ヒロインしか愛さないはずの公爵様が、なぜか悪女の私を手放さない

救出

 牢に転がされたイザベラは薄汚れた天井を見上げながら、ぼんやり考える。

 このまま死ねば、ジークベルトはマーガレットの元へ行くのだろうか。

(あんな女と、ジークベルトが……?)

 二人がゲーム中のように抱き合う姿を想像するだけで、嫌悪感で気持ち悪くなってしまう。

 それを想像するだけで、胸が締め付けられた。

 元よりジークベルトを嫌いになれない。分かりきったことだ。

 考えるのはあの冬至の祭り。

 ジークベルトの温もりを思い出す。

 彼のたくましい腕に抱き上げられて赤面した時のことを考えると、胸の奥が温かくなった。

 その時、乱暴に扉が開く音がした。閉じかけた目を開ける。

 けたたましい足音。

「貴様、どうやってあの男と連絡を取った!」

 フリードが目を剥き、声を荒げた。その服は乱れ、大汗をかいていた。

「……何の話?」

「と、とぼけるな!」

 鍵が開けられ、首根っこを掴まれ、引きずり出される。

「な、なにするの! やめてっ!」

「ええい、黙れ!」

 フリードは落ち着かない様子だった。その手には短刀が握られている。

 その時、地下牢へ通じる扉が勢い良く開かれると同時に、人が入ってきた。

 イザベラは目を疑った。

「ジーク様……」

 全身を返り血で染め上げたジークベルト。

 ウルフアイが決して消えぬ炎のように、瞳の中で燃えていた。

 瞳孔が、彼の激しい怒りを訴える。

「イザベラ」

 ジークベルトがその凄絶な見た目とは裏腹な、まるで迷子が親と出会えたような、縋るような声を漏らす。

「下がれ! さもなきゃ、こいつをズタズタに斬り裂いてやるぞ!」

 フリードは声も、短刀の切っ先も震えている。

「ジーク様、こいつを殺して――痛っ!」

「黙れ!」

 髪を思いっきり引っ張られる。喉に刃を突きつけられる。

「大丈夫だ。イザベラ。俺が絶対に助ける」

 ジークが下がる分、イザベラたちは前へ進む。

 外に出る。そこは四方を建物に囲まれた内庭。

 そしてジークベルトの背後には、足音を殺した男が忍び寄る。

 ニィ、とフリードがほくそ笑む。

「ジーク様、後ろ!」

 ジークベルトが振り返ると、斬りかかろうとする男を一太刀で斬り伏せた。

「貴様!!」

 激昂したフリードが喉笛に刃を容赦なく押し当てようとするが、イザベラはその刃に触れた。指が切れ、痛みが走った。すぐに手が振り払われ、喉に――。

 ナイフがイザベラの首筋に食い込む。しかしついたのは赤い痕だけ。

「なんでだ!」

「……切れ味鈍化。付与魔法も馬鹿にできないでしょ」

「貴様ああああああああ!!」

 フリードが拳を振り上げ、イザベラは反射的に目をぎゅっと閉じた。

 しかしいつまでも痛みはこなかった。

 その代わり、感じたのは目を覆う温かな手の感触。

 血の臭いに混じりながらも、馴れ親しんだジークベルトの香りがした。

「……目を開けるな」

 気遣わしげな声。

 イザベラはこくりと頷く。

「もう大丈夫だ」

「ジーク様!」

 イザベラは目を閉じたまま、ジークベルトに縋り付いてしまう。

 恐怖から解放され、安堵が全身を包み込む。

 閉じたままの目から、涙がひっきりなしに溢れてしまう。

 ジークベルトは「遅くなった」と呟き、泣きじゃくるイザベラの背中を優しくさすってくれた。

「謝らないでください! あなたはきてくれたっ! それだけで、私は……」

 後半は言葉にならず涙に濡れ、くぐもった呻きにしかならなかった。



 目覚めると、ベッドだった。

 ジークベルトに救われた後、馬車の中で精も根も尽き果てていたイザベラは、気付くと眠ってしまっていたのだと思い至る。

 そして、優しく後ろからジークベルトに抱きしめられている。

「ん……」

 小さく身動ぐ。

「大丈夫か?」

「お、起こしてしまいましたか?」

「いいや。ずっと起きてた。夜中に目が覚めたお前が、混乱しないように、な」

「そう、ですか」

 腕が放れようとするのを、思わず袖口を掴んでしまう。

 今は彼の温もりが必要だった。

 顔を真っ赤にしながらも何と言えばいいのか分からなかったが、ジークベルトは何も言わずに、再び抱きしめてくれる。

 今の顔を見られなくて良かった。それくらい真っ赤になっていることを自覚した。

 全てが見馴れた寝室。

 使用人が風呂に入れ、身支度を整えてくれたらしく、嫌な臭いも何もしなかった。

 まるで地下牢でのことが全て、夢での出来事であるかのよう。

「俺たちは似ているな」

 彼の温もりを意識しながらうつらうつらしていると、ジークベルトが不意に言った。

「え?」

「父親との相性が最悪だ」

「そうですね」

 イザベラは小さく吹き出した。

 腕に力がこもる。イザベラは彼の腕の中で、再び眠りに落ちた。
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