平民聖女は田舎でのんびり暮らしたい~大聖女も王妃もお断りしたいのに、溺愛が待っていました~
1話
ルスリア大聖堂に向かって、純白のドレスを着たアリアは進む。
彼女をエスコートしているのは、夫となるリドだ。
さらりと揺れる銀髪、涼やかな目元、清潔感のある佇まい、そしてシトラスの香り。
王都の女性たちの憧れの彼が、今日アリアの夫となる。
聖堂に向かう二人に周囲から無遠慮な雑音が聞こえてくる。
それはすべてアリアに対する批判の声だ。
「平民のくせに、どのような手を使って紛れ込んだのかしら」
「どうせ、偽物でしょう」
「リド様とあんな女が……」
「いくら着飾っても田舎者の匂いは消えないと思うけど」
「今日の結婚式って本当なの……?」
アリアは夫となるリドを見上げた。
「声が気になりますか?」
アイスブルーの瞳がアリアをじっと見つめた。
アリアは意志の強い瞳を返す。
「気にならないわ。言いたい人には言わせておけばいい。それに田舎者の元平民というのは事実だもの」
「そうですか」
「私たちの関係は、ただの役目なんでしょう?」
「ええ。私と貴女はルスリア王国の王と大聖女という役目を賜るに過ぎません」
「そうね。一年よろしくね、旦那様」
アリアは微笑むと、足を進める。
彼らの結婚はつい一週間前に決まったばかり。二人にとって不本意な形で。
**
婚約の打診を受けた時、アリアは文字通り泥まみれだった。
「~♪ ~♪」
アリアは適当に作った鼻歌を歌いながら畑の野菜に水をやっていた。心を込めて歌うと美味しく育つのよという亡き母の口癖を忠実に守っているからだ。
「おい、待てって!」
幼馴染のヨシュアの声が聞こえたかと思うと――
「わっ」
「バウバウッ!」
ヨシュアの家の大型犬が思い切りアリアにタックルをしてきたのだ。アリアはそれを受け止めながら畑に転がる。
「うわ、ごめんアリア」
「いいよいいよ、遊んでほしかったんだよね」
アリアの腕の中の犬は喜び、手足を動かすから服は一層ドロドロになった。
馬の鳴き声がして、アリアとヨシュアが声の方を向くと、田舎では見ることもない立派な馬が二匹。
そして馬上には身なりのいい騎士。一人の騎士が馬を降りると、二人に地図を見せながら話しかける。
「すみません、こちらの家をご存知ですか?」
「ここならすぐそこですよ……って、これ私の家だわ」
「貴女の? お宅にアリア様という方はいらっしゃいますか?」
「この町でアリアなら、私ですが……」
「あなたが、アリア様……!?」
アリアが軽く答えると、真面目そうな中年の騎士は目を丸くしてアリアをまじまじと見た。
白に近い金髪をひとまとめに結い上げた少女は活発な印象だが、この日の下で不思議と肌は白い。キラキラとした生命感溢れる緑の瞳と猫のように口角の上がった口が印象的だ。シャツにパンツを合わせた服装は土でドロドロで元の色はわからない。
彼らの無遠慮な視線に気づいたヨシュアは、アリアをかばうように前に立つ。
「こいつに何か用か?」
「ヨシュア、失礼よ」
「お前はちょっと警戒しろよ」
アリアの前に立つヨシュアに、もう一人の騎士も馬から降り二人の前で跪く。田舎道ではどう考えても異様な光景にアリアとヨシュアは固まった。
「アリア、お前本当に何したんだよ」
「わ、私だってわからないわ! あの……すみません、これは一体」
「アリア姫をお迎えに参りました」
「はあ……」
アリアとヨシュアは何がなんだかわからないまま、気の抜けた言葉を発しながら彼らを見やる。彼らの着こなす騎士の制服はどうみても上等なもので、胸に輝く紋章は王家の物だ。
「何の騒ぎ……?」
アリアの祖母が小さな家から出てきた。そして二人に跪く騎士を発見して目を丸くする。
「ええ……? 立ち話もなんだし、入ってもらったら?」
**
小さな家のテーブルに、体格のいい騎士が二人並んで座っていると部屋は途端に狭く感じる。
