だから私は、世界滅亡に青春を捧げた
『終わりゆくこの美しき世界で』    一年二組 花森 カズハ


「先輩、最後の瞬間ってやっぱり怖いですよね」
「最後の瞬間よりそれまでの方が怖いんじゃない?」
「あー。確かにそうかもですね」
「現に今だってみんな恐怖と闘ってるでしょ」

 夏休みを三日後に控えた放課後、文芸部の部室。二年生の高屋タクミ先輩は私の質問に答えながらも原稿用紙にひたすら物語を綴っている。なんでこのご時世原稿用紙なんですか、と聞いたらこの方が没入できるからと言っていた。結局あとからパソコンに書き直さなければいけないのだから手間なのになという本心は言わずに、そうなんですね、と返したのは三ヶ月前私がこの文芸部に入部したときだった。かくいう私も今はノートに向かっているのだが。

 先輩の没入を邪魔しようと思っているわけではないが、私は会話を続ける。自分の筆が進まないからだ。

「どうやったら怖くなくなると思います? 巨大隕石が落ちてきているのをただ見ているしかできない時間って絶対に怖いですよね。ああ、いまから世界は滅亡するんだって」
「落ちてくるの見なければいいんじゃない? 下向いとくとか」
「下向いてたって強烈な光線と耳をつんざくほどの轟音が響くって言うじゃないですか」
「地下に隠れとくとか」
「もう日本に地下はありませんよ。てか普通に生き埋めになるじゃないですか」

 適当なことばかり言うなあ、と思いながらもその適当さが心地よかった。まるでこれからやってくる現実はなんでもないことなのかもしれないと思わせるほど。

「そういえばうちのクラス、入所者が出たんだ」
「え……そう、なんですね」

 思っているさなか、急に現実に引き戻される。先輩は酷な人だ。
 『入所者』それはもう、人ではないことを意味する。

 ゾンビウイルス。なんてチープな名前のウイルスなんだと思うが、感染すればまさに名前の通りゾンビのように自我を忘れ、他者を襲い、人ならざる者になる恐ろしいウイルスだ。
 感染経路は不明。どんな人がどうやって感染しているかもいまだわかっていない。なにせ、四年前に突然人がゾンビになり、発見されたウイルスなのだ。ゾンビウイルスに関する研究は進められているが進展はない。感染者は治すことも放置することもできず、保護施設という名の監禁施設に入れられる。

 世界が滅亡するのが先か、人類が滅亡するのが先か。どちらにしても滅亡するのだから未来は真っ暗だ。

「最後の瞬間、ゾンビになってたら恐怖なんて感じずに終わるかもね」
「それは笑えませんよ」

 笑えないといいながら、ぎこちなく笑い先輩を見る。
 先輩は顔をあげて窓の外を見ていた。私もつられて外を見る。いくら夏とはいえ、ギラギラと照りつける太陽は夕方とは思えないほどの熱をこの地球に注いでいた。

「先輩、最後の瞬間に私と一緒にいてくれますか」
「カズハちゃんといられたら楽しい最後になるかもね」

 楽しい、なんてことはないだろう。それでも、最後の瞬間に一緒にいたいと思える人だ。先輩もそう思ってくれているのだろうか。

 四年前、アメリカに突如現れた宇宙人らしき生物が置いていったデータ。世界各国の有識者たちが解読を続け、一年前やっとそのデータが何を表しているかが解読された。だがそれはあまりにも絶望的な現実を突き付けるだけの、人類にとって知りたくもなかった情報だった。
『五年後、十㎞を超える巨大隕石が地球に衝突する』発表された時点で隕石の軌道を計算し地球への衝突は免れないと断言していたことから、もっと前にデータの解読はされていたのだろう。
 きっと関わった識者全員が得体の知れない宇宙人の置いていったデータなどでたらめであってくれと願っていたはずだ。だがそれはでたらめでもなんでもなかった。残された時間はあと一年。
 ただでさえ謎のウイルスによりパンデミックが起きている今、人類を絶望させるには十分だった。
 もう、誰も助かろうなんて思っていない。最後の日がくるまでどれだけ有意義に過ごせるか、ただそれだけ。表面上は平和な世の中だった。
 そしてその謎のウイルスはちょうど宇宙人が現れた一ヶ月後に発見されたため、宇宙人が置いていったのではないかと言われている。

「中高と一番大事な青春時代に世界滅亡と向き合って生きていかないといけないなんてひどいですよね」
「それもそれで青春かもしれないよ」
「先輩はやけに開き直ってますよね」

