野いちご源氏物語 〇九 葵(あおい)
 源氏(げんじ)(きみ)はひさしぶりに桐壺(きりつぼ)(いん)のところへ参上することになさった。乗り物の準備が始まると、悲しげに時雨(しぐれ)が降りだした。風が()()()らすように吹く。
 女房(にょうぼう)たちは心細くてまた涙がこぼれた。
「院にお会いになった後は、そのまま二条(にじょう)(いん)へお帰りになるのだろう。先回りしてお待ちしよう」
 家来たちも左大臣(さだいじん)(てい)から引きあげていく。
 これで完全に縁が切れるわけではないけれど、とても悲しいことだった。(しゅうと)大臣(だいじん)大宮(おおみや)もあらためて悲しく思われる。
 源氏の君は大宮へ手紙をお送りになった。
「院にご心配をおかけしておりますので、今から上皇(じょうこう)御所(ごしょ)へ上がります。出発のご挨拶(あいあさつ)(うかが)えばよけいに悲しくなりそうですから、父君(ちちぎみ)母君(ははぎみ)にはお目にかからず出発いたします」
 とあった。

 大宮はいよいよ源氏の君が他人になってしまわれると悲しくて、涙でお目が見えない。返事もお書きにならなかった。かわりに左大臣(さだいじん)が源氏の君の部屋へいらっしゃった。姫君(ひめぎみ)がお亡くなりになって、婿君(むこぎみ)まで離れていかれる。()えがたいご様子で、話すこともできないほどお泣きになる。見ている女房たちも悲しい。源氏の君ももらい泣きなさった。

 ようやく大臣が口を開かれる。
「本当に涙もろくなってしまいました。私も桐壺院のところに上がって、お見舞いのお礼なども申し上げなければならないのですが、とてもできそうにありません。どうぞそのようにお伝えください。それにしましても、もう老い先短い身で、娘に先立たれるつらさを味わうとは」
 無理にお心を落ち着かせてお話しになった。
「死ぬ順番など誰にも分らないものと思い知っているつもりでしたが、目の前に()きつけられるとつらいものでございますね。お言葉を桐壺院にお伝えいたします。きっとお分かりいただけましょう」
 左大臣は一度うつむいて、覚悟をしたようにお顔をお上げになった。
時雨(しぐれ)がやみませんね。日が暮れる前にご出発なされませ」
 とお(すす)めになる。
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