野いちご源氏物語 一〇 賢木(さかき)
 源氏(げんじ)(きみ)には嫌なことばかりが増えていくけれど、朧月夜(おぼろづきよ)尚侍(ないしのかみ)とはひそかに約束してお会いになる。尚侍は女官(にょかん)だから正式なお(きさき)ではないとはいえ、(みかど)のご愛情をいただいているのだから、これはかなり危険なご関係だった。
 帝が仏教の重要な儀式(ぎしき)(こも)っていらっしゃる夜、尚侍の女房(にょうぼう)はこっそりと源氏の君を手引きした。御殿(ごてん)の奥深くではない上、儀式のために内裏(だいり)に出入りする人が多い夜だから、誰かに見つかるのではと恐ろしい。
 尚侍は人生で一番美しいときでいらっしゃる。身分にふさわしい重々しさはないけれど、華やかで自由な魅力(みりょく)がおありだった。

 夜明けが近づこうとしている。
()きられる日が怖いわ。私の方があなたを好きなのだもの」
 めずらしく気弱そうに尚侍はおっしゃった。
「あなたに飽きることなどあるものですか」
 源氏の君は女君を(なぐさ)めて、あわただしく弘徽殿(こきでん)をお出になる。

 まだ夜明けまで()がある。(きり)のなか、月明かりがぼんやりと源氏の君のお姿を照らしだす。粗末(そまつ)な格好をなさっていてもふつうの人とはまったく違うお美しさだった。
 足早(あしばや)に弘徽殿から離れていかれるとき、ひとりの貴族が源氏の君とすれ違った。月明かりの届かない暗いところに立っていたこの貴族に、不幸にも源氏の君はお気づきにならない。
 尚侍との秘密のご関係は、ここから()れたのかしら。
< 22 / 49 >

この作品をシェア

pagetop