身代わり婚~光を失った騎士団長は、令嬢へ愛を捧げる

レオンの事情

 騎士団本部から屋敷に戻ると、マリアンヌをベッドへ寝かせる。
 馬車で揺られる内に眠ってしまったのだ。

(レオン様がアップルパイを気に入ってくれて良かったわ)

 美味しそうに食べてくれる姿を思い返すと、自然と口元がほころぶ。

「ふぁ……」

 思わず欠伸がこぼれる。
 今日はアップルパイを焼くのに朝早く起きたということもあり、朝が早かった。
 十分だけ――そう思って、マリアンヌが眠るベッドによりかかるように目を閉じる。
 目覚めたのは、雷の音だった。

「っ!」

 マリアは飛び起きれば、タオルケットが落ちる。
 外が一瞬ピカ、と真昼のように明るくなる。
 雷だけでなく、雨が窓を叩く音が、マリアは苦手だった。

(マリアンヌちゃん!)

 ベッドをのぞくが、マリアンヌがいなかった。
 つい長い時間、寝入ってしまったのだ。全身から血の気が引く。
 マリアは廊下に飛び出す。マリアンヌの姿はない。

「マリアンヌちゃん! マリアンヌちゃん!」

 どうしよう、どうしよう。
 焦燥感が募る。
 その時、レオンの執務室が開くと、なぜか騎士団本部にいるはずの彼がマリアンヌを抱きながら出てきた。

「起きたか」
「マリア、おはよぉ」

 マリアンヌが、イザベラに小さな手を振った。

「おはようございます、マリアンヌちゃん。……どうしてレオン様が?」
「この天気だからな。今日は早めに切り上げてきたんだ。そうしたら、お前が気持ち良く眠っていたから、起こすと悪いと思って」
「それじゃあ、あのタオルケットはレオン様が?」
「そうだ」
「……そうだったんですね」

 マリアはほっと胸を撫で下ろし、安心感でその場にぺたんと座り込んでしまう。

「平気か?」
「は、はぃ。なんだか安心したら気が抜けて……」

 その時、雷鳴が轟く。

「きゃっ!」

 マリアは耳を塞ぎ、首をすくめる。
「雷が苦手なのか」
「は、はい……。マリアンヌちゃんは?」

 涙目で様子をうかがうと、マリアンヌはけろっとしている。

「だいじょーぶ?」

 心配までされてしまった。
 さすがは騎士団長レオンの愛娘だ。肝が据わっている。

「今日は泊まっていくと良い」
「いえ、そういう訳にはいきません。大丈夫です」
「駄目だ。この雨風ではたとえ馬車でも危ない。遠慮するな。こちらが無理を言って来てもらっているのに、怪我をさせる訳にはいかない」

 窓に強く打ち付ける雨粒を眺める。確かにそうかもしれない。
 無理に馬車を走らせて何かあったら、レオンに責任を感じさせてしまう。

「……分かりました。では甘えさせて頂きます」
「そうしろ。すぐにメイドに部屋を案内させる」
「マリア、へーき?」

 雷が鳴るたびにびくっとするのを、マリアンヌが心配してくれる。
 二歳に心配されるのはさすがに大人として情けないので、できるだけ安心させるようににこりと微笑んだ。

「大丈夫ですよ」
「よかったぁ」

 夕食をレオンたちと食べる。
 マリアンヌはそういう時でもマリアにべったりくっついていた。

「おふろにあいろぉ!」
「マリアンヌ。今日はパパと一緒に入るんだろ」

 普段は仕事で夜遅くになることも多いから、レオンはマリアンヌとお風呂に入れなかったりする。ここのところは、マリアと一緒に入っていた。

「パパと、マリアといっちょ!」
「え、」

 子どもらしい無垢な願いとはいえ、マリアは赤面してしまう。

「それはね、駄目なんですよ。今日はパパと一緒に入ってくださいね」
「やだぁ! いっちょ! いっちょがい~いっ!」

 助けを求めるようにレオンを見るが、彼もどうしたらいいのか分からないようで、オロオロしている。

(どうしよう……)

 ヘソを曲げたらお風呂には入りたくないと言い出すかもしれない。

「それじゃあ、こうしましょう!」

 マリアは間を取ることにする。
 マリアンヌだけお風呂に入り、マリアたちは服を着た状態で一緒にいる、というものである。
 それでもマリアンヌには十分みたいだった。
 きゃっきゃっと楽しそうだった。
 無邪気にあひるのオモチャで遊ぶマリアンヌに、マリアたちは相好を崩した。
 マリアンヌをお風呂に入れてから、レオンと交代でお風呂に入る。
 マリアンヌはベッドへ寝かせると、すぐに眠りはじめた。
 今日は雨のせいか、少し冷える。

(温かいものでも飲もう)

 マリアが厨房に顔を出すと、丁度、メイドがティーセットを準備しているところだった。

「レオン様にですか?」
「はい」
「私が持って行っても構いませんか?」
「どうぞ」
「ありがとうございます」

 マリアはトレイを受け取ると、彼の部屋へ行く。
 レオンとはこれまで短い時間しか一緒に過ごしていない。もしかしたらそのせいで、初対面の時の、自分の中で何かが開くような感覚がこないのかもしれないと思ったのだ。
 せっかくこうして一泊することができたのだ。
 レオンとの時間を過ごせば、またあの感覚がくるかもしれない。
 マリアは扉をノックして、名乗る。

「入ってくれ」

 執務室に入ると、彼は机に向かって書類仕事をしていた。
 間もなく日付が変わろうとしているのに、騎士団というのは本当に忙しいようだ。

「お茶をお持ちいたしました」
「そこに置いておいてくれ」
「あの……しばらくこちらにいてもよろしいでしょうか」
「なぜだ?」
「えっと……雷が怖くて……だから……あの……」

 レオンが薄く笑う。

「構わない」
「ありがとうございます」

 レオンの分のお茶を注いだカップにミルクと砂糖を入れ、彼の書き物机の隅に置く。
 それから自分の分のカップを満たして飲む。
 冷えた体に、温もりがじんわりと染みた。

「レオン様はこんな夜遅くまで仕事をされるんですね」
「仕事ができることが、俺にとっては嬉しいことだからな」
「そうなのですか?」
「…俺は一時期に、騎士団長の職を離れていたんだ」
「怪我ですか?」
「ああ。ある戦いで目が見えなくなってしまったんだ」
「えっ。それじゃあ、その目の傷は……」
「その時のものだ。だからこそ、仕事ができることが嬉しいんだ」
「……そうなんですか」

 目が見えない。世界が闇に閉ざされるということはとても、マリアには想像もできないことだ。何もできなくなったと、足が竦んで動けなくなってしまうだろう。

「でも今は、見えていらっしゃるんですよね」
「手術のお陰だ」
「レオン様は強いんですね。もし私がレオン様と同じ体験をしたら、絶望して引きこもってしまっていると思います。手術のことだって成功するかも分からないと色々と言い訳をして受けないかもしれません……」
「俺だって一緒だ。でもある人が俺に、勇気をくれたんだ。その人に出会えてなかったら、俺は今も世の中を呪いながら引きこもっていただろう」

 マリアンヌに見せる父親の顔とは違う、男の顔をしていた。
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