あなたは私しか愛せない
もうっ、せっかくおしゃれして気合い入れて行ったのに、わざわざ誕生日の日に振らなくてもよくない?! しかも食事の前に。せめて食べ終わってからにしてほしかった。いや、食べ終わってからでもショックなのは変わらないけど。本当はプロポーズとかされないかなって期待してたのに。なにが『亜子とはずっと一緒にはいられない』よ。私は、ずっと、死ぬまで、死んでも、一緒にいたいと思うくらい好きだったのに……。
「はぁ」
「はぁ」
「え……?」
「え……?」
誕生日デートの序盤に振られて、帰り道の信号待ちで盛大なため息をついていると、誰かとその盛大なため息が被った。声のした方を向くと、私より少し年下くらいのイケメンくんと目が合う。
目が合ったと思えばイケメンくんはすごく驚いた顔をする。彼もため息か被ってびっくりしたのだろうか。人生、ため息をつきたくなることもあるよね。わかるよ。私は思わず声をかける。
「なにか、あったんですか?」
「えっと、まあいろいろと大変なことが……」
「そっかぁ。いろいろありますよね。私も今さっき三年付き合った彼氏に振られたんですよ」
どこか親近感が湧いて、初対面の彼に、さっき振られたことを話していた。
「そうなんですか? お姉さん綺麗なのに。彼氏さん、もったいないことしましたね」
「きみは人たらしだね。イケメンだし」
「僕、イケメンですか? 実は僕もこの前振られたばっかりなんです。頼りない顔してそれ以上に中身も頼りないなんてやっていけないって」
「えー! それはひどいね。そのふわふわの髪とか少し垂れた大きい目とか、かっこ可愛いって感じで私はすごく好きだけどな。中身は知らないけど」
「中身は知らないけどって、そこが重要なんですよぉ。でも、嬉しいです。お姉さんは優しいですね。ほんと彼氏さん見る目ないです」
「私もほんとそう思う!」
初対面なのに彼と話していると楽しくて、振られてショックだったのに自然と笑顔になっていた。
気付けばため口になってるし、なんだか心許せる感じがするんだよな。
「ねえ、今からうち来ない? 振られた者同士、飲んで愚痴って発散しようよ」
「家、ですか? 僕はいいんですけど、でも……」
「いいのいいの。私だっていい大人だし、自分の責任は自分でとるから」
ちゃんと理性もある子なんだな。それもまたいい。彼となら本当にただ楽しく飲んで話して過ごせそう。それにやっぱり、誰かにそばにいて欲しい気持ちが大きいんだよね。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「決まりね。そうと決まればお酒とかおつまみとか買って帰ろう。あ、お酒大丈夫?」
暗い気持ちだったのが噓みたいに楽しくなっている。こういう出会いって本当にあるんだな。
でも……なんだかさっきから周りにチラチラ見られている気がする。
おばさんがイケメン連れてるって思われてるのかな? いやでも私そんなにおばさんではないはず。まだ二十七だし。彼はもう少し若いだろうけど。
「ねえ、さっきから見られてるよね。私たちってそんなに不自然――」
あれ? あれ? なんか……彼って……。
「なんで、靴、履いてないの? それになんか、ちょっと……浮いてない……?」
「へへ、気づいちゃった?」
「うそ……」
「たぶん、僕のこと見えてるのお姉さんだけだよ」
「ええーー?!」
◇
「じゃあ、私は一人でニヤニヤ話をしていたイタイやつだったんだ」
「気にするとことそこなの? 亜子さん、僕のこと怖くないの?」
「まあ、出会いが出会いだったし、怖くはないかな?」
彼は、戸田佑介くん。今年大学を卒業した二十三歳の新社会人だった、らしい。数日前に事故に遭い、気づけば事故のあった場所で彷徨っていたそうだ。
「僕って、幽霊なんだよね?」
「いやぁ、私に聞かれても……。死んだ記憶とかないの?」
「トラックが突っ込んでくる、と思ったとこまでは覚えてるんだけど、そこからの記憶がなくて気づいたらあの横断歩道にいたんだ。こんな姿で」
佑介くんは私の部屋で、ローテーブルの前で正座をしている。こう見ると普通に生きている人間だ。よく見るとちょっと浮いているけれど。幽霊は足がないなんて誰が言ったんだ。浮いてるだけじゃない。
「佑介くんはこれからどうするの? 成仏を目指すとか?」
「んー、よくわかんない。成仏しなきゃ、みたいな気持ちも特別湧かないんだよね」
「だったらさ、うちにいなよ」
