だから私は、世界滅亡に青春を捧げた
――五月十日   一年三組 宮園 一花

 高校生になって約一ヶ月、文芸部があることを知った。文芸部があるなんてパンフレットには載っていなかったのに。
 いつも教室で一人本を読んでいる私に、文芸部と美術部の顧問を兼任しているという担任が教えてくれた。入学式前日、数年前から猛威を奮っている新型の感染症にかかり、一週間遅れて登校した私は友達をつくれずにいたのだ。それは、ゴールデンウイークが明けてからも変わらなかった。

 私は放課後、おそるおそる文芸部の部室だという部屋を訪ねた。
 ゆっくりとドアを開け、視界に入ってきたのはなぜかスマホを険しい表情で見つめ、盛大なため息をつく男子生徒。ネクタイが青色だから二年生だ。

 その先輩はドアが開いたことに驚いたのか、勢いよく顔を上げる。そして私を見ると表情がぱあっと明るくなった。

「一年生だよね?! もしかして入部希望?!」
「えっと……はい、そうです……」
「ほんとに?! ありがとう! こっちきて、ここ座って」

 長机とパイプ椅子と本棚だけがある部室に入り、促されるまま椅子に座った。
 先輩はスマホを伏せて置き、そして部活紹介を始めた。

「文芸部部長の守屋匠、二年です。あと二人三年生の部員がいるけど、受験生になるから退部するという先輩を説得して名前だけ残してもらっただけの幽霊部員です。活動内容は読書、執筆、取材活動なんでもありです。俺は、放課後主にここで執筆してます。部室には来てもいいし来なくてもいいです。でもできるだけ来てほしいです。俺が寂しいから……」

 最後だけなぜか切実な感情が含まれていて、守屋先輩の性格がなんとなくわかる部活紹介だった。
 それ以外は普通の文芸部って感じだけど、一つ気になったことがある。

「取材ってなんですか?」
「取材は、執筆のための取材だよ。えっと……」
「あ、一年の宮園一花です」

 取材という言葉が気になって自分の自己紹介をわすれていた。名前を告げると先輩はにこりと微笑む。

「一花ちゃん、いい名前だね。世界にたったひとつの花」
「ありがとう、ございます」

 初対面で、名前の意味を褒められるなんて初めてだった。文章を書く人ってみんなこんな感じなのだろうか。それから先輩は自然に私のことを一花ちゃんと呼ぶ。

「一花ちゃんは読む人? 書く人?」
「一応、どっちもです……」
「おお! じゃあ書くときにさ、取材ってしない? そんな大掛かりなことじゃなくて、例えば雨上がりの空を描写したいときに、雨上がりの空を見上げてみるとか、猫を登場させたいときに猫を観察してみるとか」
「そういう、小さいことならしているかもしれません。逆に、なにか綺麗なものを見たときにそれを書きたくなったりとか」
「いいねいいね。そういう見て、聞いて感じることをたくさん経験することが取材だよ」

 なるほど、と思った。物語は作者の経験だとよく聞く。無意識に自分の一部が登場人物に投影されていると。だから、たくさんのことを経験して感じることで物語が広がって、深みが出てくるのかもしれない。私はまだそんなところまで到達していないけれど。
 私は鞄から一冊のノートを取り出した。中学生になったころから趣味で書き始めた物語。小説の書き方なんて勉強していないし、子どもっぽい恋愛物語だけど、私の好きをたくさん詰め込んだ物語。今までだれにも見せたことはないし、文芸部に入ったからといってこれを見せるかどうかはまだ決めていなかった。でも、この先輩にならいいかなと思った。私が書いた物語を読んでもらいたいと思った。

「これ、私が書いたんですけど、良かったら読んでもらえますか?」
「もちろんだよ」

 先輩は心よく了承してくれ、ノートを受け取った。でもどこか暗い表情をしている。そういえば、ドアを開けたとき、すごく大きなため息をついていたな。

「あの、もしかしてなにかありましたか? 私のことは気にせず、ご自分のことしてもらって大丈夫ですよ」

 私は伏せてあるスマホに視線を向ける。先輩はすごく驚いた顔をした。

「一花ちゃんは人のことをよく見る子なんだね。……実はコンテストの結果発表があったんだ」
「コンテスト、ですか」
「二次選考までは通過してて、でもなんの連絡もないから受賞してないのはわかってたんだけど、やっぱり結果発表を見るとだめだったんだなって実感が湧いてきてね」

 その気持ちはなんとなくわかる。私も一度コンテストに応募したことがあるから。一次選考すら通らなかったけど、結果が出るまでのあの異様な緊張は今でも覚えている。通過作品の中に自分の作品がなかったときの落胆する気持ちも。

「それは……残念、でしたね……」

 気持ちはなんとなくわかっても、かける言葉はわからなかった。先輩がどんな作品を、どんな思いで書いたかはわからなかったから。それでも先輩は私に笑いかける。

「もし受賞してたらさ、コンテスト受賞作家在籍! って貼り紙貼って、新入部員を呼び込むつもりだったんだ。あと一年、三年生が卒業するまでに部員を二人増やさないと廃部になっちゃうから。でも、結果発表見て落ち込んでたら一花ちゃんが来たんだ。きみは文芸部の救世主だよ」
「救世主なんて言い過ぎですよ。それにまだ一人足りませんよ」
「それでもこのタイミングで来てくれるなんて奇跡だよ」

