拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~ 【改稿版】


   * * * *


 翌日の夕方。すべての講義を受け終えた愛美は、純也さんと待ち合わせをしている大学近くのカフェへ赴いた。トートバッグに、前日から突然調子の悪くなったノートパソコンを放り込んで。

「――ああ、愛美ちゃん。こっちこっち」

「純也さん、わざわざありがとう。待った?」

「いや、そんなに待ってないよ。とりあえず何か注文しなよ」

 純也さんがメニュー表を差し出したので、愛美はアイスラテを注文した。そして、お冷やで渇いていた喉を潤す。

「じゃあ、さっそくで悪いんだけど、パソコンを見せてくれるかい?」

「うん……。純也さん、これなんだけど」

 愛美はテーブルの上にパソコンを開き、起動させた。まずはこの店のWi-Fiに繋ぎ、インターネットは使えることを彼に確認してもらう。

「ね? ネットを使うには問題ないの。で、肝心のワードなんだけど……」

 持ってきていたレポートのUSBを差し込み、文章を打ち込もうとしてみるけれど、まったく画面に反映されていない。

「ねえ、純也さん。原因分かる?」

「んー、やっぱりさやかちゃんも言ってたとおり、OSのバージョンがもう古くなってるのかな。このパソコン、もう三年以上使ってるんだろ? その間にバージョンアップとかしたことは?」

「あ……、そういえば一回もなかったかも。なんか、素人が勝手にやっちゃいけない気がしてたから」

 愛美は頬をポリポリ掻いた。身近にパソコンに詳しい人がいれば、もっと早くに指摘してもらえたかもしれない。

「とりあえず、OSのバージョンを更新しておくから。これでもう安心して使えるようになると思うよ」

 彼はホットの紅茶を飲みながら、サクサクと作業を進めていく。その間に、愛美が注文したアイスラテも運ばれてきた。

「ありがとう、純也さん! ――ありがとうございます」

 ホッとひと安心した愛美は、ガムシロップを入れてかき混ぜたアイスラテを飲み始めた。

「一時はどうなることかと思ったけど、純也さんがいてくれてよかった。やっぱり頼りになるね。ずっとわたしのことを助けてくれてただけのことはあるなぁ」

 そこまでポロッと言ってしまってから、愛美は「しまった!」と口元を手で押さえた。

「……えっ? 愛美ちゃん、今のはどういう……」

「あ、ううん! 何でもないの」

(……もうそろそろ、純也さんにホントのこと話した方がいいのかな。「わたしは〝あしながおじさん〟の正体を知ってるよ」って)

 もういい加減、純也さんも確信しているんじゃないだろうか。自分が偽名を使って愛美を援助していたことがバレているんだと。

「……あのね、純也さん。わたし、純也さんに話さないといけないことが――」

「――愛美ちゃん。俺と結婚してほしい」

「……………………えっ?」

 愛美が本当のことを打ち明けようとしたのと同時に、純也さんが唐突にプロポーズしてきたので、愛美は戸惑った。

「いや、あの……。今すぐどうこうって話じゃなくてさ、ずっと前から考えててね。もちろん、大学を卒業してからでもいいし、タイミングは愛美ちゃんに任せるけど……。どう……だろう?」

(純也さん、わたしの話を聞きたくないからこのタイミングで? なんかわざとらしい)

 もしかしたら違うのかもしれない。けれど、彼は現実から目を背けようとしているんじゃないかと愛美には思えた。

(そりゃ、わたしだって純也さんとの結婚は考えてるけど……。まだ彼に出してもらったお金だって返せてないし、今のままじゃ結婚しても彼と対等な立場にはなれない。彼に負い目を感じながら一緒に生きていくなんてできないよ……)

「純也さん、ゴメンなさい。今、ここでは返事できないから、ちょっと考えさせて下さい」

「…………そうか、分かったよ。俺の方こそごめん。急にこんな話をして、困らせてしまったかな」

 困惑顔で頭を下げた愛美に、純也さんはプロポーズしたこと自体を公開しているように謝った。

「ううん、困ってるわけじゃ……。ただね、わたしの方も色々と考えることが多くて、正直それどころじゃないっていうか」

「まさか俺以外に好きな男がいる……とか?」

「そんな人いないよ。そうじゃなくて、田中さんへの恩返しがまだ終わってないから。そんな状態で結婚するのってちょっと自分勝手なんじゃないか、って」

「た……っ、田中さんはそんなことで君に怒ったりしないよ。君はもう法的には成人してるし、自立してるんだから。淋しいとは思っても、決して怒ったりなんか――」

「純也さん、どうしてそう言い切れるの?」

「…………それは」

(純也さん、完全にボロを出してる)

 愛美は確信した。彼もまた、自分が田中太郎の正体であることを愛美に打ち明ける気でいることを。 

「ねえ純也さん、わたしにずっとウソついてるよね? もう、正直になってもいいんじゃない? ウソをつき続けててもツラいだけだよ?」

「…………!」

「…………ゴメンなさい、今すぐはムリだよね。純也さんにも心の準備ってものが必要だもんね。だからわたし、純也さんが話せるタイミングになるまで待ってるよ」

「愛美ちゃん……」

 今日はパソコンを直すために来てもらったのだ。その要件はもう済んだので、忙しい彼をこれ以上引き留めておくわけにはいかない。

「純也さん、今日はパソコンが使えるようにしてくれて助かったよ。ありがとう。わたし、そろそろ寮に戻らないと。ここはわたしに払わせてね」

 愛美はグラスの中のアイスラテを飲み干し、伝票をつかんで席を立った。
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