「え? 亜子さんなに言ってるの? 僕、幽霊だよ? たぶん」
幽霊なんていっても佑介くんはすごく物腰柔らかで、ちゃんと気遣いができる優しい青年だ。
全然怖くなんてないし、イケメンだし、それに一緒にいてすごく落ち着く。まだ出会って数時間だけどそう感じた。
「それがいいんだよ。佑介くんはずっと私のそばにいてよ」
「亜子さんが、それでいいなら……」
そして、幽霊の彼との同棲生活がはじまった――。
「亜子さん、朝だよ。会社遅れるよ」
「んー、佑介ぇもう少し……」
「だめだよ。この前ももう少しって言って朝ごはんも食べずに行ったでしょ」
優しい声に起こされ、眠たい瞼を擦りながら目を開ける。目の前にはふわりと笑う佑介の顔がある。一緒に暮らし始めてからすぐに佑介と呼ぶようになった彼は、毎朝こうやって起こしてくれる。
「おはよぉ」
「亜子さんおはよう」
触れそうなほど近い顔は、毎日見ても飽きないくらい本当にかっこいい。
私の上に乗っているような体勢だが、もちろん重さは感じない。少し寒気がするくらいで真夏の今はむしろ心地良い。
触れることはできないけれど、彼が近くにいるというだけで寂しさが埋まる。
私は体を起こしベッドから出ると、着替えて朝食を作る。
佑介はキッチンで準備をしている私の隣に立つ。
「僕が作ってあげられたらいいのに。ごめんね」
「謝るのは禁止だって言ったでしょ? ご飯、私一人で食べちゃってごめんね」
佑介はご飯なんて食べないし、眠ることもしない。ただただ、ここにいるだけ。申し訳ない気もするが、彼は幽霊なのだから仕方ない。でも、彼はなにもできないことをいつも気にしている。
トーストにバターを塗り、スクランブルエッグとウインナーを焼いただけの簡単なものだけど、朝食を食べないことがほとんどだった私にしたら十分な食事だ。
テーブルに着き、手を合わせてから食べ始める。佑介は向かいに座り、食べている私をじっと見る。
「ねえ、亜子さんは、どうしてこんな僕をそばに置いてくれるの?」
「そばにいてほしいからに決まってるでしょ」
「でも僕、幽霊だよ? 亜子さんになにもしてあげられない」
「そんなことないよ。佑介は誰よりも優しくて、素敵な人だよ」
毎朝優しく起こしてくれるし、仕事で疲れた私をたくさん労わってくれる。他の人に見向きもしないし、周りも佑介を見ない。私だけの佑介。
「亜子さんには、生きてる人のほうがいいと思う……」
「なんで、そんなこと言うの? 私は佑介にそばにいて欲しいって言ってるのに」
時々、こんなやり取りもする。佑介は、本当は私といるのは嫌なのだろうか。私を気遣うふりをして出て行こうとしているのだろうか。
「私、佑介がいないと一人ぼっちになっちゃう。佑介もでしょ?」
「僕がここにいたって、亜子さんは幸せにはなれないよ」
「私の幸せは、私が決めるよ」
『俺では亜子を幸せにできない』元彼に言われた言葉。それは、私を思って言ったことではないとわかっている。私の重すぎる愛に耐えきれなくなったのだ。
いつもそう。
重い、嫉妬しすぎ、しんどい、もうやっていけない……。
そうやって、歴代の彼氏に振られてきた。元彼は三年も付き合ってくれたし、こんな私を受け入れてくれたと思っていたのに、結局振られた。私はただ、ずっと私だけを想ってそばにいてほしいだけなのに。
佑介なら、こんな私のそばにいてくれるんじゃないかと思ったけど、やっぱり私は誰からも――。
「仕事、行ってくる」
「亜子さんっ」
ご飯を食べ、軽く化粧して家を出る。いつもちゃんと行ってきますをするけれど、今日はなんだかそんな気分になれなかった。
そして、そんな気分の日に限って仕事が立て込んでいた。ひたすら数字を打ち込むだけの地味な仕事だが、意外と大変だ。特に今は月末なので、慌てて書類を持ってくる社員も多い。
思わぬ仕事量に、遅くまで残業してしまった。
ぎりぎり終電に間に合い、へとへとになって駅からマンションまでの道を歩く。
「はぁ、疲れたー。今日はもう帰ってすぐ寝よう」
そんな独り言を呟いていたら、誰かに肩をたたかれた。
「えっ?」
振り返ると、こんな真夏なのに、ロングコートを着た小太りのおじさんが居た。
おじさんはなぜか息が荒い。
これ、やばいやつだ。逃げないと。
そう思っているのに、どうしてか足は動かない。
おじさんはコートのボタンに手をかける。はあはあ言いながら上から一つずつボタンを外す。
なにやってるの私! 早く逃げなさいよ! 早く!
