スパダリ起業家外科医との契約婚

第十二章 想い (壮一郎 side)

第十二章 想い (壮一郎 side)

その夜、壮一郎は涼子が寝室へ引っ込んだあとも、しばらくリビングで時間をつぶしていた。
グラスにミネラルウォーターを注ぎ、宵の街を窓から見下ろす。——ふと、結婚式の日のことを思い出していた。

あのチャペルで涼子を見かけたとき、自分を疑った。
涼子に--子どもの頃の面影をどこかに残しつつ、その成長した姿に--強く惹かれた自分に驚いたのだ。
淡い色のドレスに包まれて、兄・英盛の結婚を祝福する彼女。その笑顔はかつての小学生だった少女のものではなく、成熟した大人の女性としての魅力を放っていた。

もともと、壮一郎に結婚願望はなかった。いつかは父の病院を継がなくてはならないという宿命を意識しながらも、自分の外科医としてのキャリアや、英盛と立ち上げたベンチャー企業のビジネスを優先したいと思っていた。
女性と付き合うひまなどなかったし、むしろプライベートな恋愛感情に煩わされることを避けてきたのだ。

だからこそ、結婚など当分先のはずだった。ところが、涼子を見かけてからその気持ちに変化が生まれた。どこかで危機感を覚えたのだ。
彼女が他の誰かのものになるかもしれない——そう思うと居ても立ってもいられない気持ちになり、勢いで“契約結婚”の話を持ち出してしまった。
正直、父から結婚を急かされていたのも事実だが、それだけが理由じゃない。さすがに英盛には反対されるかと思ったのに、意外にあっさりOKしてくれてことにも驚いたものだ。

ソファに身を預けながら、壮一郎は自嘲気味に微笑む。英盛も薄々、壮一郎の本音に気づいていたのかもしれない。
涼子を好きになったと断言するのは躊躇われたが、結局は彼女を誰にも取られたくないという独占欲が、この契約結婚という形を作り上げてしまったのだ。

しかし今の状況では、まだ何もしてあげられていないと感じる。彼女を契約上の妻として縛り付けておきながら、外科医と起業家の二足のわらじを履き、家を空けることが多い。
彼女がどんな思いを抱えているのか気にかける余裕すらなく、最近ようやく料理を作ってもらい、一緒に食卓を囲むようになった程度だ。

(だが、あと一年だ。それだけ経てば英盛とのビジネス基盤ももっと安定する。病院経営に手を貸さなくちゃいけない可能性もあるが、それよりもアメリカでの事業拡大が急務だ。一年後には再び渡米して、さらに最先端の医療にも触れたい。……涼子を連れていければいいんだが……)

壮一郎の思考は、そこまで及ぶ。
今もなお、涼子はまるで自分が“ただの都合のいい結婚相手”だと思い込んでいるように見える。だが壮一郎自身は、最初の契約どうこうを口実にしつつ、最終的には涼子と本物の夫婦になりたいと思っているのだ。
アメリカへ行くなら彼女を同行させたい。そう願ってはいるものの、果たして彼女は「私も行く」と言ってくれるだろうか……
あるいは、平凡な家庭を求める彼女にとっては、自分のような男は落ち着かない相手なのかもしれない。

涼子の眠る寝室のドアを一度、そっとノックしてみようか。いや、彼女は疲れている。無理に起こすのも良くない。戸惑いを振り切るように、壮一郎はスマートフォンを手に取り、英盛から届いていたメールに目を通す。そこには桜から送られてきたビジネスプランの概要が添付されていた。だが、それを開いた瞬間、ふっと険しい表情になる。

(また桜が色々と動いているのか……)

桜は間違いなく優秀だし、壮一郎もビジネスパートナーとしてのスキルは認めている。だが、その裏にある彼女の野心や、“天才外科医”という肩書への執着ぶりに、時にうんざりする。
さらに“公私のパートナー”という願望を隠そうとしない。涼子の存在を知りながらあくまで押してくる桜に、何とも言えない不快感を抱いていた。

——こうしている間にも、涼子はきっと桜のことで悩んでいるのではないだろうか。そんな予感を拭えずに、壮一郎は、主のいない暗いキッチンを見つめていた。
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