 一年後、隕石が落ちてこなかったら。ゾンビウイルスの特効薬が開発されたら。世界が滅亡しなかったら。そんなことをいつも考えている。こんな抱えきれない恐怖なんかじゃなく、将来の不安と闘っているのだろうか。もっと必死に勉強なんかしてどこの大学行こうかなんて言っているのだろうか。好きな人に告白して、青春を謳歌しているのだろうか。そんなことをしても意味がないと思ってしまう私は、目の前にいる優しい先輩と無駄話をすることだけが楽しみだった。

「カズハちゃん、そろそろ帰ろうか」
「あ、はい。そうですね」

 私は全く書いていないノートを閉じ、鞄にしまう。せめて種書きくらいしようと思っていたけどなにも浮かばなかった。どんな物語を書くかは決めているのに、何を書くかは決まらない。書きたいのに書けない。書いたところで誰が読むというのだろう。書いたところで消え去ってしまうのに。そんなことを考えるようになっていた。今まではあんなに好きだったのに。物語を綴ることが。自分の世界を創りあげることが。

 学校を出て先輩と並んで歩く。空はこんなに明るいけれど、先輩はいつも家まで送ってくれる。何があるかわからないからと。心配してくれるのが嬉しくて、一緒にいられる時間が楽しくて、お言葉に甘えている。

「執筆、行き詰ってるの?」
「え……と、書きたいことはあるんですけど、それをどんなエピソードでどんな風に表現すればいいいのか具体的な内容で悩んでて」
「恋愛ものだっけ?」
「そうです。幼馴染の、純粋でそれでいて切ない感じの話なんですけど……」

 私には彼氏もできたことがなければ、そういう幼馴染だっていない。全て私の憧れと妄想から構想を立てた物語だ。でも、小説を書くってそういうことだよなとも思っている。

「カズハちゃん、物語を書くときに大事なことってなんだと思う?」
「読者に伝えたいことを明確にしておくこと、とかですか?」
「それも大事だけど、重要なのは体験だよ」
「体験、ですか……」
「読者は物語を読みながら、その世界を疑似体験するんだ。決して現実では起こりえないような体験、それでいてどこかリアルな心情、そんな物語に読者は没頭し、心奪われていくんだよ」

 これは俺の持論だけどねと言った先輩は、ここからが本題だと私を見てにこりと笑う。

「作者はそんな物語をどうやって書く? もちろん想像力だよね。でもそれだけじゃ補いきれない。カズハちゃんは今まさにそこでつまずいてる。だったら自分で経験するんだよ。実際にじゃなくていい。本を読んだり映画を観たり、あとは取材! これ重要!」
「取材?! 難しくないですか?」
「ものによっては難しいけど、幸いカズハちゃんが書こうとしてるのって現代の恋愛ものでしょ? 身近な人に話を聞くとか、書きたいシーンの舞台となる場所に行ってみるとか」
「身近な人っていっても、モデルになるような幼馴染カップルなんていますかね……」
「探せばいるでしょ。俺も手伝うよ」
 自分のこともあるのに手伝ってもらうのは悪いと言ったけれど、先輩はこれは自分の取材でもあるからとなぜか私よりやる気満々だった。

 そんな話をした翌日、先輩は早々に幼馴染同士で付き合っているというカップルを連れてきた。なんとも仕事が早い。とういよりも、元々知っていたのかもしれない。

「俺と同じクラスの和泉ユウコさん。と三年のユキトさん」
「花森カズハです。取材に応じていただいてありがとうございます。よろしくお願いします。」

 先輩が紹介してくれ、私は頭を下げる。ユウコさんとユキトさんもよろしくと微笑んでくれた。その表情が似ていると感じたのは気のせいではないと思う。
 わざわざ放課後に部室まで二人でやってきてくれて、話を聞かせてくれるのだという。いい人たちだ。
 部室にある長机を挟んで私とタクミ先輩、向かいにユウコさんとユキトさんが座る。取材なんて初めてだし、先輩たちに囲まれて緊張する。

「えっと、まず二人の出会いを教えていただけますか?」

 当たり障りのない質問からした方がいいかなと思ったけど、なぜかくすりと笑われる。
 そしてユウコさんが優しく答えてくれた。

「家が隣同士の幼馴染だから、生まれたときからずっと一緒で出会いっていう出会いはなかったかな」
「たしかに、そうですよね」
「カズハちゃん、本当に聞きたいこと、知りたいことってどんなこと? 答える答えないは二人の自由だし、なんでも聞いてみたらいいと思うよ」

 本当に知りたいこと……。私が書きたいこと。

「お二人は、お互いに言えない秘密とかありますか?」
「私はないよ。子どものころから何でも見せてきたし何でも言ってきたし今さら隠すことなんてないかな」
「僕はあるよ」
「ええ! うそ!」