心の中の私が叫ぶけれど、足は一向に動いてくれない。私はぎゅっと目をつむる。
その時、冷たくて、心地良い何かに包まれた。
「う、うわあああああああ」
そして叫び声が聞こえ目を開けると、コートを靡かせ去っていくおじさんの後ろ姿があった。
「亜子さんっ」
「佑、介……」
「こんな遅くまでなにしてたの。すっごい心配した。心配して探しにきたら本当に危ない目にあってて心臓止まるかと思った」
「心臓は、もう止まってるでしょ」
「そういう冗談は今はいいよ」
「ごめん……助けてくれてありがとう」
ぎゅっと抱きしめられて、なんてことはない。抱きしめる、なんてこともできない。それでも優しく包み込まれるようなその感覚は、今まで感じたことのないくらい温かいものだった。
帰ってシャワーを浴びたあと、二人で向かい合いベッドに入る。ひんやりとした佑介の体が気持ちいい。
「あのおじさん、佑介のこと見えてたのかな?」
「ちゃんとは見えてないと思うよ。ただ、亜子さんにまとわりつく黒くて禍々しいものは見えたんじゃないかな」
「そうなんだ。こんなに可愛いらしくて綺麗な顔してるのにね」
「僕は、綺麗なんかじゃないよ。亜子さんのほうがよっぽど綺麗だ」
佑介は、優しいだけじゃなくて、こうやって甘い言葉をくれる。すっぴんで、寝間着で、髪もぼさぼさなのに、どんな私も綺麗だと言ってくれる。
私はもう、佑介の存在がないと生きていけないと思うほどに依存している。
「佑介はさ、私になにもしてあげられないって言うけど、そんなことないよ。いつも佑介の存在に癒されてるし、楽しませてもらってる。それに、今日だって助けてくれた。守ってくれた。頼りないなんて誰が言ったの。こんなにかっこよくて頼もしいのに」
「亜子さん……」
「私、佑介のこと好きだよ。佑介は、私のこと嫌い?」
「嫌いなわけないよ。事故に遭って、現実を受け入れられずに彷徨っている僕を亜子さんは救ってくれたんだ。こんな僕にそばにいて欲しいって言ってくれて、好きだって言ってくれる。僕も亜子さんが好きだよ」
救われた、なんて言われたのは初めてだった。嬉しかった。こんな私のことをそんなふうに思ってくれる人がいることが。幽霊だなんて関係ない。生きていたって、そうじゃなくたって、私は佑介が好きだ。
「ずっと、私のそばにいてくれる?」
「亜子さんが望むのなら」
「私は年とって、よぼよぼになっちゃうけど、若い子のところに行ったらだめだよ。佑介、幽霊だけど顔はいいんだから」
「行くわけないでしょ。そもそも誰も僕のことなんて見えないから。こんな僕を愛してくれるのも、こんな僕が愛せるのも、この先ずっと亜子さんだけだよ」
「死ぬまで一緒にいてね」
「死んでも一緒にいられるよ」
「それ、最高だね」
顔を見合わせ笑い合う。
触れられない頬にそっと触れ、重ならない唇をゆっくりと重ねた――。
それからも、変わらない日々が続いた。
毎朝佑介に起こされ、仕事に行く。休みの日はデートにも行った。映画を観たり、水族館に行ったり。周りに変な目で見られないように会話は少なめだけど、一緒にいるだけで楽しかった。
佑介がそばにいて、たくさん話しをして、たくさん笑い合う。時には気持ちを伝え合い、時には喧嘩もする。そして佑介はいつも、僕を見捨てないでと言う。見捨てるわけないのに。私には佑介しかいないのに。
触れられなくても、一緒にご飯が食べられなくても、同じ時間を過ごして、同じ景色を見ることができる。
そばにいて、私を好きだと言ってくれる。それだけで幸せだった。
でも、最近佑介の様子が少しおかしい。
ボーっとすることが増えたし、体がムズムズすると言う。
今日は、そのムズムズが一段と強いみたいだ。
仕事が休みなのでどこかに行こうと話していたけど、家で大人しくしていることにした。
「佑介、大丈夫?」
「うん、嫌な感じではないんだ。でもなんか、今まで感じなかったものが、感じるというか、引っ張られる感じがするというか……」
感じなかったものが、感じる。それがよくわからなかった。幽霊だから、感覚なんてものはなかったはずなのに、どうしてだろう。
不思議に思っていると、ふと、佑介の足が消えかかっていることに気づいた。
まるで、絵に描いたような足のない幽霊。
「佑介、足が……」
「あ……」
自分でも気づいていなかったようで、ひどく驚いた顔をしている。そして、そうしている間にも、どんどん足は消えていき、もう腰辺りくらいまで見えなくなっていた。
「え? 待って、どういうこと? このまま消えたりしないよね?!」
「わ、かんない……。もしかして僕、成仏するのかな?」
「嫌だよ、ずっと一緒にいるって言ったじゃない。死んでも一緒だって」
「僕も、亜子さんとずっと一緒にいたかった。でも、なんでだろう。幸せ、過ぎたのかな。だから、成仏するのかも……」
佑介は、どんどんどんどん消えていく。もう、胸元くらまでしか見えなくなり、私の視界も滲んでくる。彼は、そんな私を悲しそうな表情で見つめる。
「待って、行かないで、いやだよ」
「亜子さん、ごめんね。約束、守れなくて。いつも頑張ってて、寂しがり屋で、重いくらいの愛をくれる亜子さんのこと、僕は好きだよ。ずっと、愛して――」
佑介は消えた。あっけなく消えた。まさか、こんなふうにいなくなるなんて思っていなかった。一生、私のそばにいてくれるのは佑介だけだと思ってた。
「佑介ぇ……。うぅ、ひっく……」
こんなの、ないよ。ひどいよ。
どうすることもできな私はただそこにへたり込んで涙を流すしかなかった。
しばらくの間、動けずにいたけれど、ふと思った。
佑介は本当に成仏したの?
