身代わり婚~光を失った騎士団長は、令嬢へ愛を捧げる
可能性
燃えるような赤毛。エメラルドのような緑色の瞳。その美しいはずの瞳の中に、嘲りの色が浮かぶ。
具体的に何を言われているのかは分からない。
ただ胸が軋むような悲しみと苦しさに苛まれた。
見知らぬ男たちの腕が伸び、どこかの家から引きずり出される。
そして黒雲から降り注ぐ雨。そして雷鳴。
自分が黒く汚いものに塗り潰されていく感触。
どれだけ悲鳴を上げても誰にも届かない。息が苦しい。苦しい。
レオン様、助けて――。
「マリア!」
マリアが目を開けると、レオンがいた。
彼はマリアに覆い被さるような格好で、両肩を掴んでいた。
「わ、たし……」
「ずっとうなされていたんだ」
マリアは辺りを見回す。そこは見知らぬ部屋。
「ここは……?」
レオンは、マリアが突然気を失ったことや、夫人の好意で部屋を使わせてもらっていることを説明してくれる。
「夫人にご迷惑を」
体を起こそうとするが、肩を掴まれてベッドへ寝かしつけられる。
「起き上がるな。寝ていろ。どのみちもう深夜だ。夫人はお休みになっている。礼を言うのは、明日でいいだろう」
「……そうですね」
レオンはサイドテーブルにあった水差しからグラスへ注いでくれて、渡してくれる。
「……ありがとうございます」
あっという間に飲み干した。
「もう一杯いるか?」
「いいえ。一杯で十分です」
レオンは、マリアの様子を窺うような眼差しを向けてくる。
「レオン様?」
「……その……君が眠っている間に、エイリークから事情を聞いた。記憶喪失の」
「え」
「誤解しないでくれ。エイリークは話せなさそうだったが、俺が無理矢理聞き出したんだ。だから責めるのなら俺を……」
責めるなんて。マリアは首を横に振った。
「黙っていて申し訳ありません」
マリアは頭を下げると、「やめてくれ」とレオンに顔をあげるよう言われた。
「謝ることじゃないだろう。そんなことを気安く人に話せる訳がないんだから」
「ですが、大切な娘さんを預けて頂いているのに……ずっと黙っていて、不審に思われたのではありませんか……?」
「まさか。これまで君は、マリアンヌの面倒をしっかり見てくれていたじゃないか。それを俺も知っているし、何より、マリアンヌが君に懐いているのがなによりの証拠だ」
レオンの優しさが嬉しかった。
「子どもの頃の記憶以外、ないと聞いている」
「そうです。いきなり大人になったみたいで、なんだかすごく不思議な感じなんです」
「あの子守歌は親から歌ってもらっていたのか?」
「そうです。母から」
「マリア。実は、俺はずっと妻を探しているんだ」
「奥様を……」
「もしかしたら噂で聞いたことがあるかもしれないが、俺は前妻と名乗る女と離縁をしているんだ」
「名乗る……?」
不思議な言い方に、マリアは首を傾げた。
「俺が怪我を負って目が見えなくなった話は以前したと思う。その時に俺には妻がいた。彼女は自分のことをアスターシャと名乗ったが、俺が手術を終えて帰国した時に屋敷にいた女とは別人だった。性格も考え方も何もかも別人だ。だから俺は彼女を離縁し、それから本当の妻を探し続けている」
「それは……大変なこと、ですね。何も手がかりはないのですか」
「ある」
「何ですか」
「君が披露した歌だ。あの子守歌を、俺は妻から聞かされたことがあるんだ」
「あれは、北部の一部で歌われているんだそうです。夫人もご存じでした」
「君の声はとてもよく似ているような気がした。あくまで、気がする、ということだが」
「私の声に……?」
「君が、エイリークに助けられた場所と、俺が妻と一緒に暮らしていた山荘は、半日ほどの距離なんだ。もちろんそれだけで君が俺の妻だと断定することはできない。だが……」
「私が、レオン様の妻……?」
言われてもとても荒唐無稽な話に聞こえた
「あくまで可能性だ。確信があって言っている訳じゃないんだ。昔の記憶のことを、何か思い出せたか?」
「……ような気がしましたが……分かりません。とても怖くて、苦しい気持ちになったのは確かですが……」
「そうか」
「私、頑張って、思い出しますから」
「無理はしなくていい」
「ですが、ずっと探されているんですよね。それくらい、奥様のことを愛していて……」
「だけど、無理をして思い出せるものでもないだろう。それに、記憶を取り戻すことで苦しい思いをして欲しくない。違うかもしれないんだからな」
そう、違うのかもしれない。あくまで可能性の問題に過ぎない。
分かっていても、もし、時分がレオンの妻だったらいいのに、と思わずにはいられなかった。
「だから、無理は絶対にするな。そうしたら俺はもちろん、エイリークも、夫人もみんなが心配する」
「……はい」
「だから根を詰めないで眠れ。何かあっても心配するな。俺がそばにいる」
その優しいレオンの声に、目を閉じると、あっという間に眠りに落ちていった。
今度はきっといい夢をみられそう。そんな気がした。
※
(どうして……どうしてよ! なんで、あの女が生きてるの!?)