彼らの正面にはアリアと、「俺も話を聞いてやるよ」とヨシュアも座った。アリアの祖母・ハンナがのんびりとお茶を出す。年長の騎士はお茶を一口飲むと話を切り出した。
「早速本題に入らせていただきます。私はルスリア国王から命を受け、貴女をお迎えにあがりました。ルスリア国王位継承順位一位はアリア様でございます。王都にお戻りいただけないでしょうか」
アリアはすぐに返事をすることが出来なかった。
返事が出来なかったというよりも、何を言われているのか意味が分からず、単語一つ一つの意味を考えていたからだ。
「えーと、今なんかこいつが王族みたいなこと言いました?」
「ええ、その通りです。アリア様は現国王妃の弟・ノーブス様のご息女でございます」
「はあ!?」
「お父さんが!?」
確かにアリアの亡くなった父はノーブスという名前だが、王弟というのはにわかには信じられない。
「まあ。ノーブスってそうだったの」
ハンナは笑いながら、机の上に手作りクッキーを置いた。
「よかったら召し上がってくださいね」
「おばあちゃん、どういうこと?」
「あなたのお父さん、王族だったみたいねえ」
「だったみたいねえ、って知らなかったの?」
「どこかのお貴族様ってことは知っていたけどね」
それはアリアも知っている。街で歌姫として有名だった母に貴族である父が一目惚れ。貴族という地位を捨てて駆け落ちをした。それは何度も母がアリアに語ってくれた物語だった。
しかしその父が王妃の弟だった……? アリアは十七年前にこの町で生まれて、普通に、ほんとうにごく普通に田舎の人間を生きてきたのだ。父だってそうだ。亡くなるまでずっと田舎の人間をやっていたのだから。
アリアが国王妃の姪で、王族。理解しようとしても全く頭に入らず目を瞬かせることしか出来ない。
「アリア、そうなのか?」
「いや、知らないよ。今初めて知ったもの」
「それもそうだよな、ははは。もし本当ならこんなところにずっと住んでるわけないよな」
王都までは一週間はかかる。そこに縁があるどころか、アリアは一度も行ったこともない。
二人は現実味のない話に笑ってしまうが、騎士は真剣な表情で続ける。
「実はアリア様の存在はひと月前まで知られておりませんでした。ですが貴女が王族であり、特別な聖魔法を使える唯一の女性だということがわかり、この度お迎えにあがった次第です」
「待ってください。ここでの生活に困ってるわけでもありませんから。迎えに来ていただかなくても」
「そういうわけにはいかないのです。最初に申し上げた通り、貴女は王位継承順位が一位なのですから」
「えっ、でもこの国って王子いましたよね? なぜ私が第一位?」
「失礼ですが、アリア様はこの国の継承順位についてご存じでしょうか」
「いえ全く」
騎士は顔を見合わせる。そこからなのか、とも言いたげな表情だ。しかし田舎の平民にとっては王位継承権などまったく縁のないだ。……つい数分前までは。
真面目そうな騎士が語るには、
ルスリア王国は神の加護によって守られている国。加護を受けるためにルスリア王家を継ぐのは、男子ではなく特別な聖魔法を持つ女子である。
女子がルスリアの名を継ぎ、大聖女に就任する。そして他家から婿を取り、その者が王となる。
王を血筋ではなく有能なものから選ぶこの方法は、国を豊かに発展させたらしい。
現国王夫婦には息子が二人。女子には恵まれなかった。直系以外にも特別な聖魔法を扱える女子はおらず、ルスリア王家の血を継ぎ、なおかつ特別な聖魔法を使えるものはアリアしかいないということだった。
「だけど私が見つかったのはひと月前なのですよね。それまではどうされる予定だったんですか?」
「王子が継ぐことになっていました。彼を国王とし、聖魔法を持つご令嬢と婚姻を結ぶ予定でした」
「なんだ。それならその方がいいんじゃないでしょうか。見てもらってわかる通り、私王族とかいう柄じゃないんです」
アリアは自分の服を見下ろした。こんなドロドロ土まみれ田舎娘が、王妃として務まるわけがないだろうと。