幽霊なんて、見えたり見えなかったりするし、また、どこかで彷徨っているなんてこともあるかもしれない。でもどこに?
そうだ、お墓とか……。
佑介が事故に遭ったという日から半年が経っている。四十九日も終わっているし、お墓があるはず。
一度、気にならないの? と聞いたとき、気にならないと言っていた。
私も、佑介の家族のことや生前の話をして、ここからいなくなってしまうことが怖かったから話題には出さないようにしていた。だから佑介のことは名前と年齢しか知らなかった。
スマホを取り『戸田佑介』で調べてみる。
何も投稿されてないSNSがあっただけで、情報はなにもない。
住んでいる場所も、家族も、フレンドさえいない。登録だけして一切使っていないタイプか。
次に事故のことについて調べる。
『X月XX日 中町三丁目 交通事故――』
――あった。
「X月XX日夕方頃、中町三丁目の交差点で居眠り運転のトラックが歩道に乗り上げ二十代男性をはねたのち、電柱にぶつかるという事故が起こった。トラックの運転手は死亡、はねられた二十代男性は意識不明の重体で病院へ運ばれた……」
それ以上の情報はなかった。意識不明の重体……。もし、亡くなっていればその後死亡が確認された、とかの記事がでているはず。佑介は、まだ死んでない? もしかして……。
私は事故現場から近い、大きな病院を調べた。救急車で運ばれるとしたら、きっとこの病院だ。
目星を付けた総合病院に電話をかける。
「はい、中町総合病院受付窓口です」
「あの私、半年前交通事故で運ばれた戸田佑介の――」
窓口で佑介のことを聞き、担当科に内線が繋がれ、最終的に病棟の看護師さんから話を聞いた。
――――ああ、やっぱり! 私の予想が確信に変わる。
私は病院までの道を走る。
走っているからなのか、佑介のことを想ってなのか、心臓が、苦しい。それでも走る。
『戸田佑介さんは今朝意識が回復されました』
きっと佑介は意識だけが体から離れて、それで幽霊みたいに彷徨ってたんだ。
絶対そうだ。
病院について、そのまま入院病棟へと向かう。
佑介の病室を聞き、気持ちを落ち着かせながらドアをノックする。
「……はい」
佑介の、声だ。それだけで心臓が跳ねた。
佑介がいる。佑介が生きている。
私はゆっくりとドアを開ける。
「佑介っ」
駆け寄って、ぎゅっと抱きしめた。初めて感じる温もり、華奢だけど、男らしい骨格、全てが愛おしい。
抱きしめたあと、佑介の顔を覗く。彼はすごく驚いている。その表情は戸惑っているようにも見える。
「佑介?」
「えっと……すみません、どちら様ですか?」
「え? 私のこと、わからない……?」
「すみません……あれ? 僕、記憶喪失とかではないと思うんですけど……どうにもあなたのことは……」
私のこと、覚えていないんだ。意識が離れてた間のことは記憶に残っていないんだ……。
一緒に過ごした時間、全部なかったことになるの? 私のことを好きな佑介はもういないの?
