音楽的秘想(Xmas短編集)
 知らず知らずの内に、私は作者の心に背を向けていたのだ。ただ弾けば良い、と思っていた訳では勿論ない、筈なのに。いつからか、ピアノを弾くのが“義務”になっていたのだと思う。

 父母や祖父母からの必要以上の期待。それが生み出した、“知的でクール”な檮原江菜の演奏スタイル。いつしか周りも、それが私の音楽だと思うようになっていった。

 正しく楽譜通りに、間違わないように、というのが一番大切だと思っていた。それは、作者の気持ちに寄り添うということではない。寄り添うように“見せかけて”いるだけだ。

 誰かの気持ちになろうとすることは、その人の模倣をすることではない。自分が同じ状況に陥ったら何を思い、どう感じるのか。それを考えるのが“楽譜を理解する”ということだ。



「お次はプログラム3番、ピアノ学科1年の檮原江菜さん。曲目は『Islamey』です。」



 名前を呼ばれ、壇上へ向かう。待っていたかのように、大きな拍手が起こった。期待される程の演奏を、私はしないというのに。

 この曲をただ一人のために弾くと言ったら、いけないだろうか。お辞儀をしながら思う。

 ──きっと構わない。だってこれは、恋の曲なのだから。
< 13 / 40 >

この作品をシェア

pagetop