしたが、気にせずにクリスマスを楽しむことにした。
空いていたレストランで夕食を済ませてから部屋に帰り、力いっぱい美姫を抱きしめた。○△社の営業にされたことを思い出して辛くならないか心配はあったが、それ以上に美姫を腕の中に閉じ込めていたかった。