でも、そんなの関係ない。
佑介の頬にそっと触れ、顔を近づけていく。
「え?! あの、すみませんっ」
佑介は私の手を取り、顔を逸らす。
「だめだよ」
「え……?」
「佑介は、私を拒むなんてできない」
「それって、どういう……」
困った表情も変わらない、私の好きな彼だ。
だから、早くまた私を好きになって。
だってどうせ――
「あなたは、私しか愛せないんだから」
だから、これから覚悟してよ。佑介は、私のものなんだから。
一生、死ぬまで。死んでもずっと――。
「はぁ」
「はぁ」
「え……?」
「え……?」
誕生日デートの序盤に振られて、帰り道の信号待ちで盛大なため息をついていると、誰かとその盛大なため息が被った。声のした方を向くと、私より少し年下くらいのイケメンくんと目が合う。
目が合ったと思えばイケメンくんはすごく驚いた顔をする。彼もため息か被ってびっくりしたのだろうか。人生、ため息をつきたくなることもあるよね。わかるよ。私は思わず声をかける。
「なにか、あったんですか?」
「えっと、まあいろいろと大変なことが……」
「そっかぁ。いろいろありますよね。私も今さっき三年付き合った彼氏に振られたんですよ」
どこか親近感が湧いて、初対面の彼に、さっき振られたことを話していた。
「そうなんですか? お姉さん綺麗なのに。彼氏さん、もったいないことしましたね」
「きみは人たらしだね。イケメンだし」
「僕、イケメンですか? 実は僕もこの前振られたばっかりなんです。頼りない顔してそれ以上に中身も頼りないなんてやっていけないって」
「えー! それはひどいね。そのふわふわの髪とか少し垂れた大きい目とか、かっこ可愛いって感じで私はすごく好きだけどな。中身は知らないけど」
「中身は知らないけどって、そこが重要なんですよぉ。でも、嬉しいです。お姉さんは優しいですね。ほんと彼氏さん見る目ないです」
「私もほんとそう思う!」
初対面なのに彼と話していると楽しくて、振られてショックだったのに自然と笑顔になっていた。
気付けばため口になってるし、なんだか心許せる感じがするんだよな。
「ねえ、今からうち来ない? 振られた者同士、飲んで愚痴って発散しようよ」
「家、ですか? 僕はいいんですけど、でも……」
「いいのいいの。私だっていい大人だし、自分の責任は自分でとるから」
ちゃんと理性もある子なんだな。それもまたいい。彼となら本当にただ楽しく飲んで話して過ごせそう。それにやっぱり、誰かにそばにいて欲しい気持ちが大きいんだよね。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「決まりね。そうと決まればお酒とかおつまみとか買って帰ろう。あ、お酒大丈夫?」
暗い気持ちだったのが噓みたいに楽しくなっている。こういう出会いって本当にあるんだな。
でも……なんだかさっきから周りにチラチラ見られている気がする。
おばさんがイケメン連れてるって思われてるのかな? いやでも私そんなにおばさんではないはず。まだ二十七だし。彼はもう少し若いだろうけど。
「ねえ、さっきから見られてるよね。私たちってそんなに不自然――」
あれ? あれ? なんか……彼って……。
「なんで、靴、履いてないの? それになんか、ちょっと……浮いてない……?」
「へへ、気づいちゃった?」
「うそ……」
「たぶん、僕のこと見えてるのお姉さんだけだよ」
「ええーー?!」
◇
「じゃあ、私は一人でニヤニヤ話をしていたイタイやつだったんだ」
「気にするとことそこなの? 亜子さん、僕のこと怖くないの?」
「まあ、出会いが出会いだったし、怖くはないかな?」
彼は、戸田佑介くん。今年大学を卒業した二十三歳の新社会人だった、らしい。数日前に事故に遭い、気づけば事故のあった場所で彷徨っていたそうだ。
「僕って、幽霊なんだよね?」
「いやぁ、私に聞かれても……。死んだ記憶とかないの?」
「トラックが突っ込んでくる、と思ったとこまでは覚えてるんだけど、そこからの記憶がなくて気づいたらあの横断歩道にいたんだ。こんな姿で」
佑介くんは私の部屋で、ローテーブルの前で正座をしている。こう見ると普通に生きている人間だ。よく見るとちょっと浮いているけれど。幽霊は足がないなんて誰が言ったんだ。浮いてるだけじゃない。
「佑介くんはこれからどうするの? 成仏を目指すとか?」
「んー、よくわかんない。成仏しなきゃ、みたいな気持ちも特別湧かないんだよね」