「いえ、アリア様が見つかったのであればその選択肢以外は今ありません。ルスリア王国を守るために大聖女が必要なのです。元々は王子と聖魔法を持つご令嬢が子を成し、女子が生まれるまで待つつもりだったのです。しかし現大聖女である国王妃の体調が優れず……猶予がなくなったのです。王妃以外で聖女の資格があるのはアリア様だけです。アリア様を迎えることは王命です」
「なんだよそれ。拒否権はないってことか?」
ヨシュアが睨むと、騎士は静かに頷き王家の印が入った書類を見せた。
「だけど私、特別な聖魔法なんて使えません。たいして魔法も得意でないですし」
「アリア様、あなたは生まれた時に石を持っていませんでしたか?」
「え……」
反射的にアリアは首から下げたエメラルドのペンダントをぎゅっと握った。アリアの瞳と同じ色をしたその石は彼女が生まれた時にその手に握っていた不思議なもので、肌身離さずつけるように母がペンダントにしてくれたものだ。
「今、王都や各国では夢鬼と呼ばれる現象に困っています。詳細は改めて説明するとして、とにかく人々の生活が脅かされているのです。それは大聖女の力が弱まっているからなのですが、この街周辺では一つも夢鬼の報告がない」
「……私何もしてないですけど」
「しかし事実です」
王命なのであれば、拒否することは出来ない。王命に背いてこの街から逃げたらハンナやヨシュア、この街の人々がどうなるかわからない。自分が特別な聖魔法を使えるかは未だ疑問だが、自分がこの街から去ってしまえば、彼らに悪い影響がくるかもしれない。アリアはそう考えて、ペンダントをもう一度握った。
「それで私は王都に行って何をすればいいのですか」
「アリア……!」
切羽詰まった表情でヨシュアが叫んだ。アリアが覚悟を決めたことを察したのだ。
「アリア様は大聖女となってもらいます。王都に到着すれば、まずクレストン家のリド様と婚約していただきます」
***
「アリア、早まるなよ! あれは詐欺みたいなもんだろ、真に受けるな。お前どこかに売り払われるんじゃないか?」
騎士二人が家から出ていった瞬間に、ヨシュアが叫んだ。
「……おばあちゃん、私って特別な聖魔法を持っているの?」
落ち着いた声でアリアが訊ねると、ハンナは小さく頷いた。
「それが特別だということは知らなかったけど、そうだったんだろうね」
「どういうこと?」
「アリアの歌だよ」
ハンナは騎士たちが座っていた場所に座ると、穏やかな瞳を向ける。
「お母さん――アンナは少しだけ聖魔法を使えて、少しだけ癒しの効果があった。だから街の劇場で歌姫をしていたんだ」
「エンターテイナーだったわけでなく?」
「それもあるけど、人々を癒すためでもあった。今思えばノーブスも聖魔法を持っていたんだろうね。私がケガをしたときに何度か癒してくれたことがある」
アンナは繰り返しアリアに歌の楽しさを伝えてくれた。いつでも歌っているように、あなたの歌は人を救うから、と。それは特別な聖魔法だったのだろうか。聞きたくとも母はこの世にはいない。
「アリアが歌を日頃歌っていたことが、この街を守っていたのかもしれない」
「ほんとかよ」
「この石には何か意味があるのかしら」
アリアはエメラルドの石をランプにかざしてみる。反射してきらめくそれは、ずっと宝物だと思って肌身離さないでいたペンダント。
「さっきの騎士様の話だと何か意味はあるんだろうね」
「ばあちゃんもだよ! なんでアリアを止めないんだ」
「ヨシュア心配してくれてありがとう! でもこの街が好きだから行かなくちゃ」
「好きなら、なんで」
「王妃の力が薄れて加護がなくなれば、この街にも被害が及ぶかもしれない。私に力があるのなら、守りたい。正しい方法を知らないから。学びにいくつもりでいきたいの」
アリアの意志は固かった。
そして、アリアが決めたのならその考えが揺るがないことをヨシュアはよく知っていた。