 救世主とか、奇跡とかすごく大げさだけれど、先輩の純粋な瞳に今日来て良かったと思った。高校に入って、誰かとこんなふうに話しをするのは初めてだ。私の高校生活どうなるんだろうと不安だったけれど、一つ楽しみができた。

 それから放課後は毎日部室に行った。小説を読んだり、物語の設定を練ってみたり、先輩と他愛のない話をしたり。そんな時間が心地良くて、私にとってこの日常が欠かせないものになっている。
 クラスでは相変わらず本ばかり読んでいるけれど、そんな日常にも慣れてきた。

 今日も部室でひたすら小説を読んでいる。先輩はノートに向かって何やら頭を抱えていた。新作を考えているらしい。うーんと唸りながら先輩は顔を上げ、私を見る。盗み見していたのですぐに目が合った。そして私が読んでいた小説に目を向けると優しく笑う。私は、この先輩の表情が好きだ。

「一花ちゃん、今日は短編集読んでるんだ」
「はい。今までずっと一つの作品をダラダラと書いてたので、次はしっかり起承転結でまとまった短編書いてみようかなと」
「短編いいね。この前見せてもらったお話もすごくよかったよ。展開はゆっくりだったかもしれないけど、主人公の心情の変化が丁寧に描かれていて一花ちゃんらしいなって思ったよ」
「ありがとうございます……」

 読んでもらったはいいが、待っている間すごく恥ずかしかった。お返しにと読ませてもらった先輩の作品が素晴らしかったから。面白くて、夢中で最後まで読んでしまった。こんなに素敵な物語を書く人に、私はなんて拙いものを読んでもらったんだろう。もっと上手くなりたいと思った。もっと誰かの心揺さぶる物語を書いてみたい。

「どんな短編を書くの?」
「やっぱり恋愛物語が書きたいなと思うんですけど、具体的なことはまだ……」

 書きたいけれど、書くのって難しい。だから、今はひたすら小説を読んでいる。すると先輩はペンを置き、ノートを閉じた。

「ねえ、取材にいかない?」
「取材、ですか? でも私、まだなに書くかも決めてなくて……」
「別になにかするって決めて行かなくていいんだよ。一花ちゃん言ってたでしょ、綺麗なものを見たときにそれを書きたくなるって。書きたくなるようなことを探しに行こうよ。実は俺もちょっと行き詰ってるんだ」

 取材のあとはそのまま帰るからと、荷物をまとめ部室を出る。流れに任せてついて行った先は、学校の裏にある墓地公園だった。なんで墓地? と思ったけれど、先輩はお墓が立ち並ぶ丘をどんどん登っていく。お墓参りに来たというわけではなさそうだ。
 お墓のある区域を通り過ぎ、丘を登りきると開けた場所に出た。木製のフェンスがあるだけで他には何もないけれど、街の景色を一望できる開放感のある場所だった。

「墓地の上にこんなところがあるなんて知りませんでした」
「なかなかここまで登ってくることはないよね。でも、俺はこの場所が好きなんだ。一花ちゃんにこの景色を見せたくて」

 先輩はフェンスのところまで行くと少しだけ身を乗り出すようにして遠くの景色を眺める。私も横に並び、同じようにフェンスに掴まって眺めてみた。何も言わず、しばらくの間じっと見つめる。それは、沈んでいく夕日に赤く染まった街がゆっくりと色を変えていく様子だった。

「日が沈んでいくのを見てると一日が終わるんだなって思いますね」
「ここから朝日は見られないけど、日はまた登って、また沈んでいく。繰り返しだけど、流れていく景色を見てると、世界は生きているんだなって思うよね」

 世界は生きている。そんなふうに考えたことはなかった。繰り返していく日々の中、自分のことだけで精一杯で、世界なんてそこにあって当たり前だと思っていた。でも、物語を創るって世界を創るってことだよな。この景色を見ていると、なんだか壮大な物語を書きたくなってくる。

「なんか、壮大な話を書きたくなってくるね」
「あ、私も同じこと思ってました」

 二人で顔を見合わせクスリと笑う。先輩はこの景色を見て、どんな物語を書くのだろう。
 日が沈んでしまった空は星たちが瞬きはじめ、また違った世界を見せてくれた。

 そろそろ帰ろうと墓地の丘を下る。カチカチと不規則に明かりを灯す街灯が、夜の墓地の雰囲気を際立たせている。来た時よりも先輩の近くに寄り、早足で歩く。

「おばけとか怖いタイプ?」
「怖いですよ。先輩は怖くないんですか?」
「小さい頃は怖かったかな。でも今はそんなに」
「すごいですね……」

 墓地だからといって絶対に幽霊がでるとは思っていないし、この墓地でなにか出るみたいな噂も聞いたことはないけれど、どうしても雰囲気にのまれてしまう。

「俺だってさ、いつか死んでこっち側になるじゃん?」
「幽霊側ってことですか?」
「そうそう。俺が化けて出たら一花ちゃん怖い?」
「驚きはするけど、そんなに怖くはないかもです。むしろ会いたいかも……」