 ユウコさんは隣に座るユキトさんの方を勢いよく向き、驚いている。きっと、ユキトさんに秘密があるなんて思っていなかったのだろう。
 秘密ってなに、教えてよ、まあそのうちね、という二人のやり取りがすごく微笑ましい。秘密にされていることがあり、秘密にしていることがある。それでもお互いに信頼しているんだろうなということが見ているだけでわかる。
 その後もたくさん質問した。ケンカをしたときどうやって仲直りするのか、二人の思い出の場所はどこか、別れたいと思ったことはあるのか――。

 どの答えも私の想像とは違っていた。どちらかが先に謝って、話し合って仲直りするのかと思っていたけど、そんなことはしないらしい。ケンカをしてもただ自然にそばにいて、いつの間にか元通りになっている。話し合わなくても幼い頃から一緒にいると何に怒っているか何がだめだったかはわかっているから言葉じゃなくて行動で反省を示しているのだそう。

「じゃあ、付き合うきっかけはなんだったんですか? 幼馴染から恋人になるきっかけ」
「きっかけかぁ。好きだって気づいたのは中学生になったころだったんだけどね。生まれた時から一緒にいて一緒にいるのが当たり前で好きとか嫌いとか考えたことなかったの。でも、ユキトに彼女ができたとき、めちゃくちゃむかついた。ユキトの隣は私の場所なのにーって。だからユキトが彼女と別れたらそっこー告白したの。早くしないとまた他の人に取られちゃうって思ってね」

 自分の居場所だと思っていたところがそうじゃなくなったとき、気づく気持ちがある。それは私にもなんとなくわかる気がする。

「僕はずっとユッコのこと妹みたいにしか思ってなかったんだけどね。彼女も何人かいたし。でも、何度も好きだって言われて、ユッコのことを意識し始めたときに、お互い成長してこれから先いろいろ変わっていくけど、その変化を一緒に楽しみたい、ユッコのこれからを、そばで見ていたいって思うようになったんだ。それで好きなんだなって気づいたんだよね」

 変化を一緒に楽しみたい、そばで見ていたい、その言葉に計り知れない愛を感じた。幼馴染だからこその気持ちの変化、関係の変化があって、そして築かれた絆がある。二人の話を聞いていてそう感じた。

「最後に踏み込んだ質問いいですか?」
「もちろん」
「いいよ」
「最後の瞬間、お二人はどうやって迎えますか――」

 ◇ ◇ ◇ 

 「取材、どうだった? 俺はけっこう楽しかった」

 帰り道、いつものように並んで歩きながら先輩は言う。楽しかった、とは少し違うけれどとても有意義な時間だった。話を聞くだけでたくさんの感情を知ることができた。この世界には唯一無二の物語が至る所で繰り広げられているのかもしれない、そう思えた。気づくことができた。

「知ろうとしなければわからないことがあるんだって思いました。知ろうと思えば知ることができるんだとも」
「いい経験になった?」
「はい、とても。ありがとうございました」

 先輩は満足気に笑う。先輩も自分の取材というものができたのだろうか。
 幼馴染の恋愛物語を書くからといって、彼女たちをモデルに書くわけではない。それでも、私の知りえない経験や感情を知ることができてよかった。

「カズハちゃん、明後日終業式が終わったら遊園地行かない?」
「え? 遊園地?!」
「取材だよ。さっき行きたそうにしてたでしょ」

 二人に思い出の場所はあるかと質問したとき、口を揃えて遊園地だと答えていた。記念日、誕生日、クリスマス。どちらからともなく遊園地デートをしようと言い出す。遊園地は一日中お互いの笑顔を見られる魔法の場所なんだと言っていた。
 お互いそう思えるそんな素敵な場所があるなんていいなと呟いたのだけど、その呟きを聞かれているとは思わなかった。

「付き合ってくれるんですか?」
「もちろん、取材手伝うって言ったでしょ。疑似体験だよ。明日は俺たち幼馴染カップルね」
「カップルとして行くんですか?!」

 そこまでする必要があるのだろうかという疑念はあるが、先輩と過ごす楽しい時間を想像するだけで顔が緩んでしまいそうだった。
 もうずっと、楽しいと思えることなんてなかった。物語を綴っているときだけが、現実を忘れられる唯一の時間だった。でも私ちたにはまだ楽しめる時間が残っている。今日の取材でそう思えた。

『最後の瞬間、お二人はどうやって迎えますか』
『手をつないで、お互いだけを見つめて、笑い合って迎えます』
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