野いちご源氏物語 一〇 賢木(さかき)
 初夏の雨がのどかに降ってお(ひま)なころ、三位(さんみ)中将(ちゅうじょう)がまたお越しになった。
 古い漢詩(かんし)を使った遊びをなさる。参加者は左組と右組に分かれて、それぞれ選んだ漢詩の一部を()せ字にする。伏せた漢字を相手組が当てられるかどうかで勝負は決まる。
 源氏(げんじ)(きみ)が左組、三位の中将が右組を(ひき)いられる。負けた方は後日、勝った組の人たちにご馳走(ちそう)をふるまう決まりだった。
 呼ばれて集まった参加者には、貴族も、大学の博士や学生もいる。初めのうちは順調に当てていくけれど、だんだん難しいところばかりが残っていく。博士などでも悩んでしまうような難問を、源氏の君はさりげなく正解なさる。
「何もかもすぐれた源氏の君だが、このようなこともお得意なのか」
 参加者たちがほめそやすとおり、やはり源氏の君の左組が勝った。

 二日ほどして、負けた三位の中将が左組の人たちを宴会(えんかい)にお招きになった。大げさではないけれど、手の込んだ食事を出しておもてなしなさる。余興(よきょう)では参加者に漢詩を作らせ、みんなで批評(ひひょう)しあって楽しまれる。
 庭の薔薇(ばら)が少しだけ咲いていた。他の花がにぎやかに咲く春や秋よりも、風情(ふぜい)があってよいものだった。打ちとけた音楽会が始まる。
 中将の若君もこの場に来ていた。ご正妻(せいさい)がお生みになった八歳の男の子で、今年から内裏で見習いとして働いている。よい声で歌って(ふえ)を上手に吹いたので、源氏の君はかわいい(おい)っ子だと思って相手をなさる。
 この若君は右大臣の孫君(まごぎみ)ということで、世間から将来を期待されている。しっかりした性格で顔立ちも美しい。

 音楽会がくだけていくころ、若君がおめでたい歌を歌った。源氏の君はにこにこと聞いて、ご褒美(ほうび)にご自分の着物を脱いでお与えになった。いつもより上機嫌(じょうきげん)の源氏の君は本当にお美しい。年老いた博士たちは感動して泣いている。
 中将が源氏の君にお酒の(さかずき)を差し上げなさった。
自慢(じまん)の息子と思って連れてまいりましたが、やはりあなたのお美しさには(かな)いませんね」
 源氏の君は微笑(ほほえ)みながらお受け取りになる。
「私などもうしおれていますよ。これからは若君の時代でしょう」
「またそのように冗談(じょうだん)にしてしまわれる」
 中将は源氏の君を責めて、しきりにお酒をお(すす)めになる。

 こんなふうに風流に遊んでいても、政治の場から()(もの)にされたことに(くや)しさはおありになる。ご自分の血筋(ちすじ)に自信を持っているから、お酒で気分のよくなった源氏の君は歌うようにおっしゃった。
「私は亡き院の子であり、(みかど)の弟であり、東宮(とうぐう)の」
 その先を口になさることはできない。
<東宮の父である>
 お胸のうちでつぶやいて、ぞっとなさった。
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