ヒロインしか愛さないはずの公爵様が、なぜか悪女の私を手放さない

初夜

数日後、イザベラはフリードに欲しい化粧品があると許可をもらって外出した。

向かった先は貴族御用達の高級ブランドの店が建ち並ぶエリアではなく、庶民向けの店の建ち並ぶ商店街。

路肩に馬車を停めてもらうと外に出た。
馬車を利用する目の覚めるような美人に、道行く人たちが目を向けてくるが、イザベラはそんなものは一切気にせず、路地へ入っていく。

目当ては化粧品ではない。あれはただの方便。
訪ねたのは、寂れた古道具店である。
辛うじて人一人が通れるような通路の両脇には一体何に使うのか分からない品々が積み上げられている。

(あった!)
イザベラが手にしたのは、二つの赤い首輪を鎖で繋いだものである。

これはゲームに出てくる便利アイテム、魂の枷。
『プレアデスの聖霊と狂愛の華』は恋愛シミュレーションだけでなく、RPG要素もある。
好感度を上げたキャラとその他のキャラでパーティーを組んで闇に飲み込まれようとする大陸を冒険するのだが、RPG部分がかなり歯ごたえがある。

ただ闇雲に攻撃すれば勝てるというお手軽要素ではないせいで、恋愛目当てで購入したプレイヤーから阿鼻叫喚が起こった。

緊急アップデートで導入されたのがこのアイテム。
これを使用すると、キャラクターと主人公のステータスを大幅にアップできる優れもの。
しかしその分、デメリットも存在する。
お助けアイテムなのだから、そんな要素はいらないだろうと思うのだが、クリエイターなりのこだわりだろう。

しかし、まさかそのこだわりに助けられる日が来ようとは思いもよらなかった。

イザベラは魂の枷を購入すると意気揚々と店を出た。
このアイテムはあくまで最終手段。
ジークベルトの正体さえ知らなければそもそも殺されることはない。

(せっかく前世を思い出せたんだから、若くして事故死した前世の分まで生き抜いてやるっ!)

拳を固く握り締め、決意するのだった。



一ヶ月後。
春風が吹き抜ける五月のその日は、雲ひとつない快晴に恵まれた。

イザベラは無事にジークベルトと結婚した。
場所は都の中心地にある、白亜の大聖堂。
皇帝が今回の婚姻を進めたということもあって、大勢の貴族たちが列席した。

もちろん誰もが、なぜ悪女と評判のイザベラと、天使のようなジークベルトが結婚しなければならないのか、疑問に思ったことだろう。
それはイザベラも同感だ。
ゲームでもそのあたりの理由は特に説明されていなかった。イザベラは冒頭に立ち絵さえ存在しないまま退場して終わり。

誰もが羨むような豪華な挙式を終えたその日の晩、イザベラはシルクの白い夜着を身にまとい、寝所でジークベルトを待つ。

前世、結婚経験もまともな恋愛経験もないイザベラとしては、心臓が今にも破裂しそうなほど高鳴りっぱなし。

将来、自分を殺すかもしれないジークベルトであるが、このゲームの推しキャラクターであることに変わりない。

(今からジークに抱かれるだなんて!)
想像するだけで頬が熱を持つ。

百八十センチの身長に、筋肉質な体格、そして甘さのある端正な顔立ち。
ちなみに本作はR18なので、かなり色々と……激しかったりする。

そんな彼に、リアルで抱かれるのである。
どぎまぎするなというのが無理な話だ。

ちなみに屋敷を案内してもらった時に、ジークベルトからは夫婦になっても寝室は分けようと提案された。
結婚しても、一人の時間も欲しいだろう、と。
何も知らなければ優しさのように思うだろうが、本性を知られないためだろう。

コンコン、と扉がノックされた。

「は、はひっ」
声が上擦ってしまう。

(恥ずかしすぎるっ!)

「イザベラ」
柔らかな声と共に、ジークベルトが寝所に入ってきた。

「じ、ジーク様」
彼の手にはワインボトルとグラスが二つ。
テーブルにグラスを置き、ワインを注ぐ。

「実は僕は緊張していまして。少し話でもして、緊張をほぐしたいんです。付き合ってくれませんか?」

(絶対嘘だけど、その心遣いが嬉しいっ)
ペン一本で人を殺せる人間が緊張なんてあるはずがない。

「乾杯」
軽くグラスを打ち付け合え、澄んだ音が室内に響いた。

お酒で唇を湿らせる。

「美味しいです」
「良かった。使用人たちに問題はありませんか?」
「とてもよく働いてくれています」
「良かった。何か問題があればすぐに私か、家令のサンチェスに言って下さい。対応しますから」
「ありがとうございます」

イザベラはぐるりと室内を見回す。

「どうされましたか?」
「屋敷にはじめて来た時もそうでしたが、色々なところに紋章が刻まれているのですね」

クロイツ公爵家の紋章は、短剣を咥えた狼。

「我が家の務めを忘れぬように、とのことでしょう。あれは公爵家の初代が兄である初代皇帝から与えられ、皇帝へ忠誠を尽くすことを誓った証なんです。知っていますか?
狼というのは一生にたった一匹の番いとしか睦み合わない。狼の愛というのはとても重いんだそうです」

確かにジークベルトは他の攻略キャラと比べてもかなり重たいキャラクターだ。

「私たちもそんな狼のように睦み合いたいですね」
「僕もそうであれば、嬉しいです」

グラスワインを半分ほど飲んだその時、くらりと視界が揺れた。

「どうされましたか?」
「……あ、いえ、あの……ちょっと……」
「お酒が弱いのですか?」

そんなはずは――。

(もしかして、盛られた!?)

ピンと来たが、時すでに遅し。呂律もうまく回らない。

「か、……れぇ……」

枷、と言ったつもりが、意識が暗転した。
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