野いちご源氏物語 一〇 賢木(さかき)
 朧月夜(おぼろづきよ)尚侍(ないしのかみ)とお会いになっても、やはり思い出されるのは中宮(ちゅうぐう)のことだった。
 中宮はあいかわらず源氏(げんじ)(きみ)の恋心を(こば)みつづけていらっしゃる。きちんとした立派な女性だと尊敬なさる一方で、お気持ちが伝わらないのはつらくもどかしい。

 中宮(ちゅうぐう)は実家に(こも)りきりで参内(さんだい)なさらない。内裏(だいり)はすっかり右大臣(うだいじん)一族に牛耳(ぎゅうじ)られている。我が子の東宮(とうぐう)に長く会っていないことがご不安だった。
 東宮の後見(こうけん)役は源氏の君だけ。しかしその源氏の君は、中宮への許されぬ恋を(あきら)めようとなさらない。それどころか桐壺(きりつぼ)(いん)がお亡くなりになってからは、開き直ったように振舞われることもある。
<亡き院は何もご存じないままだった。なんと恐ろしいことをしてしまったのだろう。この上もし私たちの関係が世間に知られて、東宮の父親が亡き院ではないという(うわさ)が立ってしまったら。右大臣(うだいじん)と皇太后は、東宮を東宮の()から引きずりおろそうとするだろう>
 想像するだけでもぞっとして、源氏の君のお気持ちを(しず)めるためのお祈りをおさせになる。

 (ねん)には念を入れて源氏の君を遠ざけようとなさっているのに、いったい何がどうなったのか、またしても源氏の君は中宮の寝室に(しの)びこまれた。あまりのことに中宮は悪夢かとお思いになる。
 必死に思いを伝えようとなさる源氏の君を(こば)んでいるうちに、中宮はついにお胸が苦しくなって、女房(にょうぼう)をお呼びになった。
 あわててやって来たのは(おう)命婦(みょうぶ)(べん)。どちらも中宮のおそばに仕えている女房で、王の命婦はずっと以前、源氏の君を中宮の寝室まで手引きした人だった。すぐに事情を(さっ)する。
 ご看病しているうちに夜が明けた。源氏の君は中宮への思いがあふれすぎて、もはや正気(しょうき)を失っていらっしゃる。他の女房たちも心配して寝室近くに集まってきたので、命婦は源氏の君を小部屋(こべや)に押し込んでしまった。()()らかされた着物は集めて(かく)しておく。冷や汗が流れた。

 中宮はお苦しみで頭がのぼせて、まだぐったりなさっている。兄宮(あにみや)兵部卿(ひょうぶきょう)(みや)などが()けつけて、お祈りの僧侶(そうりょ)を呼ぶようお命じになる。
 その(さわ)ぎを源氏の君は小部屋のなかで悲しく聞いていらっしゃった。屋敷じゅうがあわただしくて人目(ひとめ)が多いので、じっとなさっているしかない。
 夕方になるころ、中宮のご容態(ようだい)はやっと落ち着いた。源氏の君がまだ隠れていらっしゃることはご存じない。命婦も弁も中宮を動揺(どうよう)させまいとお伝えしなかった。

 寝室から居間へお移りになると、お見舞いの客たちは安心して帰っていかれた。命婦と弁はひそひそと相談する。
「源氏の君は今も小部屋にいらっしゃるのよね」
「ええ。なんとかしてうまくお帰りいただかないと。今夜もご寝室へ忍びこまれたら、また中宮のお具合が悪くなってしまうわ」
 と困り()てている。
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