 先輩がいつ死ぬかなんてわからないし、死んだとして成仏できずに幽霊になるかどうかもわからないけれど、きっと会いたいと思ってしまう。幽霊でもなんでもいいから、もう一度会いたいと。それほど私にとって先輩は大切な人になっている。

「ありがとう。そんなふうにさ、もし幽霊に遭遇したとしても、どこかの誰かにとっては会いたい人で大切な人なんだって思ったら怖くなくなるよ」

 ちょっと強引な考え方だなと思う。それに本当に幽霊に遭遇したら、絶対に叫んで逃げ出すはずだ。けれど、先輩があまりにも明るく怖くないよと言うから、もしかしたら怖くないのかも、と思ってしまう自分もいる。

「先輩なら幽霊に話しかけたりしそうですね」
「さすがにそれはしないよ」

 先輩はクスリと笑う。でもすぐに真剣な表情になった。
『本当に怖いのは生きている人間だよね』
 小さく呟いた言葉は、このだれもいない静かな暗闇で聞き取るには十分だった。いつもニコニコして明るく前向きな先輩だと思っていたけど、なにか抱えていることがあるのだろうか。聞いてもいいのだろうか。わからないけれど、先輩の本心を見せてくれた気がして、少し踏み込んでみたくなった。

「なにか……あったんですか?」

 先輩は困ったように笑うと小さく首を振る。それでも、ポツリと溢すように話してくれた。

「俺じゃないんだけどね。妹が……学校でいろいろあって、それから笑わなくなったんだ。笑わないというか、無表情?」

 妹さんのことを思い浮かべているのだろう。悲し気で、心配しているような、そんな表情だった。学校でいろいろ、なんて安易に想像がつく。きっといじめの類なんだろう。無視とか陰口とか、物を隠されたりいたずらされたり。どの程度のことかはわからないけれど、心に傷を負うのに程度なんて関係ない。妹さんはすごくつらい思いをしたはずだ。

「あ、そんなに深刻に捉えないでね。妹ってけっこう強いやつでさ、そんなことがあっても本人はあっけらかんとしてて、全然楽しそうではないけど毎日学校行ってたし、今は新しい環境になって上手くやってるみたいだから」
「そう、なんですね……」
「でも、泣いたり笑ったり怒ったり、そういうのが全然なくなった。まるで感情がなくなったみたいに。前はすっごい明るいやつだったのに。人をこんなに変えてしまうのは結局人で、それってすごく怖いことだと思う。でも、だからこそ俺は妹を泣かせたいんだ」
「え? 泣かせたい?」

 笑わせたい、じゃないんだ。

「俺の書いた小説で妹を泣かせる。それで、感情を取り戻す。それが俺の目標」

 もちろん部員を増やすこともね、と付け足した先輩はいつもの明るい先輩だった。妹さんを感動させて泣かせたい。それが先輩の小説を書く意味なんだ。私が小説を書く意味ってなんだろう。ただの趣味で、書きたいと思うから書いている。なにか目的があるわけではなかった。

 人は人を変えることができる。それは良い方にも悪い方にも。私は、誰かを良い方に変えられる、感動させられる小説を書くことができるだろうか――。

 それからも、先輩との取材は続いた。
 私が恋愛物語を書きたいと言ったから、先輩が学校でカップルを見つけてこっそり観察なんかしてみたり。なんか、のぞき見してるみたいですねと言ったら、先輩は向こうは隠れてないんだから見てもいいでしょと笑った。だから私も開き直ってたくさん人間観察をした。放課後、先輩と一緒に屋上へ行って運動部の部活を眺めたり、至る所から聞こえてくる吹奏楽部の練習している楽器の音色に耳をすませてみたり。今まで何も感じていなかった日常が、一つ一つ意味のあるものなんだと感じる。

 そして今日は部室でお互いペンを走らせている。

「先輩、もうなに書くか決まったんですか?」
「うん、決まったよ。一花ちゃんは?」
「私もだいたい決まりました」

 見て、聞いて、感じたこと、書きたいと思ったこと、浮かんだエピソード、キャラクター像、まとめることがたくさんある。書きたいことが決まると、もっと知りたいと思うことが出てくる。

「一花ちゃん、夏休みに入ったら取材しながら執筆も進めよう。思い切って遠出とかしてみてもいいし」
「遠出、いいですね。楽しみです」
「俺、行きたいところあるんだ――」

 どこに行くか、どんなことをするか、たくさん話をした。こんなに毎日がワクワクするなんていつ振りだろう。それも、全部先輩のおかげだ。高校生になって初めての夏休み、きっと充実したものになる。

 そう、思っていたのに――。

 一学期の終業式の日、朝一番に担任の先生に話があると呼びだされた。
 それは私にとって、とてもつらく、心がえぐられるような、現実だった。

「二年の守屋が昨日の帰宅途中、事故にあって亡くなった――」
 
 

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