「お父さんのことも知りたいし! それに騎士様も言ってたでしょ、一年って」
騎士は言った。一年だけ、助けてほしいと。
今の大聖女である王妃は病に倒れた。その病を取り除けるとすれば、アリアしかいないのだと言う。
神の加護を受けるためには一度王妃にならなくてはならない。婿を取り国のトップだと神に認められれば大聖女となることができる。
アリアが一度大聖女に成り代わり、王妃が回復すればアリアはお役御免となる。当初の予定通り、王子が継承順位一位となる。
つまりアリアは一年だけの大聖女代理に過ぎない。
「それはお前を王都に連れ出すためだけの理由じゃないか? 王妃が回復したところで、そのままお前が大聖女のままかもしれない。それに王子に女子が生まれなかったらどうするんだよ」
「……でも王妃様が体調悪いのは本当でしょう」
「だけどアリア、お前……結婚することになるんだぞ。お前いつも言ってただろ、恋愛に憧れるって」
「神の加護を受けるための偽装結婚よ。それに夫となる方と幸せな恋が出来るかもしれないわ」
キラキラした瞳で思いをはせるアリアを見て、ヨシュアはため息をつく。
「残念だったね」ハンナが同情しながらヨシュアの肩を叩くと
「まあ都会の人間にアリアみたいな田舎娘、相手にされるわけない」
いまだ全身泥だらけのアリアを見て、ヨシュアは笑った。
**
話というのはとんとん拍子に進んでいく。騎士が訪れた翌々日には、アリアはこの街を出ることになった。
「アリア、王都での歌姫に選ばれるなんて!」
「あんたの歌はすごいと思っていたけど、まさか」
「いつでも帰っておいでよ! ほら、これ道中で食べな」
一年経てばこの街に戻ってくる、そう考えたアリアは王都に出稼ぎに行く設定にしておいた。王妃として公の場に出ることがあったとしても、それがアリアだなんて誰も思わないだろう。
街の広場で、餞別を受け取りながらアリアは微笑んだ。
「出発する前に一曲歌ってもいい?」
「もちろん!」
「もう歌が聞けなくなるなんて寂しいね」
アリアは広場で歌い始めた。賑やかだった広場が静まり返り、その歌声を受け止める。
軽やかに踊るように、弾むように。彼女のソプラノが響き渡る。
(どうかこの歌が、しばらくこの街を守ってくれますように)
アリアはぎゅっとペンダントを握りしめた。
歌い終わると、アリアはハンナとヨシュアのもとに駆け寄った。
「おばあちゃん、ヨシュア、行ってくるね」
「一年後、離縁されたアリアを嫁にする奇特なやつなんていないだろ。その時は仕方ないから俺がもらってやるよ」
「案外幸せな夫婦になれるかもしれないわ」
「単なる契約で本当の結婚じゃないんだろ。貴族がお前を相手にするわけなんてない」
いつものように軽い喧嘩になるのをハンナが引きはがし、アリアに小袋を渡した。白い花が刺繍された可憐なものだ。
「ペンダントを外すときになくさないように。ほら、アリアはいつもそこらへんに放っているでしょ。大切なものなんだから、これからはここに」
「わあ、ありがとう。おばあちゃん昨日夜遅くまで起きてると思ったら、縫ってくれていたのね。ありがとう、大好き。元気でいてね」
アリアはすっかり小さくなったハンナの身体を抱きしめた。両親が亡くなってからずっと二人で過ごしてきた。
「アリアも。――それからヨシュアも。素直に見送ってあげなさい」
ハンナが優しい目を向けると、ヨシュアは頬をかきながら「風邪ひくなよ」とぽつりと言った。
「ヨシュアもね! では、いってきます!」
ハンナが刺繍してくれたお気に入りのワンピースに麦わら帽子。どこにでもいるこの女の子が王妃になるべく、王都に向かうなんて誰が思うのだろう。
ごくごく普通の田舎娘を乗せて、馬車は出発した。
「いつのまに馬車を用意していたんですか」
「初日から連れてきていたんですよ」
アリアに説明をしてくれていた中年の騎士はアーサーと名乗った。