「だったらさ、うちにいなよ」
「え? 亜子さんなに言ってるの? 僕、幽霊だよ? たぶん」
幽霊なんていっても佑介くんはすごく物腰柔らかで、ちゃんと気遣いができる優しい青年だ。
全然怖くなんてないし、イケメンだし、それに一緒にいてすごく落ち着く。まだ出会って数時間だけどそう感じた。
「それがいいんだよ。佑介くんはずっと私のそばにいてよ」
「亜子さんが、それでいいなら……」
そして、幽霊の彼との同棲生活がはじまった――。
「亜子さん、朝だよ。会社遅れるよ」
「んー、佑介ぇもう少し……」
「だめだよ。この前ももう少しって言って朝ごはんも食べずに行ったでしょ」
優しい声に起こされ、眠たい瞼を擦りながら目を開ける。目の前にはふわりと笑う佑介の顔がある。一緒に暮らし始めてからすぐに佑介と呼ぶようになった彼は、毎朝こうやって起こしてくれる。
「おはよぉ」
「亜子さんおはよう」
触れそうなほど近い顔は、毎日見ても飽きないくらい本当にかっこいい。
私の上に乗っているような体勢だが、もちろん重さは感じない。少し寒気がするくらいで真夏の今はむしろ心地良い。
触れることはできないけれど、彼が近くにいるというだけで寂しさが埋まる。
私は体を起こしベッドから出ると、着替えて朝食を作る。
佑介はキッチンで準備をしている私の隣に立つ。
「僕が作ってあげられたらいいのに。ごめんね」
「謝るのは禁止だって言ったでしょ? ご飯、私一人で食べちゃってごめんね」
佑介はご飯なんて食べないし、眠ることもしない。ただただ、ここにいるだけ。申し訳ない気もするが、彼は幽霊なのだから仕方ない。でも、彼はなにもできないことをいつも気にしている。
トーストにバターを塗り、スクランブルエッグとウインナーを焼いただけの簡単なものだけど、朝食を食べないことがほとんどだった私にしたら十分な食事だ。
テーブルに着き、手を合わせてから食べ始める。佑介は向かいに座り、食べている私をじっと見る。
「ねえ、亜子さんは、どうしてこんな僕をそばに置いてくれるの?」
「そばにいてほしいからに決まってるでしょ」
「でも僕、幽霊だよ? 亜子さんになにもしてあげられない」
「そんなことないよ。佑介は誰よりも優しくて、素敵な人だよ」
毎朝優しく起こしてくれるし、仕事で疲れた私をたくさん労わってくれる。他の人に見向きもしないし、周りも佑介を見ない。私だけの佑介。
「亜子さんには、生きてる人のほうがいいと思う……」
「なんで、そんなこと言うの? 私は佑介にそばにいて欲しいって言ってるのに」
時々、こんなやり取りもする。佑介は、本当は私といるのは嫌なのだろうか。私を気遣うふりをして出て行こうとしているのだろうか。
「私、佑介がいないと一人ぼっちになっちゃう。佑介もでしょ?」
「僕がここにいたって、亜子さんは幸せにはなれないよ」
「私の幸せは、私が決めるよ」
『俺では亜子を幸せにできない』元彼に言われた言葉。それは、私を思って言ったことではないとわかっている。私の重すぎる愛に耐えきれなくなったのだ。
いつもそう。
重い、嫉妬しすぎ、しんどい、もうやっていけない……。
そうやって、歴代の彼氏に振られてきた。元彼は三年も付き合ってくれたし、こんな私を受け入れてくれたと思っていたのに、結局振られた。私はただ、ずっと私だけを想ってそばにいてほしいだけなのに。
佑介なら、こんな私のそばにいてくれるんじゃないかと思ったけど、やっぱり私は誰からも――。
「仕事、行ってくる」
「亜子さんっ」
ご飯を食べ、軽く化粧して家を出る。いつもちゃんと行ってきますをするけれど、今日はなんだかそんな気分になれなかった。
そして、そんな気分の日に限って仕事が立て込んでいた。ひたすら数字を打ち込むだけの地味な仕事だが、意外と大変だ。特に今は月末なので、慌てて書類を持ってくる社員も多い。
思わぬ仕事量に、遅くまで残業してしまった。
ぎりぎり終電に間に合い、へとへとになって駅からマンションまでの道を歩く。
「はぁ、疲れたー。今日はもう帰ってすぐ寝よう」
そんな独り言を呟いていたら、誰かに肩をたたかれた。
「えっ?」
振り返ると、こんな真夏なのに、ロングコートを着た小太りのおじさんが居た。
おじさんはなぜか息が荒い。
これ、やばいやつだ。逃げないと。
そう思っているのに、どうしてか足は動かない。
おじさんはコートのボタンに手をかける。はあはあ言いながら上から一つずつボタンを外す。
なにやってるの私! 早く逃げなさいよ! 早く!