アスターシャは屋敷の自室で爪を噛む、その顔には苛立ちがありありと浮かんでいる。
確かに、雇った男たちにはカタリナを殺すよう命じていたはずだ。
男たちはカタリナを連れ出したきり戻ってこなかったから、うまくできたのか確認のしようもなかったのだが。
歌った直後、突然倒れた彼女にレオンが寄り添っていた。
自分を偽物の妻となじり、離縁をした男。
『お前は誰だ? お前が俺の妻であるはずがないっ』
アスターシャは半ば無理矢理、あの山荘から叩き出された。
公爵の離縁の話は瞬く間に社交界に流れた。
レオンの功績や人柄の高潔さは誰もが認めるところであり、あの公爵が離縁したのだからアスターシャにかなりの問題があったのだろうと噂された。
アスターシャのことをあれほど可愛がっていたはずの両親は怒り、「恥知らずめ!」と臆面もなく告げてきた。
そんな彼女をまともな貴族の家が求めてくれるはずもなく、結局、四十代の愛人をはべらす成金貴族に莫大な支度金と引き替えに、嫁がされた。
実の両親に売り払われたのだ。
夫になった男はがめつく、卑しく、評判が悪い。
お陰で、主だった貴族が招待されるはずの侯爵夫人の誕生日にも、呼ばれもしなかった。
それに腹を据えかねた夫が、アスターシャを半ば引きずるようにして侯爵邸へと乗り込んだのだ。
自分がこんなに苦しい思いをしているのに、あの女はのうのうと生きているどころか、レオンと親しそうだった。
アスターシャの身代わりになったことを話したのか。しかし、レオンが再婚したという話は聞いてない。
だったらまだレオンはアスターシャとカタリナが入れ替わっていることに気付いていないということなのか。
(そんなことはどうでもいい! 私がこんな目に遭っているのも、何もかも、あのふざけた二人のせいだわ!)
アスターシャの怒りは沸々と高まっていった。
具体的に何を言われているのかは分からない。
ただ胸が軋むような悲しみと苦しさに苛まれた。
見知らぬ男たちの腕が伸び、どこかの家から引きずり出される。
そして黒雲から降り注ぐ雨。そして雷鳴。
自分が黒く汚いものに塗り潰されていく感触。
どれだけ悲鳴を上げても誰にも届かない。息が苦しい。苦しい。
レオン様、助けて――。
「マリア!」
マリアが目を開けると、レオンがいた。
彼はマリアに覆い被さるような格好で、両肩を掴んでいた。
「わ、たし……」
「ずっとうなされていたんだ」
マリアは辺りを見回す。そこは見知らぬ部屋。
「ここは……?」
レオンは、マリアが突然気を失ったことや、夫人の好意で部屋を使わせてもらっていることを説明してくれる。
「夫人にご迷惑を」
体を起こそうとするが、肩を掴まれてベッドへ寝かしつけられる。
「起き上がるな。寝ていろ。どのみちもう深夜だ。夫人はお休みになっている。礼を言うのは、明日でいいだろう」
「……そうですね」
レオンはサイドテーブルにあった水差しからグラスへ注いでくれて、渡してくれる。
「……ありがとうございます」
あっという間に飲み干した。
「もう一杯いるか?」
「いいえ。一杯で十分です」
レオンは、マリアの様子を窺うような眼差しを向けてくる。
「レオン様?」
「……その……君が眠っている間に、エイリークから事情を聞いた。記憶喪失の」
「え」
「誤解しないでくれ。エイリークは話せなさそうだったが、俺が無理矢理聞き出したんだ。だから責めるのなら俺を……」
責めるなんて。マリアは首を横に振った。
「黙っていて申し訳ありません」
マリアは頭を下げると、「やめてくれ」とレオンに顔をあげるよう言われた。
「謝ることじゃないだろう。そんなことを気安く人に話せる訳がないんだから」
「ですが、大切な娘さんを預けて頂いているのに……ずっと黙っていて、不審に思われたのではありませんか……?」
「まさか。これまで君は、マリアンヌの面倒をしっかり見てくれていたじゃないか。それを俺も知っているし、何より、マリアンヌが君に懐いているのがなによりの証拠だ」
レオンの優しさが嬉しかった。
「子どもの頃の記憶以外、ないと聞いている」
「そうです。いきなり大人になったみたいで、なんだかすごく不思議な感じなんです」
「あの子守歌は親から歌ってもらっていたのか?」
「そうです。母から」