「ところで私気になっていることがあるんです。私の婚約者のリド様ってどんな方かしら?」
「リド様はアリア様の一つ上の年齢で、現宰相のご子息です。クレストン公爵家といえば、王都では知らない方はいないでしょうね」
アリアはげんなりした表情を浮かべる。
「こんな田舎の平民の私のことを受け入れてくれるかしら」
「リド様は聡明で公平な方ですから大丈夫でしょう」
「まさかここまで平民だとは思ってなさそうだけど」
「リド様はお家柄関係なくご令嬢からも大変人気のある方ですよ。眉目秀麗で清潔感があり優秀な方でいらっしゃいますから。氷の貴公子なんて呼ばれていますね」
「氷の貴公子……」
アリアの眉間の皺がさらに深くなる。
「それってつまりクールな感じですか? 氷の貴公子よりもお日様の匂いがする人がいいのに」
「まあ……冷たいというか、なんと言いますか。リド様はあまりご令嬢や華やかなことには興味はなく……とにかく真面目な方なのですよ」
「う、私と気が合わなさそう」
アリアがそう返せば、アーサーも曖昧に笑うだけだった。
そしてもちろんアリアの予想は的中するのだった。
**
「うわあ……! これが王都!」
一週間の長旅を終えて、馬車は城下町に入った。建物が立ち並び、色んな店が目に入る。アリアの住んでいた街ではここまで建物は密集していなかったし、家の材質も異なる気がする。歩いている人々も比にならないほど多い。
「でもそこまで不安になることはなさそうね」
皆が着飾っているわけではない。何よりも城下町郡は活気に満ち溢れていてエネルギッシュな雰囲気でアリアの心を弾ませた。
「この辺りは平民も多く暮らすエリアですから」
アーサーの視線の先には大きな門があった。
「もしかしてここからは?」
「貴族が多く住まうエリアになります」
門をくぐると、密集していた城下町と異なり一軒一軒が大きく離れている。どこの屋敷も大きな門と庭があり、馬車が通る道も丁寧に舗装されている。
「みなさまご自身の領地もお持ちですが、王都にも屋敷を持たれている方が多いですね。家格が上な家ほど奥にあり、クレストン家もこの先にあります」
「では私の住む場所も」
「いえ、アリア様はクレストン家に嫁ぐわけではありませんから……」
アーサーが目線を向けた先をアリアも覗いた。メインストリートの先に大きくそびえたつものが目に入る。王城だ。
立派な城門を通り、その全容が見えるとあまりの大きさにアリアは言葉も忘れて目を見開いた。
「すごい……全然現実味はないけど……」
「これからはここが現実になります。アリア様のご自宅はここですよ」
優しく微笑むアーサーが詐欺師に見えてきたアリアはこめかみを抑えた。
「国王にご挨拶の許可を得るには少し時間がかかりますから。まずはリド様と面会しましょう」
さすがのアリアもそれには緊張して息を吐いた。
一年間の契約結婚とはいえ、夫となる人だ。
(ひと目見た瞬間にこの人だ……!って運命を感じるかもしれない。恋が芽生えて本当に愛し合える夫婦になれるかもしれない。)
そんな田舎の純粋な乙女の憧れは三十分後にすぐに打ち砕かれることになる。
***
アーサーに連れられてやってきたのは、王城の煌びやかな一室だ。田舎では一度も見たことのないような高価な調度品が並んだ部屋には、アリアをもてなすためにお茶の用意がしてある。
「わ、これ食べてもいいんですか……」
並べられた焼き菓子を見てアリアの胸が高鳴るのは仕方ないだろう。目を輝かせたアリアを見てアーサーは微笑ましく頷く。
アリアが嬉しそうな顔を浮かべたところで、部屋の扉が開かれ青年が入ってきた。
すらりとした体躯に、美しい銀髪が美しい。整った鼻梁にアイスブルーの瞳。
颯爽と歩く彼の姿は清廉で、アリアは目を奪われた。冷ややかな雰囲気を纏いながらも美しいその姿は氷の貴公子と呼ばれるリドだとすぐにわかった。
「失礼します。アリア姫がいらっしゃると伺いました」