心の中の私が叫ぶけれど、足は一向に動いてくれない。私はぎゅっと目をつむる。
その時、冷たくて、心地良い何かに包まれた。
「う、うわあああああああ」
そして叫び声が聞こえ目を開けると、コートを靡かせ去っていくおじさんの後ろ姿があった。
「亜子さんっ」
「佑、介……」
「こんな遅くまでなにしてたの。すっごい心配した。心配して探しにきたら本当に危ない目にあってて心臓止まるかと思った」
「心臓は、もう止まってるでしょ」
「そういう冗談は今はいいよ」
「ごめん……助けてくれてありがとう」
ぎゅっと抱きしめられて、なんてことはない。抱きしめる、なんてこともできない。それでも優しく包み込まれるようなその感覚は、今まで感じたことのないくらい温かいものだった。
帰ってシャワーを浴びたあと、二人で向かい合いベッドに入る。ひんやりとした佑介の体が気持ちいい。
「あのおじさん、佑介のこと見えてたのかな?」
「ちゃんとは見えてないと思うよ。ただ、亜子さんにまとわりつく黒くて禍々しいものは見えたんじゃないかな」
「そうなんだ。こんなに可愛いらしくて綺麗な顔してるのにね」
「僕は、綺麗なんかじゃないよ。亜子さんのほうがよっぽど綺麗だ」
佑介は、優しいだけじゃなくて、こうやって甘い言葉をくれる。すっぴんで、寝間着で、髪もぼさぼさなのに、どんな私も綺麗だと言ってくれる。
私はもう、佑介の存在がないと生きていけないと思うほどに依存している。
「佑介はさ、私になにもしてあげられないって言うけど、そんなことないよ。いつも佑介の存在に癒されてるし、楽しませてもらってる。それに、今日だって助けてくれた。守ってくれた。頼りないなんて誰が言ったの。こんなにかっこよくて頼もしいのに」
「亜子さん……」
「私、佑介のこと好きだよ。佑介は、私のこと嫌い?」
「嫌いなわけないよ。事故に遭って、現実を受け入れられずに彷徨っている僕を亜子さんは救ってくれたんだ。こんな僕にそばにいて欲しいって言ってくれて、好きだって言ってくれる。僕も亜子さんが好きだよ」
救われた、なんて言われたのは初めてだった。嬉しかった。こんな私のことをそんなふうに思ってくれる人がいることが。幽霊だなんて関係ない。生きていたって、そうじゃなくたって、私は佑介が好きだ。
「ずっと、私のそばにいてくれる?」
「亜子さんが望むのなら」
「私は年とって、よぼよぼになっちゃうけど、若い子のところに行ったらだめだよ。佑介、幽霊だけど顔はいいんだから」
「行くわけないでしょ。そもそも誰も僕のことなんて見えないから。こんな僕を愛してくれるのも、こんな僕が愛せるのも、この先ずっと亜子さんだけだよ」
「死ぬまで一緒にいてね」
「死んでも一緒にいられるよ」
「それ、最高だね」
顔を見合わせ笑い合う。
触れられない頬にそっと触れ、重ならない唇をゆっくりと重ねた――。
それからも、変わらない日々が続いた。
毎朝佑介に起こされ、仕事に行く。休みの日はデートにも行った。映画を観たり、水族館に行ったり。周りに変な目で見られないように会話は少なめだけど、一緒にいるだけで楽しかった。
佑介がそばにいて、たくさん話しをして、たくさん笑い合う。時には気持ちを伝え合い、時には喧嘩もする。そして佑介はいつも、僕を見捨てないでと言う。見捨てるわけないのに。私には佑介しかいないのに。
触れられなくても、一緒にご飯が食べられなくても、同じ時間を過ごして、同じ景色を見ることができる。
そばにいて、私を好きだと言ってくれる。それだけで幸せだった。
でも、最近佑介の様子が少しおかしい。
ボーっとすることが増えたし、体がムズムズすると言う。
今日は、そのムズムズが一段と強いみたいだ。
仕事が休みなのでどこかに行こうと話していたけど、家で大人しくしていることにした。
「佑介、大丈夫?」
「うん、嫌な感じではないんだ。でもなんか、今まで感じなかったものが、感じるというか、引っ張られる感じがするというか……」
感じなかったものが、感じる。それがよくわからなかった。幽霊だから、感覚なんてものはなかったはずなのに、どうしてだろう。
不思議に思っていると、ふと、佑介の足が消えかかっていることに気づいた。
まるで、絵に描いたような足のない幽霊。
「佑介、足が……」
「あ……」
自分でも気づいていなかったようで、ひどく驚いた顔をしている。そして、そうしている間にも、どんどん足は消えていき、もう腰辺りくらいまで見えなくなっていた。
「え? 待って、どういうこと? このまま消えたりしないよね?!」
「わ、かんない……。もしかして僕、成仏するのかな?」
「嫌だよ、ずっと一緒にいるって言ったじゃない。死んでも一緒だって」
「僕も、亜子さんとずっと一緒にいたかった。でも、なんでだろう。幸せ、過ぎたのかな。だから、成仏するのかも……」
佑介は、どんどんどんどん消えていく。もう、胸元くらまでしか見えなくなり、私の視界も滲んでくる。彼は、そんな私を悲しそうな表情で見つめる。
「待って、行かないで、いやだよ」
「亜子さん、ごめんね。約束、守れなくて。いつも頑張ってて、寂しがり屋で、重いくらいの愛をくれる亜子さんのこと、僕は好きだよ。ずっと、愛して――」
佑介は消えた。あっけなく消えた。まさか、こんなふうにいなくなるなんて思っていなかった。一生、私のそばにいてくれるのは佑介だけだと思ってた。
「佑介ぇ……。うぅ、ひっく……」
こんなの、ないよ。ひどいよ。
どうすることもできな私はただそこにへたり込んで涙を流すしかなかった。
しばらくの間、動けずにいたけれど、ふと思った。
佑介は本当に成仏したの?
