身代わり婚~光を失った騎士団長は、令嬢へ愛を捧げる

侯爵夫人の誕生日

 侯爵夫人の誕生日当日。
 深い藍色の生地とレースを使って涼しげに仕立てたドレスをまとったマリアは、馬車の中で落ち着かなかった。

「そんなにそわそわしなくても大丈夫ですよ。別に取って食われるという訳ではないんですから。商談の時は相手が貴族でも堂々としていいるでしょう。あの時と同じようにしていればいいんです」
「……そ、そんな風にはなかなか……」

 きっと自分は記憶を無くす前も小心者だったに違いないと思うくらい、今日という日が近づくに従って、心臓のドキドキは簡単にはやんでくれなかった。

「エイリークさんのその強い心臓が羨ましいです」

 向かいの席に座るエイリークは燕尾服をまとい、しっかりと決め、少しも取り乱した様子がない。さすがだ。

「言っても誕生日ですから。楽しめばいいんですよ」
「はあ」

 あっという間に屋敷に到着する。車止めにはたくさんの馬車が列を作っていた。

「ここで降りましょう」
「はい」

 先に降りたエイリークが腕を差し出してくれる。

「ありがとうございます」

 マリアは彼の腕に手を置き、一緒になって屋敷へ入る。
 そこには顔にベールを下ろした侯爵夫人と側近の女性がいた。
 女性が、夫人に耳打ちをする。

「エイリークさん、マリアさん、いらっしゃい。よく来てくれたわ」
「今宵はお招きいただきありがとうございます」

 エイリークは差し出された夫人の手の甲にそっと唇を落とす。

「夫人、お招き頂きありがとうございます」
「ふふ。そんな緊張しなくてももいいのよ。ただの誕生日なんですからね」
「……分かりますか?」
「ええ。びっくりするくらい声が強張っているんですもの」

 恥ずかしくなり、赤面してしまう。
 エイリークの腕に手を置き、ともに広間へ向かう。
 そこは輝くほどに飾り立てられ、紳士淑女たちが集まっている。

「すごい……。ここにいらっしゃる方々は皆さん、貴族の方なんですよね……」
「さすがの壮観さですね。いかに夫人の顔が広いか、ということことが分かりますね。さあ、では早速挨拶回りと行きましょう」
「あ、はい」

 という訳で、日頃、取り引きのある貴族たちに挨拶をして回った。

「マリア?」

 何人もの貴族たちとの挨拶を終えた頃、不意に声をかけられた。

「あ、レオン様……」
「これはレオン様。ご機嫌麗しく」

 エイリークの挨拶に、はっとしたマリアも慌てて頭を下げる。

「そうか、二人も夫人に招待されていたのか」

(パーティーの時のレオン様、普段と雰囲気が違う)

 髪を撫でつけた、燕尾服姿。均整の取れた体に長い手足が、ダークグレイの正装にとてもよく似合っている。

「それでは、また後ほど」
「ああ、また」

 ようやく挨拶回りを終えた頃、給仕が飲み物を運んでくるのでシャンパンを受け取った。
 その頃、侍女に手を引かれた侯爵夫人が、マリアたちの目の前に現れる。

「今日は私の誕生日に来てくれてありがとう。久しぶりに皆さんの元気な声を聞くことができてとても嬉しいわ。この中にいる人々の中には、十年以上、誕生日など開いてもいないのにいきなりどうして、と思っている人たちも多いでしょう。私がこうして誕生日を開こうと決めたのには、一人のとある女性のお陰なの。――マリアさん」

 周りが互いの顔を見合う。

(マリアって、私ではないわよね)

「……エイリーク商会のマリアさん」
「!」

 夫人の侍女が近づけば招待客の並が割れる。

「マリア様。どうぞ、夫人の元へ」
「え、あっ……は、はい……っ」

 マリア百名を越えるだろう貴族たちの視線を集めて、恥ずかしさと緊張でどうにかなると思いながらも、夫人の元へ。

「突然、ごめんなさい。でもあなたがくれたあのオルゴールのお陰で、私は活力を取り戻すことができたのよ」
「……そう言っていただけて嬉しいです」
「それでね、突然なのだけど……あのオルゴールに乗せたあの子守歌を、聞かせてくれないかしら」
「え、わ、私の歌、ですかっ」
「ええ」
「ですが、私はただの素人で……」
「オルゴールをもらってから国一番の歌手に歌ってもらったりしたのだけど、あなたの歌声が一番、胸に染みたのよ。どうか、余命幾ばくもないこの老人の願いを聞いて板だけないかしら」
「そんなことを言われたら、断ることなどできるはずもない。
「……素人の私で良ければ」
「あなただからいいのよ。お願い」

 しかし貴族たちの奇異や好奇心を隠しきれぬ眼差しを受けると、どうしても歌い出せない。

「夫人。マリアはプロの歌手という訳ではありません。さすがにこれだけの大勢の前で歌を披露するのは馴れていないでしょう。全員に目を閉じるよう言われてはいかがですか? そのほうがいくらか歌いやすくなるかと」

 レオンが助け船を出してくれる。

「あぁ、それもそうね。――皆、ここにいる可憐な小鳥のために好奇心に蓋をして、目を閉じてくれるかしら?」

 夫人の言葉に、招待客たちが目を閉じる。

(これだったら……)

 小さく咳払いをしたマリアはゆっくりと歌い始める。

“夜の帳にきらめく星々よ。
 あなたを包むは、静けさよ。
 夢へと誘うは月の影──”

 夫人のために。
 特別な技術のないマリアはただ一生懸命に歌うということだけに注力する。
 そのせいで、その歌声に反応するレオンが目を開けたことにも気付かなかった。
 柔らかく、そして透き通るような歌声に、会場にいる人々の顔には安らぎがよぎり、ある人は幼き頃を思い出したように小さく鼻をすする音がひそやかに響く。
 そしてその歌が終わりになりかけた時、扉が開き、一組の男女が姿を見せる。
 二人の年の差はかなりのものであると分かる。
 中年の男にエスコートされてやってきた、マリアとそう年齢が変わらないと思われる、燃えるような赤毛の女性。

(あの女性……)

 眼が合うと、体が強張る。
 ドクドク、と鼓動が激しくなった。
 招待客たちが大きな拍手をするがその音が遠ざかり、やがて聞こえなくなってしまう。
(彼女のことを知っているの……?)
 初めてレオンを目の当たりにした時の、蓋をされていたものが開く気配。
 襲いかかってきたのは、激しい頭痛。
 とても立ってはいられなくなり、しゃがみこんでしまう。

「マリア!」
「マリアさんっ!」

 レオンと、エイリークの声が重なり合う。
 しかし彼らに支えられる感覚も、今のマリアはまともに認知できない。
 頭が割れそうなほどの衝撃に襲われ、何も考えられなかった。
 次の瞬間、目の前が真っ暗になってしまう。
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