「リド様、こちらがアリア姫です」
「はじめまして。アリアです」
アリアがワンピースの裾を少々つまんで礼をすると、リドもアリアに目を向けた。
「クレストン家の長男、リドと申します。これからよろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
表情がまったく変わらないリドに、アリアは笑いかけてみるが
「それでは失礼します」
リドはきちんと礼をすると部屋を出て行こうとした。
「あの、すみません」
「はい」
「せっかくお茶の用意をしてくれたんだし、お話しませんか? 私たち夫婦になるのだから。あなたのことを知らないし、知りたいわ」
「いえ、私はこの後も予定がありますから」
冷たく返され、アリアはひるみそうになる。
「お互いのことを知っていたほうがいいと思います」
リドは足を止めて、アリアに向かい合った。
「……必要ありません。この婚姻は国の決定です。二人でいる間は夫婦でいる必要も愛し合う必要もありません。
私は国王として、貴女は大聖女として。国のために、役目を共に果たしましょう」
リドは握手を求めるべく、彼女に手を差し出した。
恋愛としての甘いものではない。共に国をつくる仲間として、だ。
「わかりました。一年間よろしくお願いしますね」
アリアは感情を押し込めて、その手を取った。
「それでは」
リドは丁寧に礼をすると、リドは扉に向かって進んでいく。部屋の隅で控えていたアーサーに目を向けると、
「なぜ彼女はドレスを着ていないのですか?」と訊ねる。
「リド様との面会のお時間に間に合わず、失礼しました」
「それではすぐに着替えた方がいい。王妃となる女性が平服で城を出歩くのはどうかと思いますよ」
「失礼いたしました」
「教育係の手配は済んでいますか?」
「はい」
「よろしくお願いします」
言いたいことだけ言うと、リドは部屋を出て行った。
「氷の貴公子ってこういうことね」
アリアはため息をつくと、ふかふかのソファに腰掛けた。
「お忙しい方ですから」
「なるほど。私の旦那様は、まったく交流を結ぶ気はなさそうね?」
夫となる人と素敵な関係になれれば……と思っていたが、どう考えても無理そうだ。
(相手がそうなら私も割り切るしかないわ。
大聖女として加護を得るための契約結婚だもの。一年、勉強をして、街を守れるようになったら帰ろう)
アリアは目の前にある焼き菓子を皿に取る。
それから、不安げな顔でアーサーを見上げた。
「アーサー。こうやってお菓子を取るのも、何かマナーがあったりするのかしら?」
「……これから学んでいけばよいのです」
一口食べて、甘いお菓子が喉につまる。
きっと今から窮屈な日々が始まる。
アリアはリドの冷たい目線を思い出した。
何もわからないままここにやってきた。平民である自分を歓迎しない人は多いだろう。
懐かしい田舎を思い出しながら、胸のペンダントぎゅっと握る。
(国を守るなんて大それたことはピンとこない。けれど、街のみんなを助けたい気持ちは本当だわ)
「アリア様。長時間の移動でお疲れでしょう。ここでしばらくお休みください。休まれましたら、衣装室にご案内します」
「もう大丈夫です。案内してくれますか」
アリアは立ち上がった。お菓子には後ろ髪を引かれるが、先ほどのリドの言葉にも一理あると思ったのだ。
アーサーが部屋の扉を開き、アリアが続くと。
部屋の前に四名の令嬢が立っていた。
皆煌びやかなドレスに身を包み、全員がアリアを値踏みするように全身を見る。
「まあ、噂は本当でしたのね」
先頭に立っている赤髪の少女が扇子で口元を隠しながらくすりと笑う。
そして後ろに控えている三名も、くすくすと笑っている。
(あきらかに見下されているわ)
田舎では一度も受けたことのない視線にアリアは身構える。
「私はブレアナ・オーズリーと申します。よろしくお願いしますわ」
にこりと微笑まれるが、好意的ではない。