幽霊なんて、見えたり見えなかったりするし、また、どこかで彷徨っているなんてこともあるかもしれない。でもどこに?
そうだ、お墓とか……。
佑介が事故に遭ったという日から半年が経っている。四十九日も終わっているし、お墓があるはず。
一度、気にならないの? と聞いたとき、気にならないと言っていた。
私も、佑介の家族のことや生前の話をして、ここからいなくなってしまうことが怖かったから話題には出さないようにしていた。だから佑介のことは名前と年齢しか知らなかった。
スマホを取り『戸田佑介』で調べてみる。
何も投稿されてないSNSがあっただけで、情報はなにもない。
住んでいる場所も、家族も、フレンドさえいない。登録だけして一切使っていないタイプか。
次に事故のことについて調べる。
『X月XX日 中町三丁目 交通事故――』
――あった。
「X月XX日夕方頃、中町三丁目の交差点で居眠り運転のトラックが歩道に乗り上げ二十代男性をはねたのち、電柱にぶつかるという事故が起こった。トラックの運転手は死亡、はねられた二十代男性は意識不明の重体で病院へ運ばれた……」
それ以上の情報はなかった。意識不明の重体……。もし、亡くなっていればその後死亡が確認された、とかの記事がでているはず。佑介は、まだ死んでない? もしかして……。
私は事故現場から近い、大きな病院を調べた。救急車で運ばれるとしたら、きっとこの病院だ。
目星を付けた総合病院に電話をかける。
「はい、中町総合病院受付窓口です」
「あの私、半年前交通事故で運ばれた戸田佑介の――」
窓口で佑介のことを聞き、担当科に内線が繋がれ、最終的に病棟の看護師さんから話を聞いた。
――――ああ、やっぱり! 私の予想が確信に変わる。
私は病院までの道を走る。
走っているからなのか、佑介のことを想ってなのか、心臓が、苦しい。それでも走る。
『戸田佑介さんは今朝意識が回復されました』
きっと佑介は意識だけが体から離れて、それで幽霊みたいに彷徨ってたんだ。
絶対そうだ。
病院について、そのまま入院病棟へと向かう。
佑介の病室を聞き、気持ちを落ち着かせながらドアをノックする。
「……はい」
佑介の、声だ。それだけで心臓が跳ねた。
佑介がいる。佑介が生きている。
私はゆっくりとドアを開ける。
「佑介っ」
駆け寄って、ぎゅっと抱きしめた。初めて感じる温もり、華奢だけど、男らしい骨格、全てが愛おしい。
抱きしめたあと、佑介の顔を覗く。彼はすごく驚いている。その表情は戸惑っているようにも見える。
「佑介?」
「えっと……すみません、どちら様ですか?」
「え? 私のこと、わからない……?」
「すみません……あれ? 僕、記憶喪失とかではないと思うんですけど……どうにもあなたのことは……」
私のこと、覚えていないんだ。意識が離れてた間のことは記憶に残っていないんだ……。
一緒に過ごした時間、全部なかったことになるの? 私のことを好きな佑介はもういないの?
でも、そんなの関係ない。
佑介の頬にそっと触れ、顔を近づけていく。
「え?! あの、すみませんっ」
佑介は私の手を取り、顔を逸らす。
「だめだよ」
「え……?」
「佑介は、私を拒むなんてできない」
「それって、どういう……」
困った表情も変わらない、私の好きな彼だ。
だから、早くまた私を好きになって。
だってどうせ――
「あなたは、私しか愛せないんだから」
だから、これから覚悟してよ。佑介は、私のものなんだから。
一生、死ぬまで。死んでもずっと――。