「マリア。実は、俺はずっと妻を探しているんだ」
「奥様を……」
「もしかしたら噂で聞いたことがあるかもしれないが、俺は前妻と名乗る女と離縁をしているんだ」
「名乗る……?」
不思議な言い方に、マリアは首を傾げた。
「俺が怪我を負って目が見えなくなった話は以前したと思う。その時に俺には妻がいた。彼女は自分のことをアスターシャと名乗ったが、俺が手術を終えて帰国した時に屋敷にいた女とは別人だった。性格も考え方も何もかも別人だ。だから俺は彼女を離縁し、それから本当の妻を探し続けている」
「それは……大変なこと、ですね。何も手がかりはないのですか」
「ある」
「何ですか」
「君が披露した歌だ。あの子守歌を、俺は妻から聞かされたことがあるんだ」
「あれは、北部の一部で歌われているんだそうです。夫人もご存じでした」
「君の声はとてもよく似ているような気がした。あくまで、気がする、ということだが」
「私の声に……?」
「君が、エイリークに助けられた場所と、俺が妻と一緒に暮らしていた山荘は、半日ほどの距離なんだ。もちろんそれだけで君が俺の妻だと断定することはできない。だが……」
「私が、レオン様の妻……?」
言われてもとても荒唐無稽な話に聞こえた
「あくまで可能性だ。確信があって言っている訳じゃないんだ。昔の記憶のことを、何か思い出せたか?」
「……ような気がしましたが……分かりません。とても怖くて、苦しい気持ちになったのは確かですが……」
「そうか」
「私、頑張って、思い出しますから」
「無理はしなくていい」
「ですが、ずっと探されているんですよね。それくらい、奥様のことを愛していて……」
「だけど、無理をして思い出せるものでもないだろう。それに、記憶を取り戻すことで苦しい思いをして欲しくない。違うかもしれないんだからな」
そう、違うのかもしれない。あくまで可能性の問題に過ぎない。
分かっていても、もし、時分がレオンの妻だったらいいのに、と思わずにはいられなかった。
「だから、無理は絶対にするな。そうしたら俺はもちろん、エイリークも、夫人もみんなが心配する」
「……はい」
「だから根を詰めないで眠れ。何かあっても心配するな。俺がそばにいる」
その優しいレオンの声に、目を閉じると、あっという間に眠りに落ちていった。
今度はきっといい夢をみられそう。そんな気がした。
※
(どうして……どうしてよ! なんで、あの女が生きてるの!?)
アスターシャは屋敷の自室で爪を噛む、その顔には苛立ちがありありと浮かんでいる。
確かに、雇った男たちにはカタリナを殺すよう命じていたはずだ。
男たちはカタリナを連れ出したきり戻ってこなかったから、うまくできたのか確認のしようもなかったのだが。
歌った直後、突然倒れた彼女にレオンが寄り添っていた。
自分を偽物の妻となじり、離縁をした男。
『お前は誰だ? お前が俺の妻であるはずがないっ』
アスターシャは半ば無理矢理、あの山荘から叩き出された。
公爵の離縁の話は瞬く間に社交界に流れた。
レオンの功績や人柄の高潔さは誰もが認めるところであり、あの公爵が離縁したのだからアスターシャにかなりの問題があったのだろうと噂された。
アスターシャのことをあれほど可愛がっていたはずの両親は怒り、「恥知らずめ!」と臆面もなく告げてきた。
そんな彼女をまともな貴族の家が求めてくれるはずもなく、結局、四十代の愛人をはべらす成金貴族に莫大な支度金と引き替えに、嫁がされた。
実の両親に売り払われたのだ。
夫になった男はがめつく、卑しく、評判が悪い。
お陰で、主だった貴族が招待されるはずの侯爵夫人の誕生日にも、呼ばれもしなかった。
それに腹を据えかねた夫が、アスターシャを半ば引きずるようにして侯爵邸へと乗り込んだのだ。
自分がこんなに苦しい思いをしているのに、あの女はのうのうと生きているどころか、レオンと親しそうだった。
アスターシャの身代わりになったことを話したのか。しかし、レオンが再婚したという話は聞いてない。
だったらまだレオンはアスターシャとカタリナが入れ替わっていることに気付いていないということなのか。
(そんなことはどうでもいい! 私がこんな目に遭っているのも、何もかも、あのふざけた二人のせいだわ!)
アスターシャの怒りは沸々と高まっていった。