「アリアと申します」
「まあ、どこの家の方でもないというのは本当でしたのね」
苗字を名乗らないアリアに、取り巻きの令嬢が驚いた顔を見せる。
「アリア様に失礼ですよ」
「アーサー。誰にものを言っているの?」
ブレアナが眉をひそめると、アーサーは口を閉じる。
「私も王家に名を連ねる予定ですので、仲良くしてくださいね。では、また会いましょう」
ブレアナが言うと、他の三名はまた笑みを浮かべる。
立ち去ろうとして、ダリアはくるりと振り向いた。
「ああ、アーサー。その布切れを早くなんとかしてさしあげなさい。田舎から来られたので無理もないと思いますけれど、大変恥ずかしい恰好だということを教えてさしあげてね」
ブレアナの言葉に、こらえきれないといったように他の令嬢が笑う。
「失礼しました」
アーサーが深々と頭を下げるのを見て、四人は満足げに笑って去って行った。
アーサーはアリアにも深々と頭を下げる。
「アリア様、大変申し訳ございません。私の気が回らないばかりに、貴女様に恥をかかせてしまいました」
「気にしないで。リド様との時間の都合もあったのでしょう?」
「ですが……」
「ドレスは窮屈そうだもの。きっとお菓子はひとつも食べられなかったわ。ありがとう」
アリアが笑顔を作ると、アーサーは再度頭をさげた。
「私の一番のお気に入りのワンピースなのに、良さがわからないなんて」
「本当に申し訳ございません」
「私は別に何も言われてもいいんだけど。リドやあなたが悪く思われるのは嫌だし、マナーを教えてもらえると助かるわ。私は何も知らないの、ごめんね。
――ところで、あの嫌味な方は何者なの? 王家とか聞こえたけど、私の親戚になる方?」
「はい。今後アリア様に関する人については、改めてご説明いたしますが……あの方は、オーズリー公爵家のブレアナ様です」
衣装室に向かって歩き出しながら、アーサーはブレアナについて教えてくれた。
「第一王子であるアルジャー様の婚約者です」
「王妃様が病に倒れなければ、あの方が王妃になっていたの?」
「そうなりますね。ブレアナ様が女子を産み、その子が大聖女となる予定だったのです」
「なるほど。それで余裕がないんだ」
ブレアナからすれば、アリアの存在はおもしろくないに違いない。
未来の自分の娘が大聖女となるはずだったが、アリアが現れたのだから。
「王家は複雑でよくわからないんですけど、例えば私とリド様が女子を産んだらどうなるの?」
「その方が次の大聖女になる可能性もあるでしょうね」
「ふうん」
継承権争いになるのだから、ブレアナにとっては大きな問題だろう。
「まあ、私とリド様に子が生まれることはないと思うけどね」
アーサーは苦笑いするだけで、何も言わなかった。
衣装室で出迎えてくれたのはミサという侍女だった。
年齢はアリアより十は上に見える。
「アリア様、私は今後もあなたの騎士として仕えます。
しかしながら、私は気をあまり遣えないので……」
「初めまして、アリア様。私はミサと申します。長時間お疲れだったでしょう」
ミサが優しく手を取ってくれる。
「ご不安なこともあるかと思いますが、なんでもおっしゃってくださいね」
継承権争いなど関係ないわ。と思っていたアリアだったが、あたたかい心に触れると涙が出そうだ。
「ありがとうございます」
「そうですよね。アリア様はまだ十七歳。大丈夫ですよ。貴女様はきっと、この国を守る大聖女となります」
初めての王都。何も知らない貴族のマナー。愛のない夫。敵意剥き出しのご令嬢たち。
気丈に振る舞っていたが、突然のことに巻き込まれて不安がないわけないのだ。
アリアは涙が出てきそうになるのを堪えて笑って見せた。
「私とミサはアリア様の一番近くにいさせてくださいね」
「うん、ごめんね。こんな弱いところを見せて。大丈夫。私、一年間お役目、全うします」
アリアはペンダントをぎゅっと握りしめた。
(お父さん、お母さん。私がんばるね。)


